30万部ベストセラー『失踪日記』から8年をかけて執筆された、
失踪後の顛末を描く続編『失踪日記2 アル中病棟』──
感銘を受けたとり・みき氏が、著者の吾妻ひでお氏に迫ります。
とり まず、おつかれさまでした。本当に。
吾妻 こちらこそ。背景を手伝っていただきまして(笑)。
とり いえいえ、わずかなページで(※藤井ひろし氏他アシスタント勢に加わり、とり氏も数ページ背景を手掛けている)。
吾妻 でも背景だけでもとりさんの味が出てるんで、どのページをやったか読者は一発でわかると思いますよ。独特の、粘っこいペンタッチがあるね。どうやって描いてるのか知らないけど。
とり 細かいところはミリペン、タッチが付いてるのは筆ペンですね……いや、そんなことより(笑)。完成原稿を通して読ませていただいて、非常に感銘を受けました。
吾妻 ありがとうございます。
とり 大作ですよね。350ページ近いですから。
吾妻 描き下ろしで、締め切りも枚数制限も無かったから。
とり トータルでどれくらい掛かったんですか?
吾妻 えー……っと何年掛かったかなあ。『失踪日記』が出て、わりとすぐに始めたから……10年くらい?
とり 『失踪日記』が2005年の3月ですね。ということは8年。もちろんこの間に他の本もいろいろ出されてましたけど。
吾妻 途中で「これ、終わらないんじゃないかなあ」って思ってた(笑)。
とり 途中途中での締め切りも設定されてなかったんですか?
吾妻 一応毎月1回担当のKさんに来てもらって、上がった分だけ見せるっていうのはやってました。
とり ネーム段階でも見せていたんですね。
吾妻 そうそう。最初「暗い」っていうダメ出しが出て。確かに虚無感が漂ってた。
とり 十分漂ってますけどね、まだ(笑)。
吾妻 それから反省して大分明るくしたんですよ。その時ちょっと鬱状態だったんで(笑)。できるだけ明るい感じで、笑えるようにしたいと思って。
とり 出てくる人はみんな仮名ですよね?
吾妻 仮名です。一応個人が特定されないように。
とり これだけ大勢のキャラクターが出てくる群集劇で、なおかつそれぞれ顔を描き分けるっていうのは簡単なことじゃない。自分も描き手だからわかりますが、シンプルな線で個性を持たせるのは、実は非常に難易度が高くて。どうしてもパターン化してしまいますから。
吾妻 それは実際に、濃いキャラクターばかりだったから(笑)。
とり 嫌なキャラクターも出てくるわけですが、ずっと読んでると、最後には親しみが湧いてくる。吾妻さんが多少突き放した視線で描いてるからっていうのもあるんでしょうけど、人間の仕方なさっていうのが伝わってきて、逆にそれは憎めない部分ですし。
吾妻 おれも描いていて、「自分は本当に性格悪いなあ」って思ったよ(笑)。
とり ギャグマンガ家は性格悪いものですから(笑)。
吾妻 大体ひねくれてるからね。「こいつネタにしてやろう」って、必ずそういう目で見てる。
とり 引いて見てますからね。でも看護師さんはみなさんかわいくて。
吾妻 看護師さんはほんと気を遣って描きましたから。今後もお世話になるかもしれないし(笑)。
とり 女性は押しなべてかわいく描かれていて、それが読者としては救いです。
吾妻 描いてるほうとしても、おっさんばっかりだと潤いが無いから(笑)。
とり 鬱の象徴のキャラクターもかわいい。
吾妻 元はあれ、つげ義春さんの『夜が掴む』の感じで。
とり あれのギャグバージョンなんだ。ぬいぐるみになりそうですよね。うつぐるみ。
吾妻 いいねえそれ(笑)。
とり 多少気を遣われるところもあるでしょうけど、ご自身のことも含めて、いいことも悪いことも等価に描かれているのは非常によかったです。漫画に対する信頼性も増して。赤裸々なんですけど、露悪的ではないんですよね。
吾妻 基本、みんな性格悪いから。誰かがスリップ(飲酒)すると、大喜びする。「やったー!」って(笑)。「これで退院が1ヵ月延びたな」みたいな。
