不器用な男の壮絶な半生を描いた問題作『しんさいニート』。
発売から約3カ月、改めて著者カトーコーキさんに、
作品とこれまでの葛藤について聞く。聞き手は今秀生氏。



不器用な男の壮絶な生き様を描いた『しんさいニート』発売から約3カ月。同じように生きづらさを抱えた方から、多くの共感の声をいただく中、改めて著者のカトーコーキさんに、震災のこと、それからの葛藤、作品制作時の想いを聞く。


聞き手/今 秀生(こんひでき)
1969年東京生。フリーの編集/ライター。まんが関係の仕事がメイン。青年まんが誌から、時計誌、ゴルフ誌、ホビー誌、成年コミック誌などで担当作品を持つ。井上三太「TOKYO TRIBE」シリーズは長年担当しており、現在「TOKYO TRIBE WARU」連載中。





◆不良品だけど命がある限りは生きて行かなければいけない
 一回リセットして、自身を塗り替える作業をやっているよう

──「しんさいニート」を読むと、カトーさんに起きたこと、考えたことが非常にクリアにわかるんですが、ここまで冷静に自分を分析できるということにまず驚きました。普段からこういう感じなんですか?

カトーコーキ(以下カトー):はい。父親の言葉が子どもの頃から非常に強いものとしてあって、とにかく「考えないヤツはバカだ」というのが口癖みたいな人だったんです。例えば何かのテストで95点取っても、「なんであと5点取れないんだ?こういうのはケアレスミスっていうんだぞ」って理詰めでどんどん追い込んでくるんです。それが習慣化していって、「考えなければいけない」ってなっているので、小さい頃から自分のやった事を全部分析していくようになってしまったんですよね。友達との付き合いがうまくいかなかったとか、この高校に入れたのは何故なのか、とか、そういった一個一個の出来事を全部分析して、その原因は何かっていうのを普段からやってしまうようになったというか…。

──その分析を人に対してもやっていくじゃないですか。自分相手ならある程度正解に近づけたとしても、「対人」だと正解は難しいですよね。他人が「こう思ってるんじゃないか」と先回りして想像しても、最初のとっかかりがブレてたら全然違う方向に行くこともあるし、あとでその事に気づいて余計に傷ついちゃうこととかありそうですよね。

カトー:それはよくあることですね(笑)。なので、どちらかというと予防線を張って、なるべくならその線を越えないようにするっていうのが正直なところです。一定の距離を保ちたい。そのための外向きの仮面をかぶるんだと思っています。

──そういう性格も含めて、うつ病になった自分とどう向き合うかが、「しんさいニート」のメインテーマでもあり、スリリングなところでもあると思いました。

カトー:うつ病のカウンセリングで僕の場合何を目指したかというと、〝呪縛を解く〟といいますか、一番根本的な原因を解決するということでした。マンガでも描きましたが、病院だと「今の状態を和らげる」薬を処方していただくことしかできない。それって意味があるのかな? と。やっぱり根本的な原因を解決しなきゃと思って。今はその解釈というか、それが段階的に進んできて、その根本的な原因の解消のためにこのマンガを描いたというところもあります。

──もし震災が起きなかった人生があったとして、そうしたら今のカトーさんみたいな状態になっていたかはわかりませんよね。

カトー:もし震災がなかったら、こういう状態になってない可能性のほうが高いと思います。震災がきっかけになってあそこまで追い込まれたわけで、でも追い込まれたからこそ、本当に向き合おうという状況になれたと思ってます。もし震災がなかったら生殺しみたいな状態がずっと続いてたんじゃないかと(笑)。どちらかというと、僕の人生においては震災があったことが一発逆転になったというか、改善されることに繋がったんじゃないかと、今は思ってます。





──カトーさんがうつになって、良くなってきて、でもそれは震災が起きる前の状態に戻ったってことではなくて、きっとそれまでの出来事を飲み込んで生きるってことだと思うんです。それは新しい未来を作っていくってことじゃないですか。それは〝治療〟とか〝治る〟というのと少し違いますよね?

