仕事や恋愛に行き詰まっている女性が、ねこと暮らすことで
色々な気付きを得ていく…『ねこはなんにもなやまない』の
作者・山本ありさんに、お話をお伺いしました。
「ねこがいろいろ、教えてくれた 」
主人公のサチは29歳、
鳴かず飛ばずのイラストレーター。
周りはみんなどんどん成功し、
幸せになっているのに……。
自分に自信が持てず、日々焦りはつのるばかり。
そんなサチにはかつて 「ねこを飼う」という夢があった。
やがて友人の後押しもあり、
エキゾチックショートヘアのねこと出会う。
「どんちゃん」と名付け生活を共にするうち、
サチの内面に様々な変化が次々と訪れ、
今まで忘れていた大切なことに気づき始める……。
同世代の女性をはじめ、
人生に迷いを感じている方々へ。
コミックエッセイを描いてきた作者による、
初のストーリー作品です。
主人公のサチは29歳、
鳴かず飛ばずのイラストレーター。
周りはみんなどんどん成功し、
幸せになっているのに……。
自分に自信が持てず、日々焦りはつのるばかり。
そんなサチにはかつて 「ねこを飼う」という夢があった。
やがて友人の後押しもあり、
エキゾチックショートヘアのねこと出会う。
「どんちゃん」と名付け生活を共にするうち、
サチの内面に様々な変化が次々と訪れ、
今まで忘れていた大切なことに気づき始める……。
同世代の女性をはじめ、
人生に迷いを感じている方々へ。
コミックエッセイを描いてきた作者による、
初のストーリー作品です。
【Contents】
Ⅰサチ Ⅱ店長 Ⅲさとちゃん Ⅳ予感 Ⅴ決断 Ⅵ不安
Ⅶ名前 Ⅷごはん Ⅸ習性 Ⅹ素直 XI 必要 XII留守番
XIIIまり子 XIV気づき エピローグ
(Ⅰ〜Ⅲまでリンクからお試し読みができます)
Ⅰサチ Ⅱ店長 Ⅲさとちゃん Ⅳ予感 Ⅴ決断 Ⅵ不安
Ⅶ名前 Ⅷごはん Ⅸ習性 Ⅹ素直 XI 必要 XII留守番
XIIIまり子 XIV気づき エピローグ
(Ⅰ〜Ⅲまでリンクからお試し読みができます)
>> 作者の山本ありさんへのインタビュー、
【ねこは人生を前向きにさせてくれる存在】は
次ページからです。
【ねこは人生を前向きにさせてくれる存在】は
次ページからです。
【ねこは人生を前向きにさせてくれる存在】
──「ねこはなんにもなやまない」の単行本発売、おめでとうございます。連載中から感想メールがたくさん届いていました。特に主人公のサチと同じ年代の方々の共感を呼んでいるようですね。
ありがとうございます。サチと同年代の方々は、サチと同じように仕事や恋愛、結婚などの悩みをお持ちだと思いますので、共感してくれる方がいらっしゃるのはとてもうれしいです。
『ねこはなんにもなやまない』より
──山本さんはこれまで主にコミックエッセイを描かれてきましたが、今回は初のストーリー作品で。
はい。当たり前なんですけど、コミックエッセイだとどうしても自分の話になってしまうじゃないですか。でも今回は自分のことというより、生きていくことや仕事をしていくこと、そのなかでの小さな気付きを、サチというキャラクターを通して描きたかったんです。ですので「山本あり」じゃなくて「サチ」に共感してもらえるのはありがたいですね。あと、「ねこはかわいい」ということも描きたかった(笑)。ねこは癒しだけじゃなく、人生を前向きにさせてくれる存在です。
──サチの悩みは普遍的なものだと思います。かつては山本さんにも、そのような悩みはあったのでしょうか?
ありました。20代はいろいろと自分探しをしていた記憶が……。マンガ家になるのは子供のころからの夢だったんですが、今に至るまで紆余曲折があって。
──マンガはいつくらいから描いていたんですか?
