• 1




ヨーロッパ最北端とされる岬「ノールカップ」を訪れたのは10年近く前のことである。
岬より少し手前、吹き荒ぶ強い風のなかから現れたのは、犬を連れた少女たちであった。
写真家・石川直樹が、犬たちとの一瞬の邂逅を軸に、この世界の有り様を綴るフォトエッセイ。



#16



#16 風と共に(ノルウェー・マーゲロイ島)





 ノルウェーにヨーロッパ最北端の岬があると聞いて、10年近く前に訪ねたことがある。その岬の名は「ノールカップ」。英語で言うところの「North Cape」だから、直訳すれば「北岬」ということになるだろう。日本であれば寂しげな演歌が聞こえてきそうな地名だが、実際のノールカップは、演歌の世界のさらに上をいく、荒涼とした"涯て"であった。
 調べてみると厳密にはノールカップはヨーロッパ最北端ではないらしいのだが、その場所には確かに、the northernmost tip of Europe、すなわち「最北端」と書かれた看板があったと記憶する。まあそんなことはどうでもいい。彼の地は、最北端という冠に十分耐えうる風景を体現している。
 そのノールカップの少し手前にある漁村に立ち寄った。何のあてがあるわけでもなかったが、ふらりと寄り道をしたのだ。ある家の壁に"おみやげあります"という手書きの小さな看板があり、扉を叩くと、なかからおばあさんが出てきた。見慣れない色彩の美しい服を着ており、一目でサーメ人であることがわかった。
 サーメの人々は、独自の言語や絵文字をもち、知恵はすべて口承で受け継ぐヨーロッパ最古にしてほぼ唯一の先住民である。トナカイと共に暮らしているので、「トナカイの民」と呼ばれることもある。そんなおばあさんの家の軒先に、手作りの工芸品がわずかに置かれていた。せっかくの機会なので、そのなかから苔生していかにも古そうな鹿の角をぼくは選び、おみやげにすることにした。
 おばあさんは英語をほとんど話せないし、ぼくはノルウェー語もサーメ語も理解できない。身ぶり手ぶりで鹿の角をどうにか購入すると、そのおばあさんが「トナカイの肉を解体しているので見ていくか」と言った。いや、そう言ったのだろうと類推した、というほうが正しい。とにかくそのように言われたと思い込んで、ぼくは彼女に連れられて地下の倉庫に向かった。
 倉庫はトナカイの解体場所になっていた。食用の肉になるのは雄のトナカイばかりで、肉以外の骨、角、皮を工芸品に使うのだとふたたび身ぶりを交えて説明してくれた。死ぬとトナカイに生まれ変わるという言い伝えをもつサーメ人は、今もたしかにこうしてトナカイの近くで生活していたのである。
 倉庫の外に出ると、草原が広がっている。おばあさんと別れて、強い風のなかをぼんやり一人で歩いていると、賢そうな犬を連れたサーメの子どもたちに出会った。二頭の犬のうち、一頭は牧羊犬だろうか。
 ぼくの家で飼っているレオちゃんならこんな草原に来たら走りまわってしまうだろうが、この子たちが連れていた犬は、彼女たちのまわりを決して離れようとしなかった。「写真を撮らせて」とジャスチャーで示すと、彼女たちは立ち止まってくれた。犬もそれにならう。犬も子どもも言葉は通じなくても、心と表情で会話できるのだ。写真を撮り終わると、また風が強くなり出して、彼女たちは犬と共に去った。こうした出会いが、ぼくと北岬を繋ぐ唯一の思い出である。



(了)
―#16―

この連載は隔週でお届けします。
*次回:2013年10月10日(木)掲載
2013/9/19 更新

  • 1
Qomolangma チョモランマ
『Qomolangma(チョモランマ)』(SLANT)
『Lhotse(ローツェ) 』に続くヒマラヤ写真集シリーズ第2弾。2001年、23歳の石川は、チベット側から世界最高峰・チョモランマ(エベレスト)に登頂。この遠征は、その10年後にネパール側から再登頂することになるエベレスト、さらにローツェやマナスルといったヒマラヤのへの旅の出発点でもある。当時の写真に加え、2013年末から14年初頭にかけて再訪したチベットの街と人々の暮らしを写しとった作品も収録。





バングラデシュ (世界のともだち)
『バングラデシュ (世界のともだち) 』(偕成社)
世界36か国の子どもたちのくらしを紹介する全36巻の写真絵本シリーズの一冊。石川が担当したのはこの数年で何度か訪れているバングラデシュ。ダッカの中心部からCNGという三輪タクシーで小1時間、ガンジス川をわたった先の街に暮らす、少年アシフの日常を紹介する。青い自転車がアシフの相棒!

石川直樹(いしかわ・なおき)

1977年東京都生まれ。写真家。高校2年生のときにインド・ネパールへ一人旅に出て以来、世界を絶えず歩き続けながら作品を発表している。2000年に北極から南極まで人力で踏破するPole to Poleプロジェクトに参加。翌2001年には、七大陸最高峰登頂に成功。2011年には、2度目のエベレスト登頂を果たす。昨年秋、マナスル登頂に成功。写真集に『THE VOID』(ニーハイメディア・ジャパン )、『NEW DIMENSION』(赤々舎)、『POLAR』(リトルモア)、『VERNACULAR』(赤々舎)、『Mt.Fuji』(リトルモア)、『ARCHIPELAGO』(集英社)他、著書に『全ての知恵を装備に置き換えること』(集英社文庫)、『For Everest ちょっと世界のてっぺんまで』(リトルモア)他がある。 2008年、『最後の冒険家』(集英社文庫)で第6回開高健ノンフィクション賞、2011年には写真集『CORONA』で第30回土門拳賞受賞。
ブログ:http://www.littlemore.co.jp/foreverest/

[作者より]
21日から外苑前で開催されるTOKYO ART BOOKFAIRで新しい写真集『Lhotse』(SLANT刊)がお披露目になります。
ぼくも初日の18時から会場にいるので、ぜひ遊びにきてください!
http://zinesmate.org/lang/jp/the-tokyo-art-book-fair