カトー:そうですね。元に戻るっていうのとは全く違うでしょうね。元には戻りたくないというのが正直なところで(笑)。
 子どもの頃に人格を形成する上で親の存在ってもの凄く重要になると思うのですが、親には申し訳ないけど、うちの親の教育は失敗で、ちょっと不良品が出来てしまったと思ってるんです。不良品だけど命がある限りは生きて行かなければいけないわけで、その不良品のまま生きていくってことは、イコールずっと苦しみ続けるってことなんです。それをここで一回リセットして、親がやってしまった負の教育的なものをやり直すというか、自身に施し直すというか、塗り替える作業を今やっているように思ってます。〝治療〟というよりも、そういう感覚に近いかもしれないですね。

──その作業のために過去のことを分析したり、客観的に見つめ直したことが「しんさいニート」で描かれていたわけですね。大変な作業ですよね。

カトー:最初は大変でしたけど、実は20歳ぐらいの時にはうちは異常だなって既に気づいてて、うちのことを小説とかにしたら面白いんじゃないかって思ったことがあったんですね。だから…大変ではありましたけど、過去にある程度は分析ができていて、あとはもう放出するだけといいますか、出す時の苦しみだけだったんじゃないかと思います。

──最初ブログで発表した時点では700ページもあったと聞きました。それをコピーしていくつかの出版社に送ったんですか?

カトー:そうです。読むのも大変ですよね(笑)。送って2週間後にイースト・プレスの担当さんから「一緒にやってみませんか?」って話をいただきまして、それから出版用に全部描き直しました。





──コピーを送った時点では、どれくらいの感じで「これが本になるかな?」って思ってたんですか?

カトー:ブログで発表してた時点ではどこの出版社からも反応が無くて、これはダメだな? って思ったんです。でも世間に発表できたし、これでよしとしようかなって。でも頑張って欲しいと言ってくださってるファンの方がいて、それで、ダメもとでいくつかの出版社に送ったっていう感覚でした。

──700ページを約半分に削る作業はしんどくなかったですか?

カトー:そうですね。どうしても削れないところを先にチョイスしていったんですけど、震災から話を始めようとなって、中学時代の塾の先生のエピソードを全部削ったのがちょっと悲しかったです。でも、とにかく、一番言いたいことが入れられれば細かいことはいいかな、しょうがないなって思って削りました。



◆とにかくすべてをさらけ出さないと信憑性がない
 自分の恥部をさらけ出さなかったら、このマンガを描く意味がない

──もちろん震災が大きなきっかけになっていますが、いわゆる震災本とはちょっと違うじゃないですか。「しんさいニート」というタイトルにどうしてしたんですか?

カトー:不幸自慢みたいな本になるのは嫌で、自分の中で〝幸せとはなんなのか〟〝人間とはどう生きるべきか〟みたいなものが「しんさいニート」のテーマだと思ってずっと描いていたので、「しんさい」って言葉がタイトルに入ることはちょっと危うい部分あるなとは思いました。でもインパクトがすごく強い言葉だったし、マイナスかもしれないんですけど、それに変わるものも思いつかなかったんです。
 ただ、タイトルに「しんさい」って言葉が入ることで、震災に興味がある方だとか、あるいはニートに関心がある方しか手に取っていただけなかったら悲しいなとは思ってます。例えば、会社でうまくいかなくてしんどい思いをしてるとか、学校でいじめられてるとか、夫婦関係がうまくいかないとか、それぞれが抱えている不幸や問題で病んじゃう可能性がある人ってたくさんいると思うんです。「自己肯定感」が欠如してる人が多いですよね。自分を見つめ直し、心の問題を取り除いていくことによって、大きな問題が起こった時に頑張って生きて行ける力を養っていく、そういうところを大きなテーマだと感じてもらえたらいいなと。
 あと、人間ってこうやって育てると壊れるよっていう参考例として、子育てされてる方とか部下をお持ちの方に読んでいただけたら嬉しいです。その思いがどこまで届くかはわからないんですけど。

──きっかけということで考えると、震災はカトーさんの人生にとってある意味〝ギフト〟だったかもしれないですね。

カトー:そうですね。なので、それこそ憎めないなっていう(笑)。不思議な気持ちにさせられる対象ですね。父親も含めて。大きなきっかけはこの2つなので。

──震災もお父さんも、たんに憎んでいるワケでもないし、なければ良かったという風にも描かれていないですね。

カトー:そうですね。なかったらマンガも描いてないかなって思ってます。

──なかったら、色々ごまかしつつ、陶芸をやりながら生きてたかもしれませんね(笑)。

カトー:そうですね(笑)。そうだと思います。

──あと、「しんさいニート」では「みーちゃん」の存在感がスゴイですね。

カトー:ああ。

──元彼女としてだけでなく、いかにみーちゃんの存在がカトーさんにとって大きいかが切々と描かれていますが、これ読んだみーちゃんはきっと辛いだろうなって。しかも最後に、「彼女への思いを胸に死んで行きたい」とまで描いてあって(笑)。





カトー:(笑)。いや、あんなことを描くってすごいサムい奴だってわかってるんですが、描かずにはおれないっていうのがあって、いたしかたなかったですね。

──みーちゃんはきっと読んでますよね?