小1くらいから紙に鉛筆で。それから小6の時にGペンとか原稿用紙とかスクリーントーンとか一式そろえて、ずっと読んでいた「りぼん」に投稿したんですね。そしたら奨励賞に引っかかって、すごくうれしかった。マンガ家になりたくて、可能なら中学から代々木アニメーション学院に入りたいと思っていました(笑)。
──投稿したのはどんなマンガだったんでしょう。
4コマギャグです。自分と学校の友達の話を描いて……今から考えたらコミックエッセイでしたね。でも当時は矢沢あい先生と水沢めぐみ先生、倉森明子先生が好きで、ギャグマンガはあんまり読んでなかったんですよ。なのに描いたという……。話のオチがギャグでしかなかったから(笑)。
【自分のしたことで、まわりもよろこんでくれる】
──ではその後もマンガ一筋で。
それがそうでもなくて、そのころ、バンドをやっていた兄の影響で音楽に興味を持ち始めたんですね。ユニコーン、真心ブラザーズ、スピッツ、オアシス、レスザンジェイク、バクチク、ミスチル、ビースティーボーイズ……その辺りをいろいろ聞いてましたなぁ。奨励賞の賞金もCDに使いました。
──マンガとは距離を置くようになった?
もちろんマンガも好きだったんですが、音楽への興味のほうが強くなっていったという。それで中2くらいから音楽と絵に関わる仕事がしたいと思い始めて、CDのクレジットや当時買ってた「PATI・PATI」や「B=PASS」なんかの音楽雑誌から、グラフィックデザイナーという仕事があるとわかり、その職業に就きたいと思うようになりました。
──それはあこがれとしてでしょうか。それともリアルな職業として?
リアルな職業として。だから高校も第一希望で受験したのが美術専門の高校でした。でも落ちて、第二志望だった調理科の学校に行くのです。
──あ、山本さんといえばパンであり料理ですよね。
マンガ、音楽の他に、中学の時には料理も好きになったんですよ。家でも外でも、おいしいものを食べた時に、「これどうやったらできるんだろう?」って思い始めて。それで母親といっしょに作ったら、まず作ることが楽しいし、食べてもおいしいし……それでどんどんハマっていきました。単純作業が好きだったから、ひたすら絹さやの筋とったり、ひたすら野菜切ったり、ひたすら潰したり、そういうのも楽しかったです。それで最終的においしいものができる、最高、みたいな。
──人に作ったら喜んでもらえるし。
そういえば物心付いたときから、絵を描いたり塗り絵したりというのは好きだったんですけど、それで3歳くらいに描いた絵が「色がきれい!」みたいな評価でスーパーかなんかで金賞をとったんです。親がとっても興奮してたから覚えてる。
──自分としては「へー」くらいな?
そうそう。小さいときは何も考えないで描いてるし。でも描いてて楽しいし、そのことでまわりもよろこんでくれるというのは、原体験としては大きかったかもしれない。
──そういう意味ではマンガの仕事はダイレクトな反応を受け取りづらいですよね。最近はTwitterとかありますけど。
でも描いてる最中は、自分のやっていることがこれでいいのかどうかっていうのは、全然わからないですよ〜。正解があるわけじゃないから常に不安。
──ともあれ、調理師系の高校に入り。
はい。調理師免許が取れるカリキュラムだったので、卒業後に筆記試験を受けて取得となりました。ただ3年間の調理と勉強の授業が大変だから退学者が続出。15人くらい辞めましたよ。自分も、調理の世界は厳しくて絶対やっていけないなと……。高校行きながらライブ行ってたり絵を描いたりしていました。それから河原光さんの作品が大好きで、河原さんが桑沢デザイン研究所の卒業生だったから、自分もそこに行きたいなと。
【慢心してました。若いっておそろしい…】
それで桑沢に入ったんですが、でも学校にはグラフィックの上手い人がめちゃくちゃいて心が折れたのと、イラストの授業の方が評価が良かったので、結局イラストレーターを目指すようになりました。
──どんな絵を描いていたんですか。
ひとコマ漫画みたいなイラストです。今のコミックエッセイみたいな絵で何人かキャラがいるひとコマ漫画。3年の頭にUGサトー先生の授業で「お前は天才か!!すばらしい!!」って褒められたのはいい思い出……。
──それで調子にのった。
じゃっかん(笑)。本当はその絵を1年掛けて、先生とやりとりしながらブラッシュアップして卒業制作までもっていかないといけないんですけど、慢心して何もしてなかった。その間先生は、私が自主的に頑張ってるものだとばかり……。卒業が近づいてきて、だんだん自分でもやばいなと思い始めたんですが特に進まず。最後の講評の時も、最初とほとんど絵が変わってなくて、先生は動揺されてました。「え?」ってかんじで。
──(ほめたけど、そのまんまはねえだろ……)的な。
完全にそう。若いっておそろしい。でも結局最後40枚くらい完成させて,全部卒制に出しました。このままだと卒業できなくなると思って焦った(笑)。
──そして無事卒業。
でもいきなりイラストレーターにはなれないから、どうせ働くなら勉強したことを活かせるところに就職しようと。そこから売り込みしたりコンペに出したりしようという目論見で。あと就職活動の一貫と思って、マンガの持ち込みを再開していました。
──マンガもずっと読んでたんですね。
高1の時に『日出処の天子』を読んだら面白くて、そこから大御所系のマンガに興味を持ち始めたのです。で、桑沢1〜2年は課題が忙しくて読まなくなって、ライブもあんまり行かなくなって。3年はひまだったからマンガはまた読み始めました。つげ義春とか手塚治虫とかいくえみ稜とか山岸凉子とか萩尾望都とか一条ゆかりとか松本大洋とか(敬称略)。そのころはイラストレーターと、マンガ家、両方できるといいなあと思ってました。
──持ち込みはどちらに?
