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チョモランマを仰ぎ見るのは実に13年ぶりのことだ。
記憶の輪郭がかすかにぶれる――そんなこちらの感傷は全くお構いなしに、犬は荒野を行く。
写真家・石川直樹が、犬たちとの一瞬の邂逅を軸に、この世界の有り様を綴るフォトエッセイ。



#23



後ろにはチョモランマ
(チベット・オールドティンリー)





 世界最高峰エベレスト。チベットでは「チョモランマ」と呼ばれている。頂上に国境線が引かれ、北がチベットで南がネパールになっていて、南北の地域によってその呼称が異なる。もちろん国境線は目に見えないし、実際にエベレストを前にすると、そこに付された名前など吹き飛んでしまう圧倒的な存在感にたじろぐばかりなのだが。
 山は不変の存在でも、見る角度を変えると、そのシルエットが劇的に変化する。エベレストもまた然り。ネパール側から見たエベレストと、チベット側から見たチョモランマでは別の山のように見える。
 ネパール側からは、8000メートルあたりまで登っても、手前の南峰に隠れて本当の頂上が見えない。また、ウェストショルダーと呼ばれる尾根や隣のヌプツェに挟まれて、麓のベースキャンプから山容のほとんどが視界に入らないのだ。
 一方で、チベット側からの風景は山全体が空に向かって切り立っていて、威風堂々としている。他の山に隠れていないせいか、吹き上げる風によって岩肌が露出し、黒々とした山という印象を抱く。世界一という名にふさわしい威容である。
 2001年にこのチョモランマと相対して以来、再訪を願いつつ13年もの年月が経ってしまった。2014年元旦、ぼくはチョモランマを再び眺める機会に恵まれた。
 場所は、オールドティンリーである。13年前は街道沿いのさびれた村だったが、今はなぜか賑わっていた。村の端にあるスノーランドロッジという宿で、トゥクパ(チベット式うどん)の昼食を食べながらあたりを見回すと、もしかしたらぼくはかつてこの宿に泊まったかもしれないという淡い既視感に襲われた。当時の日記を調べると宿の名前が違うのだが、なんだか知っているような雰囲気なのだ。
 この村は、ネパールへ抜ける道沿いにあって、チョモランマのベースキャンプへの分岐点にもなっている。だから、チベットからネパールへと向かう旅行者もチョモランマへ向かう登山者も、とりあえず立ち寄って腹ごしらえをする場所なのだ。スノーランドロッジにも先着の若い白人女性がいて食事をしていた。彼女もネパールへ抜けていくらしい。チベットからネパールへ、バックパック一つでこういう旅もまたいつかしてみたいと思う。
 村を貫く道路から脇に少しだけそれると、荒れ地が広がっていた。人の姿はなく、小便の匂いと家畜の骨と野良犬が一匹。「このあたりの犬は噛み付くから気をつけろ」と地元の人が言っていたのを思い出しつつ、ぼくは野良犬の後を尾行する。
 犬はぼくに気づくと立ち止まる。すると、ぼくも立ち止まる。犬が歩き出すと、ぼくも歩く。「なんなんだ、こいつ」という不審な表情で、犬がぼくを見る。ぼくも「いいだろ、別に」と目をそらさない。犬の真後ろにチョモランマが見えた。「おれはおまえを見ていない。チョモランマを見ているのだ。文句あっか」と口には出さないものの、犬に念力をおくりながら、シャッターを切った。犬はちらっとぼくのほうを見ると「なにやってんだか……」とでも言いたげな感じで、またスタスタと歩いていってしまった。
 あの犬もまた13年前に見たような気がした。が、きっと思い違いだろう。淡い記憶のひだが揺れ始める。チョモランマは、ぼくの内に潜むさまざまな琴線に触れる、そんな山なのだ。





(了)
―#23―

この連載は隔週でお届けします。
次回は2014年2月20日(木)!
2014/02/06 更新

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Qomolangma チョモランマ
『Qomolangma(チョモランマ)』(SLANT)
『Lhotse(ローツェ) 』に続くヒマラヤ写真集シリーズ第2弾。2001年、23歳の石川は、チベット側から世界最高峰・チョモランマ(エベレスト)に登頂。この遠征は、その10年後にネパール側から再登頂することになるエベレスト、さらにローツェやマナスルといったヒマラヤのへの旅の出発点でもある。当時の写真に加え、2013年末から14年初頭にかけて再訪したチベットの街と人々の暮らしを写しとった作品も収録。





バングラデシュ (世界のともだち)
『バングラデシュ (世界のともだち) 』(偕成社)
世界36か国の子どもたちのくらしを紹介する全36巻の写真絵本シリーズの一冊。石川が担当したのはこの数年で何度か訪れているバングラデシュ。ダッカの中心部からCNGという三輪タクシーで小1時間、ガンジス川をわたった先の街に暮らす、少年アシフの日常を紹介する。青い自転車がアシフの相棒!

石川直樹(いしかわ・なおき)

1977年東京都生まれ。写真家。高校2年生のときにインド・ネパールへ一人旅に出て以来、世界を絶えず歩き続けながら作品を発表している。2000年に北極から南極まで人力で踏破するPole to Poleプロジェクトに参加。翌2001年には、七大陸最高峰登頂に成功。2011年には、2度目のエベレスト登頂を果たす。昨年秋、マナスル登頂に成功。写真集に『THE VOID』(ニーハイメディア・ジャパン )、『NEW DIMENSION』(赤々舎)、『POLAR』(リトルモア)、『VERNACULAR』(赤々舎)、『Mt.Fuji』(リトルモア)、『ARCHIPELAGO』(集英社)他、著書に『全ての知恵を装備に置き換えること』(集英社文庫)、『For Everest ちょっと世界のてっぺんまで』(リトルモア)他がある。 2008年、『最後の冒険家』(集英社文庫)で第6回開高健ノンフィクション賞、2011年には写真集『CORONA』で第30回土門拳賞受賞。
ブログ:http://www.littlemore.co.jp/foreverest/

[作者より]
2月8日(土)19時30分より、NHK-BSプレミアムでヒマラヤの番組「冒険者たち 原始のヒマラヤを撮る・石川直樹」が放映になります。
2月10日(月)は、銀座のガーディアンガーデンで、「1_WALL」グランプリを受賞した黑田菜月さんとトークイベントをします。司会は、編集者で作家の畑中章宏さん。詳細はこちら
2月14日 (金) 19:00~20:30、仙台の「せんだいメディアテーク」にてトークイベントをします。詳細はこちら
そして、横浜で開催される写真の祭典「CP+2014」にて、『東松照明 写真のつくり方。』というワークショップが行われます。そこでもミニトークがあって、東松さんについて話します。このワークショップはフォトショップでのレタッチを中心に、非常にためになる講座です。みなさんぜひ! 詳細はこちら
2月20日には最新写真集『Qomolangma』(SLANT)が発売になります。2月3月はトークイベントが盛りだくさんなので、どこかでお会いしましょう!!