カトー:わかりません。ただ、ブログにアップする前に「みーちゃんっていう名前で、あったことを自分なりの目線だけど描かせてもらうけど大丈夫?」って連絡をしてOKはもらってるんで、作品の存在は知ってはいます。ただ本になったことを知ってるかは…。うん、でも知ってる可能性は高いです。

──みーちゃんにしてみても、かなり辛い思い出ですよね。

カトー:そうですね。彼女にとっても苦々しい経験だったとは思うんですよね。一回結婚しようって話にもなってるんで。

──「しんさいニート」のもう一人の影の主人公というか、天使のような存在でもあると感じました。

カトー:だけどそう思えるような人を引きずり込んでしまったという気持ちもありますね。

──そこをちゃんとわかっていて、そういう人を傷つけたところも描いていく作業も辛かったと思います。

カトー:そうですね。ただこの話をマンガにしようと考えた時に、とにかくすべてをさらけ出さないと信憑性がないな、って思ったんですよね。自分の恥部をさらけ出さなかったら、このマンガを描く意味がない。例えば感想を寄せてくれた方の中に、僕の母親に対しての態度に否定的な方もいらっしゃるんです。僕も全くそう思いますが、でもそれは僕が実際にやってしまったことなので、ちゃんとそのまま描かなくてはダメだったんです。みーちゃんに対してもそうですね。

──個人的には途中でデリヘルを呼んでる描写がすごい好きなんですけど。

カトー:(笑)そこはまさにカットしたくないというか、入れたかったところですね。なんか、正直にそういうことも描いていきたいなって思って入れました。

──寂しくってどうしようもない時に、もうそれしかなかったという切実なシーンですよね。

カトー:本当にそうなんですよ。もう心細い時に、それによって許されたいというか。許された気になりたいというか。

──そういう描写やエピソードの端々が、誰にでも通じる話だなって思いました。これを全くの他人事だと思って読める人はいないんじゃないかなと。それはカトーさんが正直に描かれたことによるんだと思います。

カトー:それはすごく嬉しいです。

──だから、「このカトーコーキって人とつき合うのは大変そうだなーっ」て読みながら思いつつも(笑)、一人の男が立ち上がろうとする姿を応援せざるをえなかったです。

カトー:(笑)。



◆社会的に生きることの生きづらさとかをすごく感じるタイプ
 一方で、なんとかして繋がりたいとも思っている

──マンガはもともとお好きだったんですか?

カトー:はい。小学校ぐらいまではマンガ家か絵描きか、サッカー選手になりたいと思ってました。高校に入ってからも美術部とサッカー部を兼部してたんです。それで美大を目指したりしてたんですけど、結局普通の大学に行ってバンドを始めて、そこで出会った友人の影響でまたさらにマンガを読むようになって、という感じです。松本大洋さん、井上三太さん、岡崎京子さん、魚喃キリコさん、古屋兎丸さん、そんな作家さんをごっそり読んでました。卒業して地元に戻ってからは、読んでなかったけど気になったものを買い始めて、すごい良かったのが、ベタ中のベタですけど、手塚治虫さんの『火の鳥』と宮崎駿さんの『風の谷のナウシカ』です。

──今もバンドされてますが、ずっと同じような感じのバンドですか?

カトー:そうですね。ガレージ系のロックです。

──作中に震災のあとの辛い時期に音楽を楽しめなくなったという表記がありましたが、「自分は楽しんじゃいけない」というのはどういう感じだったんですか?

カトー:罪悪感でまったく聴けなくなりました。義援金や補償、寄付で生活してると段々「被災者として生きなければならない」という思いが出てくるんです。自分たちは被災者として、守られる者として生きなければならないのに、音楽のような趣味嗜好の娯楽を楽しんでいいんだろうか、しめしがつくんだろうかって。うつになる人の傾向ですごく多いんですけど、0か100か、白か黒かで考えてしまう。今はだいぶやわらいではきているんですが、当時はそういう気持ちがすごく強くなってしまって、だから音楽なんて娯楽は排除しなければいけないって思って楽しめなくなりました。手持ちのお金があっても、それでCDを買うことがちょっとした恐怖というか。





──今でもですか?