「Cookie」だったかなぁ。「りぼん」のお姉さん誌の。高校生が主人公の学園もの4コマだったんですが、『ぶ〜け』が合ってるんじゃない?」って言われました。でも読んでなかったから申し訳なくて、持って行かなかったです。あと「平凡を非凡にした感じ」ともいわれたけど、今でもその意味はよくわからない(笑)。
【就職したら事業が傾き、語学留学へ】
そうこうしているうちにメーカーのデザイン部門に就職が決まりました。でも事業が傾いて部署も解散して1年で退社に……。
──なんと。その後は?
桑沢の時にずっと英会話習ってましたから、もう留学しちゃおうって、貯金でロンドンに語学留学に行きました。もともと高校の時に、イギリスのトーキーにホームステイしたこともあって、それがまあまあ楽しかったから。
──色々やってますね。ホームステイはなぜ?
母が「行ってみたら?」って。英語を学ばせたかったみたいで。母も今になって英会話をちゃんと習い出しました。64歳。
──『世界ぱんぱかパンの旅・ロンドン編』の冒頭に、ロンドン留学時のエピソードが少し描かれていますね。
勉強しないで主に旅行してました(笑)。ベルギーとかスペインとかアイスランドとかフランスとかフィンランドとか……ロンドンからヨーロッパへは安い飛行機が飛んでるし、イギリス内も£1バスっていうのがあって、ロンドン市外に1ポンドで行けるんです。あと、語学学校ではアコさんと知り合ったのが大きかったです。
──『やっぱりパンが好き』『世界ぱんぱかパンの旅・北欧編』にも登場する、山本さんの相方のような存在の方ですよね(それぞれの本のカバーにも登場)。
そうです。語学学校で同じクラスになって、お互い美術好きで調理師免許を持っていたり、話が合ってよく遊んでたなぁ。いまも親友です。本当に面白い子で。
【願いは、ぼんやり思うと大体かなわない】
──そして帰国してからは……。
アコとの留学時代のエピソードをコミックエッセイにして投稿したんですが、特に返事は来なくて。ほかにもバイトを色々してました。モバイル開発の会社でアンケート集計したり、待ち受けのイラストを描いたり、テープの文字起こしをしたり、単発でアニメの制作補助をやったり……。そういうことをしながら、人づてに入ってきた自分のイラストの仕事を少しずつ受けてました。あとパンに興味を持ち始めたのもこのころですね。23〜24歳。
──きっかけは?
