京都の生活を綴ったコミックエッセイ、『京都ご近所物語』。
その著者・ムライさんご夫婦の出会いから現在までには、
マンガには描かれていない波乱万丈の物語がありました。





【出会いは大学の試験場】



── 『京都ご近所物語』では、ムライさんと、旦那様の「ゴさん」こと呉ジンカンさんが、いっしょに京都の生活を楽しんでおられる様子がいきいきと描かれています。お二人の出会いについて教えていただけますか。

最初は京都精華大学の入試の時ですね。ゴさんが先輩で、AO入試のお手伝いをしていました。なんか背の高い人がウロウロしてるな〜と。あと眼鏡もポイント高かったです。

自分は当時、博士課程の2年で……彼女とは7歳離れているんですが。試験の時に提出する課題があって、その時に描いたマンガのキャラそのままだなぁと思ってました。当時も実際に帽子を被っていて。




── お互いうっすら気にかけていたと。そしてムライさんの入学後、再会を果たし。

ゴさんは当時、授業のアシスタントもされてたり、あと先生たちとご飯食べに行ったりする時にゴさんもいましたね。いつもわかりやすい格好で……よく黒い服を着ていた。

黒いほうが痩せて見える(笑)、というのもあるんですが、何かキャラクターであろうとしていたのかもしれないですね。現実味のないものに憧れがあったんだと思います。

かっこつけマンですな。それで一緒に住み始めたくらいから、やっと気づいて。「黒い服ばっかりやないか!」と。


遅い(笑)。でもムライに会うよりもっと前は「歩く火山」と言われていましたね……。「この授業には意味がありません!」とか言って、先生たちとぶつかったり。しかし自分が授業の代行をするようになると、教える苦労がわかったのでいろいろ変わりました。

今はジェントルマンすね〜。



大らかな生き方を、高取英さんから学んだというのも大きかったですね。例えば、博士課程で理論系の本をたくさん読まないといけなくて、しかしなかなか読めなくて、とてもイライラしていた。博士課程のプレッシャーが大きくて、自分はもう駄目だと……。そんな時に高取さんが「本を最後まで読めないのはゴちゃんが駄目なんじゃなくて、その本が面白くないんじゃない?」と言ってくれて。そこから心機一転、本を選ぶとスラスラ読めるようになったんです。とても救いになりましたね。そういうこともあって、大らかになってから、ムライと出会いました。



【内心、ドキドキしてましたなぁ】



── 食事の席とかで話したことは覚えていますか?

マンガの話とかアドバイスを聞いてたような……。オススメの作品とか。でも内心ドキドキしてましたなぁ。___________________________________________
ほんと? いまそれ聞かされるとこっちがドキドキしちゃいますね。


そういえばその頃、とある用事で一緒に電車に乗る機会があったんですが、「次です」ってゴさんが言ったのを、「好きです」と聞き間違えて……。

ははは。



「へっ!?」って一瞬声が出たあと、 「次の駅です」って言われて。それくらいには意識してました。

── ゴさんはムライさんのことを、いつ頃から意識しはじめたんですか?

それ気になる(笑)。



自分も最初の頃からですね。でも女性とお付き合いしたことがないし、人と一緒になることはないと思ってましたから、意識するだけで止まっていました。でも単純にかわいいとか、そういうのじゃなかったと思います。キャピキャピしているわけじゃなければ、物静かな感じでもなく。なんというのかな……例えば恋愛結婚したら最初はラブラブでしょうけど、お互いの悪いところが見えてくると幻滅してしまうとかもあるでしょう? なので私の理想のタイプは、どれだけラブラブになれるのかではなく、ずっといい友達でいられる人。

そうだったのか……!



ずっといい友達でいられれば、ずっとラブラブできると。そういう意味で「いい子だな〜」って思って見てました。


お互い隠し事とかできないタイプというのもあって、付き合った後も結婚した後も、あんまり ギャップを感じることはなかったですね。

── ムライさんがゴさんのことを好きだったのも、わりと最初からバレバレだったんですか?

