
この度『同居人の美少女がレズビアンだった件。』刊行記念として、著者の小池みきさん、監修の牧村朝子さん、そして牧村さんが大ファンの、作家の山崎ナオコーラさんをお迎えし、吉祥寺パルコブックセンターにてトークショーが開催されました! 作品のこぼれ話だけでなく、お三人による「ここだけでしか聞けない」話が満載! お越しいただけなかった皆様のために、当日の様子を特別公開いたします。
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◎「作家」ではなく「女性作家」と
呼ばれる理由は? |
小池:こんばんは。『同居人の美少女がレズビアンだった件。』刊行記念トークショーにお集りいただきましてありがとうございます。私はこのマンガの著者で、牧村の前著書『百合のリアル』の企画構成を担当しておりましたライターの小池みきです。今日はよろしくお願いします。
牧村:こんばんは! 同居人の美少女27歳(笑)、牧村朝子です。みなさん、来て下さってありがとうございます。立ち見の方までいらっしゃって本当に感激です。今日は楽しんでいってくださいね。
小池:今日はもうお一人、豪華なゲストにお越しいただきました。
山崎:作家の山崎ナオコーラと申します。よろしくお願いいたします。
小池:牧村は昔から山崎さんの大ファンということで、この本をきっかけに二人に対談してもらえて嬉しいです。今日は私が司会役をつとめつつ、ざっくばらんに進めていく予定ですのでよろしくお願いいたします。
牧村:よろしくお願いします!
山崎:『同居人の美少女がレズビアンだった件。』、とても面白かったです。小説でいうところの、物語の「語り手」と主人公の距離感が絶妙なところが素晴らしいと思いました。『百合のリアル』も拝読しまして、感銘を受けました。
牧:大好きな作家さんに、直接自分たちの本を褒めてもらえるなんてすごく嬉しいです! ありがとうございます。

小池:えー、実は今日は事前にナオコーラさんから厳命が下っておりまして。「ナオコーラ『先生』ではなく必ず『さん』と呼ぶように」と。「そうしなければ業界から消す」と。
山崎:……言ってないです(笑)。
小池:牧村はフランスまで国外逃亡できるからいいんですが私は逃げ場がありませんので、是非皆様には最後までしっかり耳を傾けていただいて、我々が「先生」と言いそうになった時は咳払いなどで教えていただきたく存じます。
牧村:お願いします。嫌われたくない!
客席:(笑)
小池:という茶番から始めてみましたが、この「先生」という言葉へのこだわりについては是非聞いてみたいなと思っていまして。というのは、この漫画の主要テーマの一つが、例えば「レズビアン」とか「同性愛者」といった、“カテゴライズ”の言葉とどう向き合うかという問題だったものですから。
山崎:強いこだわりがあるわけではなくて、マンガ家さんにはあるのかもしれませんが、作家に「先生」を使うことはあんまりないし、「ナオコーラ先生」ってちょっとヘンじゃないかな、という程度の感覚ですが(笑)。カテゴライズされることには昔から嫌悪感がありますね。特につらく感じられるのが「女性作家」っていう肩書きです。
小池:「女性作家」「女流作家」ってよく使われる言葉ですね。書店でも、「女性作家」「男性作家」は棚が分かれていたりします。
山崎:私は「作家」になりたかったのに、結局「女性作家」にしかなれないのかな、と。紹介していただく時に、女性作家っていうくだりがあると、「女性」の部分を消してもらったりします。「女性作家」って言われると、たとえ誉めてもらえていても、違う職業の話をされている感じがしてしまいます。
牧村:ナオコーラさんは、どうしてそういう分け方ができたと思いますか?
山崎:本屋さんの場合は、本が多いから、少しでも探しやすくなるようにという配慮なんじゃないですかね。書店員の方にそう言われたことがあります。
牧村:今の所、便宜上分けているという感じなのかしら。でも、性別がわからない作家さんもいますよね。舞城王太郎さんとか。
山崎:私も公表してないつもりなんですけど……。
小池:それは大変なことを聞きました。皆さん、今日知ったことは秘密にしましょう。
一同:笑
山崎:牧村さんは、自分の肩書きとかでこういうのは辛いなって思うものはありますか?
牧村:私は一時期「レズビアンライフサポーター」という肩書きを自分で考えて使っていたんですけど、やっぱり苦痛になってしまいましたね。なんでそういう肩書きを考えたかというと、こちらから何も言わないと、プロフィールに必ず「レズビアンタレント」って書かれてしまうからです。それは、「レズビアンである」ということを「芸」にしているみたいで抵抗があったんですよ。ただもちろん、「レズビアン」という言葉に惹かれて私を知ってくださる人もいるので……苦肉の策でした。
小池:それほど悪い肩書きだとは思わなかったけど、そんなに嫌だったの?
牧村:嫌だった。だって何してる人かわかんないもん。ハイパーメディアクリエイターぐらいわけわかんなくない?
一同:(笑)
小池:でも逆に、この人はサポートしてくれるんだな、と思って連絡してきてくれる人も増えたんじゃ?
牧村:それは良かったことの1つだね。相談メールとかを送っていただけるようになったっていう。でもそれだけね。
山崎:難しいですよね。肩書きがあったり、カテゴライズされているから来る仕事や出会いっていうのも確かにあるんですよ。ただ、そこに「押込められる」のが大抵の人にとって苦しい。
牧村:理由としては、さっきの本屋さんの棚の話ぐらいにしか過ぎないんですよね。本当にそんな風に世界が分かれているわけではなく、こうしたほうが便利だと思う人は分けている、というだけ。
小池:ただ、カテゴライズとか肩書きの言葉に期待されるものっていうのを私たちは予測して、そのように振る舞おうとしてしまう、そこに苦しみが発生すると。
牧村:そういうふうに振る舞えって言われているわけじゃなくても、自分のほうもそう振る舞おうとしてしまうのよね。
小池:ナオコーラさんは、「女性作家」と呼ばれることへの嫌悪感とか、カテゴライズへの抵抗感はいつからありましたか?
山崎:「女性作家」という呼び方が嫌なだって思ったのはデビューした時ですね。あと、性別のカテゴライズ自体が嫌だ、というのは子どもの時から感じていました。アンケートとか申し込み書とかでも、必ずどっちかに丸をつけたりするじゃないですか、性別の欄に。私はあれがすごく嫌で、付けなくても済ませられるようなものは付けなかったです。
小池:牧村は「女性」っていう区分けについてはどう思ってるの?
牧村:自分が「女性」であることについては「超ハッピー!」って思ってる。10歳で初めて女の子を好きになった時は、女の子と一緒にいるためには男の子でなくちゃいけない、心の中にこんなものを持っているんだから女でいてはいけないんだ、ってすごく抑圧していたので、それをやめた時の開放感はすごかった。あ、女でいてよかったんだ、スカートはいていいんだ、「いや~ん」とか言っていいんだ! って(笑)。
小池:ナオコーラさんは、そういう「ハッピー」を感じたことはありますか?
山崎:ないですね。
小池:即答(笑)!
山崎:多分私は、根本的に男と女ってそれほど違わない存在だと思っているんです。それをあたかも違う存在であるように振る舞うことが私は辛いけれども、女らしく・男らしく生きるほうが楽しいっていう人も当然いますし、それはわかるんですね。だから、お互い認め合って「そういう人もいるよね」っていうぐらいの感じでやっていけたらな、と思います。小池さんはどうですか? 「ハッピー」感じますか?
小池:私もないですね。
牧村:「いやあん、いちごパフェ☆」みたいなの、ないの?
小池:ないって知ってて言ってるよね、元同居人!