とり (笑)
吾妻 まあ、やっぱり本当に描けないこともいくつかあって。でもそれはマンガの面白さと関係ないところだからね。
とり 今回はすごく絵が細かいでしょう。1コマの中に、こんなにたくさん人間を描いてるマンガがあるんでしょうか今どき(笑)。
吾妻 単行本になる(=原画が縮小される)ってことを考えないで描いてたね(笑)。いや、描いてる時はわりと楽しいんだよ。申し訳ない。
とり いえいえ。1コマ1コマ、読み飛ばすことができなくて。じっくり読むといろんな発見があるんですよね。今こういうギャグタッチで、しかも全編にわたってかっちりした背景が入ってるマンガって無いでしょう。『失踪日記』でも言いましたけど、キャラクターはほぼ全身フルサイズで入っていて。
吾妻 『失踪日記』の時はコマが1ページ4段だったんだけど、今回は3段にして。そしたら余裕が出るかなと思ったら、結局それに合わせて描き込んじゃった(笑)。
とり 自分も締め切りがキツい時ほど描き込んじゃいますね。「完全主義者は身を滅ぼす」っていうセリフがあって、身につまされました。
吾妻 昔は締め切りに間に合わせるのを、最優先にしてたんだけどね。
とり ああ、だから逆にそのプレッシャーで失踪された。……ご自身のキャラクターが2等身だったのが、今回は3等身になってたり、全体的にリアルになってるのは、これはあえて──
吾妻 あえて。5年くらい前からデッサン教室に通ってるっていうのもあって。
とり それは何か思うところが?
吾妻 絵が上手くなりたいと思って(笑)。あと絵の学校とか行ってないから、そういうあこがれもあって。
とり スクールライフに。
吾妻 西原理恵子だって美大ですからね。自分もそういう雰囲気に浸りたいなあと(笑)。すごく楽しかったですよ。
とり いわゆるデッサンと、マンガの絵は全然違いますよね。
吾妻 そう、だから全然描けないんですよ。絵がマンガになっちゃう。そこからリアリズムに近付くのに、1年掛かったな。もちろん、マンガの中でそこまでリアルを追求しようっていうんじゃないんだけど、そういう勉強も経験しておきたいなと思って。
とり 作中に、入院中に描いた絵っていうのもあって。
吾妻 ああ、ひどいミャアちゃんの絵が。これは本当に当時描いたのを、切り抜いて貼ったんだよ。
とり でもこれくらい描けないということは、日常生活にも支障があったんですか。
吾妻 いや、日常生活はなんともないんですよ。まあ末梢神経がしびれるとかね。
とり ぼくも最近手足がよくつるんですけど……まずいですか。講義のところ(46頁)で「えっ!」って思ったんですけど。お酒呑んだ時になるんですよ。
吾妻 ああ……気をつけたほうがいいよ。
とり そんなに呑んでるわけじゃないんですが。むしろ呑まない日のほうが多いくらいで……夜中にラーメン食べるからかなあ。
吾妻 ああ(笑)。
とり 夜中に焼きそば食べる人の話があるでしょう。あれ読んで「まずいな……」と。
吾妻 糖尿病になっちゃうからね(笑)。
とり やっぱり早く退院したいと思われてましたか。
吾妻 最初の1ヵ月くらいはそうだったんだけど、あとはもう「このままでもいいかな」って。だんだん楽しくなってきて(笑)。お酒も呑まないように見張ってくれてるから。退院後のほうが自由なんだけど、逆にそれが怖かったね。
とり 呑まない秘訣ってなんなんでしょう。
吾妻 皆言ってることだけど、あんまり先のことを考えないで、展望を持たないってことかな。今日一日が楽しければいい。酒呑まないと朝の目覚めもいいですからね。メシもうまいし。
とり 終盤の「体験発表」で、いちいちギャグを考えてるのが面白くって。考えなくていいのに。
吾妻 だって人数がいるなら、笑わせないと(笑)。今もトークショーなんかだと、ネタをすごい作っていくんだけど……こないだ書店でやった時は、司会者が進行通りやってくれなくって、おれのネタが全然炸裂しなかった。
