落雷と祝福

歌人・岡本真帆が愛するものをお題にした連作短歌とエッセイをお送りします。
第3回のテーマは、アニメシリーズも話題の「チェンソーマン」
※『チェンソーマン』第1部(漫画版1~97話)の重大なネタバレを含みます

 

 

 

 

 

 

▼△▼以下は、『チェンソーマン』第1部のネタバレを含みます▼△▼
テレビアニメシリーズ(全12話)にて
現時点では描かれていない
展開にも触れるため、とくにご注意ください

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

となりの席のあなた

 漫画や映画の中で、キャラクターが映画を観ているシーンが出てくると、もうそれだけでその作品を好きになってしまう傾向がある。作者が、映画に救われた経験がある人だと分かるからだ。わたしも映画に救われたことがある。だから、作者への親近感がぐっと湧く。作家や監督が映画に救われた時間を、どう自分の作品に反映しているのかが見えると嬉しくなる。
 映画を観るのが好きだ。特に、映画館で映画を観る時間が好きだ。映画館の座席に座ると、誰もが優劣のない、一人の観客になる。どんな現実を生きていて、どんな家族がいて、どんな生活を送っていても、観客は映画の前では等しく一人の観客になる。規則正しく並んだ椅子に座って、同じタイミングで上映される一本の映画を観る。早送りも、一時停止からの巻き戻しも、映画館ではできない。同じ速度で同じ方向に流れる時間の中で、みんな黙って映画の世界に没頭する。映画の前では、誰もがフェアだ。誰が優れているとか劣っているとか、そういうことはない。新作映画の上映のときは特にそうで、観客みんながその作品について知らないという同じラインに立っていて、期待や不安を胸に抱えながら、まだ見ぬ世界へ想像を膨らませる。映画を味わうためのルールがあり、それをみんなが守っている。劇場内のあの不思議な感覚が、たまらなく好きだ。

 『チェンソーマン』の39話で、主人公のデンジは憧れの存在であるマキマさんとデートをする。女性とのデートが初めてで朝5時に待ち合わせ場所にやってきてしまうデンジが、一日の予定をマキマさんに尋ねると、「今日は今から夜の十二時まで映画館をハシゴして見まくります」という答えが返ってくる。
 描写から推測するに、おそらく二人はこの日午前中から合計六本の映画を観ている。映画の長さは、一本あたりだいたい二時間だろうか。合間に休憩を挟んでいるとしても、約十二時間は映画を観ている計算になる。これは正直やばい。わたしも一日に映画を何本まで観られるか映画館をハシゴして試したことがあるけれど、四本が限界だった。四本目でちょっと寝た。映画を観るのには、体力と集中力がいる。さらっと六本もハシゴできてしまうマキマさんと、初めてなのにそれについていけるデンジは、すごすぎる。
 チェンソーマンの世界には「悪魔」が存在する。トマト、チェンソー、日本刀、幽霊。人間に恐れられるものはすべて「悪魔」として世界に受肉し、恐怖の総量が多いものほど悪魔の力は強い。マキマさんは悪魔を対策する国家公務員で、謎が多く、底知れない力を持つ恐ろしい存在として描かれる。物語が進むほど、彼女は想像を絶する無慈悲な行為によって、作中のキャラクターだけでなく読者であるわたしたちに対しても恐怖心を植え付け続ける。物語の終盤、その正体が「支配の悪魔」であることが判明し、そして彼女の夢が「他者との対等な関係を築くこと」だったと明かされたとき、わたしはこの39話の映画デートの回を思い出していた。
 映画館のスクリーンの前では、わたしたちは優劣のない観客になる。同じ硬さの座席に座って、同じ時間の中で同じ映画を観る。それは他者と歪んだ関係しか築けない、マキマさんも同じだ。誰かを支配することからひととき自由になって、一人の観客として他者と同じように映画の世界に浸れることは、もしかしたらマキマさんにとっても癒やしの時間になっていたのかもしれない。

「十本に一本くらいしか面白い映画には出会えないよ」「でもその一本に人生を変えられた事があるんだ」
 二人が観た六本目の映画、同じシーンで、二人は涙を流した。
 誰かと一緒に映画を観て、隣に座るその人の横顔を盗み見ることはできても、その人の胸の内を本当に知ることはできない。本心を隠し、人を支配下に置いてきたマキマさんの言葉は、信じてよいのかわからない。でも、ミステリアスで得体の知れない存在のマキマさんがデンジの隣で流した涙は、本物だったと信じたくなる。映画について語った言葉は、本当だったと思いたくなる。
 彼女の人生を変えた映画は、何だったんだろう。それは今ではデンジにも、わたしたちにもわからない。映画館に行き、座席に座り、上映を待つ時間に、デンジはあの日のデートのことを折に触れて思い出すのだろうか。映画の上映開始を待ちながらコーラを啜るわたしも、そんな想像をしてしまうのだ。

 

≪作品紹介≫

チェンソーマン

藤本タツキによる日本の漫画作品。現在2部作。第1部は2018年から『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載、第2部は「少年ジャンプ+」(同社)で連載中。主人公の少年デンジが悪魔と契約し、「チェンソーマン」として活躍する。映画のオマージュやパロディが多く見受けられ、テレビアニメ(2022年10月~12月、テレビ東京系列ほか)のオープニングにも演出として用いられた。

『チェンソーマン』|集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト
https://www.shonenjump.com/j/rensai/chainsaw.html

 

2023.1.12更新

 

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次回予告

1月中の更新を予定しています。次回もお楽しみに!

単行本情報

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発行:ナナロク社
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著者プロフィール

岡本真帆

一九八九年生まれ。高知県、四万十川のほとりで育つ。未来短歌会「陸から海へ」出身。

Twitter: @mhpokmt

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  • 岡本真帆(おかもと・まほ)

    一九八九年生まれ。高知県、四万十川のほとりで育つ。未来短歌会「陸から海へ」出身。第一歌集『水上バス浅草行き』(ナナロク社)
    Twitter:@mhpokmt