エンドレステープ
スーパーや商店街には、何らかのBGMが流れている。無音状態だと雰囲気がないから、何かBGMをかけなければならない。ただ、あまり人の感性に訴える音では邪魔になる。そこで歌謡曲をフュージョンふうのインストゥルメンタルに仕上げて流していることが多いのだろう。ただそれは、音楽としては無味乾燥で味気無いともいえる。
感性に訴えかける音楽ではないが、あのサウンドがすごく心に響くという人もたまにいる。ジャズやクラシックを聴いても全く感動しないが、商店街のBGMに心を揺るがされるという人。
そのひとりに、谷ケイゾウという男がいた。四十代のサラリーマンである。
谷は商店街で流れているBGMが好きだった。表層的には無味乾燥だが、節々に”アルファ波”が出ているというのが彼の持論だった。
商店街に流れているBGMの多くは、普通のレコードショップではもちろん売っていない。需要がないからである。
売っているのは、合羽橋の問屋街である。合羽橋には商店街用BGM専門の問屋があって、正式には「エンドレステープ」という名称で取り扱われている。BGMとしてエンドレスで流すことから、その名前が付いた。
谷ケイゾウは商店街のBGMが合羽橋で売られていると聞いて、毎週通うようになった。新作を見つけては購入し、夜な夜なステレオで聴くのが楽しみだった。
エンドレステープのパッケージにはクレジットが入っていない。何の曲が入っているかは書いてあるが、誰がつくったとか、どうやって制作されたとか、そういったデータは記載されていない。
今のエンドレステープは、コンピュータによるMIDIデータ音源の打ち込みでつくられている。サックスふうの音も、生楽器ではなくMIDI音源だ。
エンドレステープを聴き込むうちに、谷ケイゾウはどうしても誰がつくっているのかを知りたくなった。
思いきって問屋の人に「これ、誰がつくってるんですか?」と訊いてみたことはあるが、「いやあ、それはわかりませんね。トンヤなんで」と素っ気ない。
ただ、そのテープの発売元がマルタニ商会という会社だということはわかった。
マルタニ商会は、元々カラオケ用の音源をつくっている会社だった。
カラオケといっても、マルタニ商会がつくっていたのはごく初期の時期、八トラックのテープで制作されていた時期だった。しかし通信カラオケの時代になるとカラオケの伴奏が進化し、ホンモノの音源に近い伴奏が主流になる。そうすると、マルタニ商会がつくるような陳腐な音源で満足する人は少なくなり、マルタニ商会のテープは売れなくなってしまった。今ではもう、カラオケの音源を生産していない。
どうしてもエンドレステープの制作者を知りたくなった谷ケイゾウは、マルタニ商会の社長を訪ねる。社長は元々、浪曲や民謡の伴奏で三味線を弾いていた人であった。
最初は制作者について口を閉ざしていた社長だったが、谷ケイゾウが自分はいかにエンドレステープが好きか説き続けた。
「あの音色の響きが気持ちいい」
「ヒット曲の解釈の仕方が斬新だ」
「”アルファ波”が出ている気がする」
「その人がもし他に作品を出しているのなら、是非教えてほしい!」
その熱意に負けてついに社長は口を開いた。
エンドレステープをつくっていたのはシド・バレットだった。
シド・バレットとは、初期ピンク・フロイドのメンバーである。脱退後は病気になって、半ば引退しているような状態だった。カルト的な人気を誇るシド・バレットの消息を様々な人が追ったが、彼は表舞台に出ることはなく、どこで何をしているのか誰もわからない状態が続いていた。しかし、数年前に亡くなるまで、シド・バレットは仕事としてずっとエンドレステープを制作していたのであった。
シド・バレットは、「音楽には匿名性がなければならない」という思想の持ち主だった。自分が演奏していることをあまりアピールしたがらない、自分の名前を出したがらない。誰がつくっているとか、誰が演奏しているのかは関係なく、すべての音楽はみんなのものだという考えを持っていた。それに加えて、元々、人前で演奏するのは苦手だったこともあって、名前を出さずに済み、無味乾燥で主張を持たない音楽であるとして、エンドレステープの制作に携わっていた。
とはいえ、シド・バレットはやはり天才であった。いかに主張のない、単なるMIDI音源の打ち込みであっても、そこに彼の天才性が滲み出ていた。そのサウンドに反応した人のひとりが、谷ケイゾウだった。
シド・バレットは日本だけではなく、全世界のエンドレステープを手がけていた。アメリカの「Kマート」で流れているブリトニー・スピアーズなんかのインストゥルメンタルBGMも、シド・バレットが手がけた音源である。
エンドレステープの愛好家は全世界にいるが、それがシド・バレットによるものだと知っている愛好家は、今のところ谷ケイゾウただひとりである。