それはわからなかったです。告白されるまでは。__________________________________________



【先輩のこと、めっちゃ好きでした!】



一期生の12 月に、「お返し会」というのがありまして……。マンガコース内で「新入生歓迎会」というのが春に大学の食堂であるんですが、冬に新入生がそのお返しをするって感じの。前から告白しようかどうしようか迷ってたんですが、ここで、と思って。

── もうすぐクリスマスだし。

いや、それはなかったんですが、早くしないと卒業して帰国してまう!とも思っていて。台湾は兵役があるとも聞いていましたし。それでひさうちみちお先生が、たしかゴさんと仲良しだったなあと思って、 「ゴさんて彼女いるんですか?」と聞いてみたんです。優しい先輩ですので、おそらくモテるだろう……とは思っていたので、一応念のために。

てへ。



そしたら「たしか、おったなあ」と。もうガビーンですよ。「そうなんですか〜……」って言って そそくさと食堂の隅っこへ……。そんでぐすぐす泣いてたら友達が来たんで、「実は……」。そこで初めて、ゴさんのことが好きだったということをみんなに話しました。「そうやったんや〜」って感じで、みんな優しかったです。

そこで自分も泣いてるのに気づいて、「どうしたの?」って 。__________________________________________

内心、「うわあぁ、こっち来るー!」って思ってましたよ。でもしょうがないから、「あの……彼女さんいらっしゃるって 聞いたんですが……」と。

「え? いないんですけど……」って。なんかひさうち先生は、食事に行った時に私がした発言を誤解してたみたいで。そうしたらムライが「え?」って、顔をあげて……。

ここで言わないと後悔する!と思って、「先輩のことめっちゃ好きでした!」と 泣きながら言うてました。




キターーーーーッ!!って感じでしたね。その時のムライ、可愛かったなぁ……。でももう頭真っ白で、後のことはあんまり覚えていない。

友達も告白の後、ゴさんに「ムライはええ子やで」とPRしてくれたりして。マンガの中に出てくるM子とかもそこにいました。_______________________________________
ムライがええ子やというのはもちろんわかってましたけど(笑)、でもある意味みんながキューピッドでしたね。それで「じゃ……よろしければ」的な感じで付き合うことになったのかな。



【ムライさんを泣かしたら絶対許さん】



ちなみに当時、ゴさんのフルネーム、知らなかったんです。



「ゴさん」で通ってましたからね。______________________________________________________________________________________
そうそう。だから中華圏の人なんやろなぁ〜とは思ってました。それでその時「すみません、実は先輩の本名知らないんです」って 名刺をもらったのを覚えてます。でも「塵罡(ジンカン)」…読めない…みたいな。

フリガナ書いてなかったかも。それで実はその時、別に用事があったんです。さそうあきら先生とマンガ原作者の先生を、私が引き合わせる予定だったんですが、そんなこんなで 肝心の私が大幅に遅れてしまいまして……。「なんで遅れたんだ?」「いや実は……」と正直に言ったら、「俺の教え子になんてことを!」的な。

「ムライさんを泣かしたら絶対許さん」じゃなかったっけ。



そうかも。親心でした。でも酔っ払っていてかなり絡まれた(笑)。


それで家に帰ったら、ゴさんから「これからよろしくお願いします」ってメールが来たんですよね。翌日そのメールを何回も見て、 「夢じゃねぇ!」って歓喜してました。

こちらも夢じゃないかと。にわかに信じられなかったから、同じ気持ちでしたね。


10年前っすね〜。



そんなになりましたか。10年……。




【「好きなことやり」と母に言われて】



── ゴさんが台湾から、日本にいらしたのはいつでしたっけ。

来日したのは1999年で、大学に入学したは2000年。京都精華大学のストーリーマンガコース入学のために、日本に来ました。少年マンガを描きたいと思ってたんですね。もともとほしの竜一先生の『SDガンダム外伝 騎士ガンダム物語』シリーズが好きで。その後ジャンプ作品、『ドラゴンボール』『幽遊白書』……青春でしたね。しかし院生の時、ひさうちみちお先生との出会いをきっかけにガロを知りました。それから高取英さんと知り合って、やまだ紫先生や白取千夏雄さん、どんどんディープな世界に……。

── マンガは、ご自身でも描かれてたんですか?

学生時代は20本くらい描いたかも。最後にちゃんと描いたマンガです。




『COOD YEAR』(C)林海象 呉ジンカン            *クリックで大きくなります。


めっちゃ最新作じゃないですか。



2年以上前ですよ。今はもう、頭が編集脳になっていて……作家に必要な勢いというか、自由さが出てこないですね。


── そういえばムライさんはもともとなぜ精華に?

小学校からずっとマンガ家になりたくて、 マンガの大学があるならそこにって感じでした。 最初はマンガばっかりじゃダメかもと別の分野の大学への 進学も考えましたが、「好きなことやり」と母に言われまして。

私とは正反対。うちの両親はマンガについては大反対でしたし、両親との仲もとても悪かった。大学院は「就職に良い」という両親のすすめで、自分は気が進まなかったけど、でも大学院に進学していなかったらムライとの出会いもなかったですね。



【え?(笑) 言っていいのかな】



── ともあれ、交際が始まったお二人ですが、最初のデートは覚えてますか?