アニメの会社で働いていた時に、昼休みにブラブラしていたら「fluffy」っていうパン屋があったんです。当時は松濤の道ばたで、パンが入ったバスケットを広げて売っていたんですが、それがまず印象的で。そして食べたら「なんだこりゃ〜!」って感動した。どっしりした重さもあったし、風味豊かで普通のパンとは別もの。上から直にはちみつがかかっているパンがあって、袋の下にはちみつが溜まっている状態だったりとか、「パンって自由なんだ!」って思いました。それもあってその後、家の近所のパン屋でバイトを始めて……力仕事で大変でしたけどね。
──そんなかんじで自分探しを。
でもそのころはもう「絶対マンガ家になりたい!」という気持ちが強かった。あと「イラストの個展もやりたい」と思っていました。この2つを叶えないと、死んだ時に後悔すると思って、絶対やるって決めました。そしてまず個展はできたんですね。シルクスクリーンを刷ったんですが……それは1枚も売れず(泣)。でも1点ものの絵が1枚だけ売れました。保育園でお世話になった先生が8万円で買ってくれたんです。
──いい先生。
ほんとにそう。それからマンガも投稿を続けて、単行本が出せることになりました。デビューが決まった時は本当にうれしかったです。「願いは、ぼんやり思うと大体かなわない」ということを学んだ気がする。逆に言えば、「本当に必死で目指せば、意外となんとかなるもんだなあ」って。
──前向きにがんばるといいことがある。
はい。でも本が出たら出たで、売れるかどうか心配で心配で……。喜びも大きかったですが、不安も大きかったです。ていうかその不安はいまでもありますね。でもちょっとは達観できたかな。「悩んでもしょうがないか〜」みたいな。それはやっぱり自分がねこを飼ったことも影響しています。
──ねこはそうした達観ももたらしてくれたと。
そうですね。そうした思いも『ねこはなんにもなやまない』の中に込めましたので、いろんな方に読んでいただけると本当にうれしいです。
──「ねこはなんにもなやまない」の単行本発売、おめでとうございます。連載中から感想メールがたくさん届いていました。特に主人公のサチと同じ年代の方々の共感を呼んでいるようですね。
ありがとうございます。サチと同年代の方々は、サチと同じように仕事や恋愛、結婚などの悩みをお持ちだと思いますので、共感してくれる方がいらっしゃるのはとてもうれしいです。
『ねこはなんにもなやまない』より
──山本さんはこれまで主にコミックエッセイを描かれてきましたが、今回は初のストーリー作品で。
はい。当たり前なんですけど、コミックエッセイだとどうしても自分の話になってしまうじゃないですか。でも今回は自分のことというより、生きていくことや仕事をしていくこと、そのなかでの小さな気付きを、サチというキャラクターを通して描きたかったんです。ですので「山本あり」じゃなくて「サチ」に共感してもらえるのはありがたいですね。あと、「ねこはかわいい」ということも描きたかった(笑)。ねこは癒しだけじゃなく、人生を前向きにさせてくれる存在です。
──サチの悩みは普遍的なものだと思います。かつては山本さんにも、そのような悩みはあったのでしょうか?
ありました。20代はいろいろと自分探しをしていた記憶が……。マンガ家になるのは子供のころからの夢だったんですが、今に至るまで紆余曲折があって。
──マンガはいつくらいから描いていたんですか?
小1くらいから紙に鉛筆で。それから小6の時にGペンとか原稿用紙とかスクリーントーンとか一式そろえて、ずっと読んでいた「りぼん」に投稿したんですね。そしたら奨励賞に引っかかって、すごくうれしかった。マンガ家になりたくて、可能なら中学から代々木アニメーション学院に入りたいと思っていました(笑)。
──投稿したのはどんなマンガだったんでしょう。
4コマギャグです。自分と学校の友達の話を描いて……今から考えたらコミックエッセイでしたね。でも当時は矢沢あい先生と水沢めぐみ先生、倉森明子先生が好きで、ギャグマンガはあんまり読んでなかったんですよ。なのに描いたという……。話のオチがギャグでしかなかったから(笑)。
【自分のしたことで、まわりもよろこんでくれる】
──ではその後もマンガ一筋で。
それがそうでもなくて、そのころ、バンドをやっていた兄の影響で音楽に興味を持ち始めたんですね。ユニコーン、真心ブラザーズ、スピッツ、オアシス、レスザンジェイク、バクチク、ミスチル、ビースティーボーイズ……その辺りをいろいろ聞いてましたなぁ。奨励賞の賞金もCDに使いました。
──マンガとは距離を置くようになった?
もちろんマンガも好きだったんですが、音楽への興味のほうが強くなっていったという。それで中2くらいから音楽と絵に関わる仕事がしたいと思い始めて、CDのクレジットや当時買ってた「PATI・PATI」や「B=PASS」なんかの音楽雑誌から、グラフィックデザイナーという仕事があるとわかり、その職業に就きたいと思うようになりました。
──それはあこがれとしてでしょうか。それともリアルな職業として?