カトー:聴くのはもう大丈夫なんですけど、買うのはずっと追い続けてるザ・バースデイとザ・クロマニヨンズのCDだけですね。その2つだけ。

──他の娯楽、例えばマンガを買うとか、映画を観るとか、そういうのも未だにあんまりしない?

カトー:えーと、そうですね。病んで以降っていうのは…、うーん、なんていうんですかね、まず頭がいっぱいなんですよね。別のものを入れるってことがちょっと難しいといいますか。インプットするよりも、アウトプットしたいという欲求のほうが圧倒的に強くなってるんです。あ、でもマンガは最近ちょいちょい読んでますね。最近すごく面白かったのはいましろたかしさんの「釣れんボーイ」です。ピンポイントなんですけど、いましろさんの奥さんが「私、赤ちゃんが欲しい」って寝ながら言うシーンで、いましろさんが「猫で我慢しろ!」って言うんですよね。そこがなんか、すごいグッときました(笑)。

──インプットの欲求があまりなく、「しんさいニート」で描かれているように対人的な悩みから解放されたいという気持ちが強いのであれば、山奥で一人で暮らすという選択肢もありますよね?

カトー:確かに僕は対人関係の面倒臭さとか社会的に生きることの生きづらさとかをすごく感じるタイプなんですけど、一方で、結局のところ人間が好きなんだと思うんですよね。淋しいという気持ちもあって、だからなんとかして繫がりたいとも思っている。音楽が好きで、演奏することが好きですけど、じゃあ自分の部屋でひとりで弾いて歌ってればいいじゃないかってことじゃないんですよね。やっぱりライブをやることが好きで、聴いてもらうことが好きで。

──マンガも読まれてこそ、ですし。

カトー:そう思ってます。たとえば絵も誰かの目に触れた時に初めてアートとして成立するというか、やっぱりそれありきなのかなって、僕はそう捉えていますね。

──ちなみに本になって、何か変わったことありました?

カトー:本になるまでは、初めての経験だし、期待感で興奮していたのですが、出した瞬間から不安ばかりが先行しまして、1カ月ぐらいものすごい病んでたんです。どのぐらいの反響があるのかな? とかどんどん不安が募っていって。生活のことも考えていかないといけないな、と思ったりとか。本が出てからのほうがより色々シビアに考えるようになったかもしれません。

──内容に関してはかなり好意的に受け入れられてるんじゃないですか?

カトー:ありがたいことに、否定的な感想はあまりなかったですね。

──この後のカトーさんがどんなことを描いていくのかにも興味を持ちました。

カトー:本当に僕、マンガ家って名乗っていいのかもわからないんですけど、マンガ家になろうとしていたわけではないので、これを描き終わった時に、これは描かなければいけなかったから描いたんだって思ったんですね。だから描かなければいけないものがなければ、僕はマンガを描かないのかもしれません。もちろん、描きたいことがあったら描いてみようとも思っています。
 ただ、僕にとってマンガや音楽や、ラジオでしゃべることや、あるいはそれ以外の何でも、それぞれがまったく独立した別ものだとは、あんまり思ってないんです。たまたまマンガというドアから「しんさいニート」が出ましたけど、それが音楽として出るかもしれないし、別ものとして出るかもしれないし…、なんてことを思ってます。出どころは1つで、表現の形は色々という感覚でしょうか。音楽は続けたいと思ってます。マンガは、求められれば、もしくは自分が描きたいものがあれば、そしてそれを許されれば、という風に思ってます。


(了)






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(※これは今回の単行本が出来上がる1年以上前に作られたものです。
絵柄や内容など、単行本とは違う部分が多くございます。ご了承くださいませ。)


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2016/12/22 更新
  • マンガ 募集
  • コミックエッセイの森
  • カトーコーキ(かとーこーき)

    福島県南相馬市出身。
    2011年3月11日、東日本大震災・福島第一原発事故により故郷を捨て移住。
    陶芸家を経てエッセイ漫画家となる。
    一時は音楽活動から離れていたものの、自身の震災・原発事故、虐待、うつ、ニート体験を描くエッセイ漫画をの執筆を始めると共に音楽活動を再開。
    2016年4月より、福島県郡山市のコミュニティーFMココラジで放送開始となった、『エレクションズの今夜もギリギリチョップ』で、ラジオパーソナリティーとしても活動中。
    著者ホームページ:http://www.xn--n8j7af4vpjra75a.com/