映画観に三条に行きました。『アイ・アム・レジェンド』。ゴさんめっちゃビビってましたな。


怖かったんだもの。それから京都府立植物園で初めての2人のクリスマスが印象に残ってますね。夜にライトアップがあって、とても綺麗でした。

あと、『京都ご近所物語』にも描いている 清水寺のライトアップですね。東山花灯籠中のライトアップで、 普段行かない街を歩けたのもよかった。


   『京都ご近所物語』【11月・紅葉と京漬物】より


ふむ。________________________________________________________________

── ゴさん的にはそれほどでも?

植物園のほうが……。____________________________________________________

── どのあたりがでしょう。

え?(笑) 言っていいのかな。_____________________________________________________

え、恥ずかしい。_____________________

── キス的な……。

手前すね。



その時はムライの化粧が濃くて、私は黒いコートですから、すごく白い跡が残っていました。


それでお察しを。



── でもよくそこでハグでとどまりましたね。

んま(笑)。____________________________________________________________________________________________
まだ付き合って1週間くらいすよ。______________________________________________

── あ、そうか。じゃあ次のステップに進んだのはいつなんだ、という話になりますがそれは。

言いません。______________________________________

── ですよね。



【兵役で思いっきり太りました】



── そして先にも言われましたように、台湾には兵役があり……。これはいつ頃行かれたんですか?

つきあってから4年目? 私が大学卒業したあたり。



2011年。私が博士課程満期退学後で、30歳でした。台湾では19歳、大学へ進学する人は卒業してからの入隊が義務で、兵役の時期を延ばせるのは30歳が限界でしたので、ギリギリのタイミングでしたね。兵役は11か月間で、日本に戻ってきたのは2012年の6月です。

年齢も年齢なので、 演習とか大丈夫かな?っていう心配はありましたね。あと マッチョになって帰ってくるのを期待してたんですが。


自分もマッチョになりたかったんですけどね……逆に太りました。最初の1か月間は基本訓練がありまして、それはそれは健康的になったんですが、その後隊に配属された後、体力がないのと年齢が高いということで、事務職の、しかもカウンセラーを担当することになったんです。要は兵役に行く人々の悩み相談とか、愚痴を聞く役でした。まるで編集者……。

(笑)



それが24時間のシフト制で、生活リズムがメチャクチャになってしまい、思いっきり太りました。



【実は私は、あんまり寂しくなかった】



── 兵役中は、ムライさんと連絡を取ることはできたんですか?

それがですね、結構しょっちゅうできたんですね。「兵役どんな感じ?」とかマンガの話とか。


休日はバラバラなんですが、平均すると月に2回くらいあって、自宅に戻るんです。その時はネットを使えたので、Skypeで。


そういえばSkypeでなんか顎が丸く……と当時思ってた気が。 加えて頭もボーズになってましたしね 。


兵役でボーズは義務なので。






最初はびっくりしましたが……慣れましたね。あと、軍から電話かけてきたでしょ。


休憩時間は、施設の中の公衆電話で電話してもよかったんです。でも高かったね。電話カードで国際電話、すぐに点数がなくなっちゃう。

── 軍から電話するのは、どうしても声が聞きたくなった時に?

そうですね。寂しい時とか……。



カウンセリングで、辛そうな時もあったね。



カウンセラーで一番難しいのは、面談の記録は必ず上に提出しないといけないのですが、何か打ち明けてくれたとしても、報告しないほうが良い場合もあるわけで……。書類になると、解決したことでも改めて問題になってしまいますしね。それを見極めるのが難しい。いろいろ勉強になりました。

実は私は、あんまり寂しくなかったんですね。結構連絡取れるってのもあって。


はは。



ゴさんすまん。



でも兵役のおかげで実家と和解できたので、それはそれで結果オーライ。実家にいることで、両親と会話する機会が増えた。自分の今までの人生は中学校から全寮制の学校に進学し、それ以降はほとんど家にいなかったので。



【当時が一番、修羅場だった】



── そんなこんなで兵役が終わり……。

京都に戻りましたね。大学で指導教員にお願いして、文化活動のビザを取得しました。そしたら当時竹熊健太郎さんが、ギャグマンガコースを立ち上げて、助手で来てくれないかと。

ちなみに私は卒業後すぐに、滋賀の実家に戻っていたんです。家も別に就職しろとか言わない家なので…… 。その頃ネット回線を使ってさそうあきら先生のアシスタントやりつつ、 「IKKI」(当時)の豊田さんとネームのやりとりをしてました。

── 京都と滋賀の遠距離恋愛になった。

そうですね。当時家を離れたくなかったのがあって……。母が数年前から癌で闘病中で、体調が崩れてきた時期だったんですね。 そんな中結婚して家を出ていいものかと。それに独り立ちする自信もなかったしで。