リアルな職業として。だから高校も第一希望で受験したのが美術専門の高校でした。でも落ちて、第二志望だった調理科の学校に行くのです。
──あ、山本さんといえばパンであり料理ですよね。
マンガ、音楽の他に、中学の時には料理も好きになったんですよ。家でも外でも、おいしいものを食べた時に、「これどうやったらできるんだろう?」って思い始めて。それで母親といっしょに作ったら、まず作ることが楽しいし、食べてもおいしいし……それでどんどんハマっていきました。単純作業が好きだったから、ひたすら絹さやの筋とったり、ひたすら野菜切ったり、ひたすら潰したり、そういうのも楽しかったです。それで最終的においしいものができる、最高、みたいな。
──人に作ったら喜んでもらえるし。
そういえば物心付いたときから、絵を描いたり塗り絵したりというのは好きだったんですけど、それで3歳くらいに描いた絵が「色がきれい!」みたいな評価でスーパーかなんかで金賞をとったんです。親がとっても興奮してたから覚えてる。
──自分としては「へー」くらいな?
そうそう。小さいときは何も考えないで描いてるし。でも描いてて楽しいし、そのことでまわりもよろこんでくれるというのは、原体験としては大きかったかもしれない。
──そういう意味ではマンガの仕事はダイレクトな反応を受け取りづらいですよね。最近はTwitterとかありますけど。
でも描いてる最中は、自分のやっていることがこれでいいのかどうかっていうのは、全然わからないですよ〜。正解があるわけじゃないから常に不安。
──ともあれ、調理師系の高校に入り。
はい。調理師免許が取れるカリキュラムだったので、卒業後に筆記試験を受けて取得となりました。ただ3年間の調理と勉強の授業が大変だから退学者が続出。15人くらい辞めましたよ。自分も、調理の世界は厳しくて絶対やっていけないなと……。高校行きながらライブ行ってたり絵を描いたりしていました。それから河原光さんの作品が大好きで、河原さんが桑沢デザイン研究所の卒業生だったから、自分もそこに行きたいなと。
【慢心してました。若いっておそろしい…】
それで桑沢に入ったんですが、でも学校にはグラフィックの上手い人がめちゃくちゃいて心が折れたのと、イラストの授業の方が評価が良かったので、結局イラストレーターを目指すようになりました。
──どんな絵を描いていたんですか。
ひとコマ漫画みたいなイラストです。今のコミックエッセイみたいな絵で何人かキャラがいるひとコマ漫画。3年の頭にUGサトー先生の授業で「お前は天才か!!すばらしい!!」って褒められたのはいい思い出……。
──それで調子にのった。
じゃっかん(笑)。本当はその絵を1年掛けて、先生とやりとりしながらブラッシュアップして卒業制作までもっていかないといけないんですけど、慢心して何もしてなかった。その間先生は、私が自主的に頑張ってるものだとばかり……。卒業が近づいてきて、だんだん自分でもやばいなと思い始めたんですが特に進まず。最後の講評の時も、最初とほとんど絵が変わってなくて、先生は動揺されてました。「え?」ってかんじで。
──(ほめたけど、そのまんまはねえだろ……)的な。
完全にそう。若いっておそろしい。でも結局最後40枚くらい完成させて,全部卒制に出しました。このままだと卒業できなくなると思って焦った(笑)。
──そして無事卒業。
でもいきなりイラストレーターにはなれないから、どうせ働くなら勉強したことを活かせるところに就職しようと。そこから売り込みしたりコンペに出したりしようという目論見で。あと就職活動の一貫と思って、マンガの持ち込みを再開していました。
──マンガもずっと読んでたんですね。
高1の時に『日出処の天子』を読んだら面白くて、そこから大御所系のマンガに興味を持ち始めたのです。で、桑沢1〜2年は課題が忙しくて読まなくなって、ライブもあんまり行かなくなって。3年はひまだったからマンガはまた読み始めました。つげ義春とか手塚治虫とかいくえみ稜とか山岸凉子とか萩尾望都とか一条ゆかりとか松本大洋とか(敬称略)。そのころはイラストレーターと、マンガ家、両方できるといいなあと思ってました。
──持ち込みはどちらに?
