• 1




雪と氷で白く染まる、厳冬期のサハリンへ。レストランでは真っ赤なボルシチが出てきた。
最北端の街・オハの路上で凍る地面に足を取られながらも、シャッターを切る。そのとき……。
写真家・石川直樹が、犬たちとの一瞬の邂逅を軸に、この世界の有り様を綴るフォトエッセイ。



#19



困惑と冷や汗(ロシア・サハリン)





 北海道の函館空港からも国際線が出ていて、海外に行ける。そのことを知ったのは、2009年1月にサハリンへ行ったからだ。ユジノサハリンスクへ向かう飛行機は札幌や東京ではなく、函館から飛び立つのである。乗客は日本人とロシア人が半々くらいだった。厳冬のサハリンに向かう日本人はいったい何をしに行くのだろう、と思う。おそらくぼくを見た他の乗客も「こいつ、いったい何しにサハリンに行くんだ?」と思ったに違いないが……。
 ユジノサハリンスク空港を出ると、ガイドのピョートルさんとドライバーのニコライさんが待っていた。ホテルはユーラシアホテルの41号室。昼寝をして目覚めると、窓の外に雪がちらつきはじめ、やがて吹雪に変わった。雪が下から上に舞っている。風が強いのだろう。
 夕食は、ホテルの近くにあるレストランで真っ赤なボルシチを食べた。中には紫キャベツとジャガイモが入っていた。独特の色、そして初めての味。こうして徐々にサハリンに慣れていく。
 翌朝、ユジノサハリンスクからサハリン最北端の街、オハへ飛んだ。雪氷によって白く染まった滑走路が窓から見えた。雲の上だと思っていたのに、いきなり窓から滑走路が見えたので驚いた。外は白と灰色の世界で、雲の中と区別がつかなかったのだ。オハの空港から、軍用ジープのような古い車に乗り込む。スピードメーターは壊れていて動かない。車の内側には臙脂色のボア素材が貼ってある。これも防寒の一種だろうか。
 ピョートルさんに案内されて、オハの街なかへ行き、車を降りて一人で撮影をはじめた。迫力のあるボロアパートの前で撮影していると、子犬を連れたおばさんがぼくの前を通り過ぎていく。彼女はゴージャスな毛皮のコートを着ていたが、ここでは風景に溶け込んで目立たない。地面は凍っており、犬はときどき足を滑らせながら、長いリードを最大限に引っ張ってちょこまか移動している。三脚を立てて、おばさんに連れられたその犬を撮影した直後、後ろからロングコートを着た二人組の背の高い男たちに話しかけられた。警察手帳のようなものを見せられ、「パスポートを見せろ」と言われた。いや、ロシア語はわからないので、正確には「多分そう言ったと思う」というのが正しい。
 二人組の男はぼくのパスポートをなめ回すように見た後も、返してくれなかった。偽警察が詐欺を働く話はさんざん聞いていたので、ああこれか、と思った。そのあいだに、おばさんと犬は振り向きもせずに去って行ってしまった。二人組の男は当然ロシア語しか話せず、「ツーリスト」とか「ガイド」といった簡単な英語も一切通じない。もしくは通じないふりをしていた。
 ぼくが二人組の男ともめ始めたとき、ようやくガイドのピョートルさんが気づいて駆けつけてくれて、事なきを得た。ピョートルさんいわく「こっちの街はまだ昔の癖が残っていてね、許可をとっているのに、外国人を見ると確認してくるんだ。ユジノだったら、何も言われないよ」
 ロシア語を話せない自分だけだったら、難癖をつけられてしょっ引かれていたかもしれない。この犬の写真を見ると、あのときの困惑と冷や汗を思い出す。すれ違っただけの犬なのに、ここから引き出される記憶は、今もものすごく鮮明である。





(了)
―#19―

この連載は隔週でお届けします。
次回は2013年12月26日(木)!
2013/12/13 更新

  • 1
Qomolangma チョモランマ
『Qomolangma(チョモランマ)』(SLANT)
『Lhotse(ローツェ) 』に続くヒマラヤ写真集シリーズ第2弾。2001年、23歳の石川は、チベット側から世界最高峰・チョモランマ(エベレスト)に登頂。この遠征は、その10年後にネパール側から再登頂することになるエベレスト、さらにローツェやマナスルといったヒマラヤのへの旅の出発点でもある。当時の写真に加え、2013年末から14年初頭にかけて再訪したチベットの街と人々の暮らしを写しとった作品も収録。





バングラデシュ (世界のともだち)
『バングラデシュ (世界のともだち) 』(偕成社)
世界36か国の子どもたちのくらしを紹介する全36巻の写真絵本シリーズの一冊。石川が担当したのはこの数年で何度か訪れているバングラデシュ。ダッカの中心部からCNGという三輪タクシーで小1時間、ガンジス川をわたった先の街に暮らす、少年アシフの日常を紹介する。青い自転車がアシフの相棒!

石川直樹(いしかわ・なおき)

1977年東京都生まれ。写真家。高校2年生のときにインド・ネパールへ一人旅に出て以来、世界を絶えず歩き続けながら作品を発表している。2000年に北極から南極まで人力で踏破するPole to Poleプロジェクトに参加。翌2001年には、七大陸最高峰登頂に成功。2011年には、2度目のエベレスト登頂を果たす。昨年秋、マナスル登頂に成功。写真集に『THE VOID』(ニーハイメディア・ジャパン )、『NEW DIMENSION』(赤々舎)、『POLAR』(リトルモア)、『VERNACULAR』(赤々舎)、『Mt.Fuji』(リトルモア)、『ARCHIPELAGO』(集英社)他、著書に『全ての知恵を装備に置き換えること』(集英社文庫)、『For Everest ちょっと世界のてっぺんまで』(リトルモア)他がある。 2008年、『最後の冒険家』(集英社文庫)で第6回開高健ノンフィクション賞、2011年には写真集『CORONA』で第30回土門拳賞受賞。
ブログ:http://www.littlemore.co.jp/foreverest/

[作者より]
12月26日に原宿VACANTでいつものヒマラヤ遠征報告会をします。今回はグレートヒマラヤトレイルとアマダブラムについて。写真集『Lhotse』、アマゾンでの販売も開始になりました。みなさん、ぜひ。ぼくはまだ咳が止まらず、今は別府で療養中です!