── 結婚のことは、すでに考えていたんですね。

そうですね。ゴさん以外考えられなかったかも。



あの頃、私の中では「ムライのお母さんに晴れ姿を見せたほうが……」という思いがありましたね。でもなかなか話がまとまらなくて、関係がピンチになった時もあって。

当時が一番、修羅場だった。定職じゃないとか安定してないとか言って 延ばし延ばし。しかし自分も安定職じゃないのに、偉そうなこと言うてましたなぁ……。

こちらとしては、「定職についてから結婚するというのは、逆にお金目当てということになるから嫌だ」……という屁理屈を(笑)。しかしそもそも、私がやろうとしていることは、定職からは縁が遠い仕事でしたので、困り果てました。

でもなかなか納得できませんでしたね。「2人で行き倒れたらどうすんねん」って。ゴさんが定職につくか、自分の連載が決まったら、って感じで。入院中の母にも「ゴさんと最近どうなん?」って、めっちゃ心配されてました。

自分もビザのことがありまして、いろいろ手を打っていたのですが、どれも上手くいく保証がないわけで。悶々としていましたね。


その後、母が亡くなってすげー落ち込んでいたんです。ゴさんとの電話でも黙ってたり……。




【「結婚って楽しいよ〜」って】



そんな時に、大阪のあるお店で個展をやらせてもらうことになって、 そこのオーナーさんが家賃15000円で生活してるって聞いたんです。そこで数日過ごしていてすごい楽しかったのが 、定職につくって考えを少しやわらげてくれた。お金がないからといって明日死ぬわけじゃないと。それから大阪のついでに、兵庫に住んでる伯母さんの家を訪ねた時に「結婚って楽しいよ〜」っていう話が出たんです。

── あの、『京都ご近所物語』にも描かれている……。

   『京都ご近所物語』【12月・嵐山と年越し】より


そうです。その 個展や伯母さんとのお話で 、かなり元気になりました。ゴさんと向き合う余裕もできたかも。__________________________________________
なるほど。



── そしてプロポーズ的な?

元々ゴさんからは「結婚したい」と、大学の頃から言われてましたな。


ほかに考えられなかったですね。



付き合って1か月くらいで言われた気が(笑)。でも私からはなんか、はっきり言えてなかったかもしれません。それで伯母さん家に泊まった翌日くらいに、京都でゴさんに会ったんです。 駅まで迎えにきてくれて 、その道中に「そろそろ籍入れようか」と切り出しました。

ドキッとしましたね。その心境の変化はなんなの!?って。こちらはもう「お、おう!」って感じで。





そっからはスムーズでしたなぁ。



ですなぁ。



日本で簡素にあげて、 台湾では向こうのご両親のご意向で、かなり盛大な披露宴的なものを開いていただきましたが、ゴさんの兵役時代の同僚さんも結構きてたよね。ゴさんのお父さんのご友人とかも、大勢。

でしたね。_____________________________________________________________________



【人は助け合ってこそ生きていけるのだ!】



── そこからムライさんは、京都に住まわれることになったわけですね。

そうです! いまのお家が見つかって……ゴさんは、一軒家にこだわりがあったんですね。ご近所さんとの交流を重視したいとのことで。

── まさにご近所物語。

「町内会も入るぞ!」って意気込んでた。



「人は助け合ってこそ生きていけるのだ!」的な(笑)。マンションとか、隣が誰か知らないとか、そういう状況を避けたかったんですね。

うちはコミュ障なんで「む、無理…」って思ってましたが(笑)。今では町内会やら参加してホンマに良かったと思ってますよ。お隣のおばあちゃんやご近所さんも色々気にかけてくれていますし 。

── 『京都ご近所物語』に描かれているとおりですね。


   『京都ご近所物語』【7月・鱧と祗園祭】より


町内に優しい人が多いのが、ありがたいです。今は子供もできて……少子化なので、子供がいるというだけでもだいぶ喜ばれましたね。ともかく結婚してからは毎日が幸せ。自分は両親とうまくいってなかったので、仲の良い家庭をどうしても作りたかったわけで……こうして大事な人と一緒にいられることは、なによりの幸せです。







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2017/05/11更新
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    滋賀県出身、京都府在住の漫画家・イラストレーター。 京都精華大学マンガ学部出身。 同大学在学中に月刊IKKI(小学館)にて超短編漫画4本でデビュー。 ゲームのコミカライズや劇団の公演パンフレットの取材漫画なども手がける。 好きな食べ物はカレーライス。 主な著作に『路地裏第一区~ムライ作品集~』『マキーナ』(共に小学館)、 『砂海の娘~CAT IN THE CAR~』(辰巳出版)など。
    Twitter:@kusamurai
    HP:http://kusamurai.web.fc2.com