「Cookie」だったかなぁ。「りぼん」のお姉さん誌の。高校生が主人公の学園もの4コマだったんですが、『ぶ〜け』が合ってるんじゃない?」って言われました。でも読んでなかったから申し訳なくて、持って行かなかったです。あと「平凡を非凡にした感じ」ともいわれたけど、今でもその意味はよくわからない(笑)。
【就職したら事業が傾き、語学留学へ】
そうこうしているうちにメーカーのデザイン部門に就職が決まりました。でも事業が傾いて部署も解散して1年で退社に……。
──なんと。その後は?
桑沢の時にずっと英会話習ってましたから、もう留学しちゃおうって、貯金でロンドンに語学留学に行きました。もともと高校の時に、イギリスのトーキーにホームステイしたこともあって、それがまあまあ楽しかったから。
──色々やってますね。ホームステイはなぜ?
母が「行ってみたら?」って。英語を学ばせたかったみたいで。母も今になって英会話をちゃんと習い出しました。64歳。
──『世界ぱんぱかパンの旅・ロンドン編』の冒頭に、ロンドン留学時のエピソードが少し描かれていますね。
勉強しないで主に旅行してました(笑)。ベルギーとかスペインとかアイスランドとかフランスとかフィンランドとか……ロンドンからヨーロッパへは安い飛行機が飛んでるし、イギリス内も£1バスっていうのがあって、ロンドン市外に1ポンドで行けるんです。あと、語学学校ではアコさんと知り合ったのが大きかったです。
──『やっぱりパンが好き』『世界ぱんぱかパンの旅・北欧編』にも登場する、山本さんの相方のような存在の方ですよね(それぞれの本のカバーにも登場)。
そうです。語学学校で同じクラスになって、お互い美術好きで調理師免許を持っていたり、話が合ってよく遊んでたなぁ。いまも親友です。本当に面白い子で。
【願いは、ぼんやり思うと大体かなわない】
──そして帰国してからは……。
アコとの留学時代のエピソードをコミックエッセイにして投稿したんですが、特に返事は来なくて。ほかにもバイトを色々してました。モバイル開発の会社でアンケート集計したり、待ち受けのイラストを描いたり、テープの文字起こしをしたり、単発でアニメの制作補助をやったり……。そういうことをしながら、人づてに入ってきた自分のイラストの仕事を少しずつ受けてました。あとパンに興味を持ち始めたのもこのころですね。23〜24歳。
──きっかけは?
アニメの会社で働いていた時に、昼休みにブラブラしていたら「fluffy」っていうパン屋があったんです。当時は松濤の道ばたで、パンが入ったバスケットを広げて売っていたんですが、それがまず印象的で。そして食べたら「なんだこりゃ〜!」って感動した。どっしりした重さもあったし、風味豊かで普通のパンとは別もの。上から直にはちみつがかかっているパンがあって、袋の下にはちみつが溜まっている状態だったりとか、「パンって自由なんだ!」って思いました。それもあってその後、家の近所のパン屋でバイトを始めて……力仕事で大変でしたけどね。
──そんなかんじで自分探しを。
でもそのころはもう「絶対マンガ家になりたい!」という気持ちが強かった。あと「イラストの個展もやりたい」と思っていました。この2つを叶えないと、死んだ時に後悔すると思って、絶対やるって決めました。そしてまず個展はできたんですね。シルクスクリーンを刷ったんですが……それは1枚も売れず(泣)。でも1点ものの絵が1枚だけ売れました。保育園でお世話になった先生が8万円で買ってくれたんです。
──いい先生。
ほんとにそう。それからマンガも投稿を続けて、単行本が出せることになりました。デビューが決まった時は本当にうれしかったです。「願いは、ぼんやり思うと大体かなわない」ということを学んだ気がする。逆に言えば、「本当に必死で目指せば、意外となんとかなるもんだなあ」って。
──前向きにがんばるといいことがある。
はい。でも本が出たら出たで、売れるかどうか心配で心配で……。喜びも大きかったですが、不安も大きかったです。ていうかその不安はいまでもありますね。でもちょっとは達観できたかな。「悩んでもしょうがないか〜」みたいな。それはやっぱり自分がねこを飼ったことも影響しています。
──ねこはそうした達観ももたらしてくれたと。
そうですね。そうした思いも『ねこはなんにもなやまない』の中に込めましたので、いろんな方に読んでいただけると本当にうれしいです。
本作のご感想をお待ちしています。感想フォームからどしどしお送りください!
2017/06/08更新