とり 用意してたんですね。
吾妻 こっちはすっごい段取りしてた(笑)。
とり でもあのあと、お嬢さん(長女)は「今日は良かった」ってOK出してたじゃないですか。
吾妻 笑いにうるさいからね。毎日のようにお笑いのライブに行ってるから。
とり 吾妻さんご自身も作中で「芸人志望だった」って言われてますね。
吾妻 中学校の頃に、落語家になりたくて。ずっとラジオで落語を聴いてた。(三遊亭)金馬さんの時代で。漫才師にもなりたかったし。『シャボン玉ホリデー』とか、あと『ルーシー・ショー』みたいなアメリカのコメディも好きだった。
とり それはマンガを描く前から。
吾妻 そういう、笑いを強制しない笑いにすごい影響を受けて。SFもそうなんですけどね。SFのギャグっていうのも、フレドリック・ブラウンなんかボケるだけボケてつっこまないでしょう。
とり つっこむのは読者にゆだねて。そうすると「どこが面白いのかわからない」って言われるんですよ。
吾妻 そうそう(笑)。とりくんは落語研究会だったでしょ?
とり そうです。上京して、人間が変えられると思って……変えられるわけがない(笑)。テクニックとして、演技で社交的に振る舞えるようにはなりましたけどね。
吾妻 それまでは非社交的だったの。
とり 全然人見知りですよ。今でもお芝居とか見に行っても、楽屋にあいさつに行けなかったり。知り合いなのに。
とり さっきも話しましたけど、『アル中病棟』はやっぱり、あらゆる人の人生が等価に描かれているのがいいんですよね……。お話に大きな感動を求める人にはそこが物足りない部分かもしれないけど、この達観や諦観が自分にとってはむしろ感動的で。あと単純に、知らないことばかり描かれてますしね。普通の人があんまり行かない所の話ですから。
吾妻 少しでもアル中病棟の面白さが表現できれば、と思って。
とり 中の様子や体験を仔細に描かれてる。境界まで行って戻ってきて冷静に描写されてますから。しかもハウツー本みたいにも読めますし。これから入る人や、入れる人にとっても、どういう所か全然わかんないとやっぱり怖いですからね。
吾妻 相当自由な、「アル中の合宿所」みたいな所なんですよね。だから普通の病院とはちょっと違う。
とり それがちょっと意外でした。もっとみんな拘束されたりしているのかと。
吾妻 自分で出たいと思ったら出られるんですよ。そこも強調しておきたいところで。
とり さて8年でようやく本ができたわけですけど、感慨みたいなものはありますか。
吾妻 うーん……。描き終わったらもう、わりと興味が薄れちゃうんだよね(笑)。
とり わかります。自分もそうですから。
吾妻 もちろん売れてくれればうれしいし。かといって自分が面白いと思ってることと世間が面白いと思うことが、一致するとも限らないし。売れなければまた何か描くし。もっと言うと『失踪日記』はあれでひとつ完結してるものだから、その続きを描くっていうのもいいのか悪いのか……っていまさらなんだけど(笑)。
とり いや、読者でも『アル中病棟』を読む前にそんなふうに思ってる人がいるかもしれないんですけど、でも『アル中病棟』は『失踪日記』のオマケみたいなものでは全然ない。内容も描写も、正直に言えば、むしろ『失踪日記』以上にすごい作品ですよ。
吾妻 自分の描くマンガの中に自分を出すことがおれは多いけど、それはすごく救いになってるんだね。もうひとつの現実を描いているような……。こういうマンガのような世界に行きたい。現実は辛いけど、マンガによって救われてる。誰だって、何らかのしんどさは抱えてると思うんだけど。
とり それはもちろんそうですね。
吾妻 だから一概にアルコール依存症を責められないだろうっていうのが、どうしてもあるんですよね。自分の中に。
(了)