東京都稲城市にあるKORG本社にて。左から坂巻氏、小林氏


◎「楽器をユーザーの手に戻す」ということ

 11月3日(日)、4日(月)に日本科学未来館で開かれたDIYの祭典「Maker Faire Tokyo 2013」でスペシャルな発表があった。KORGが、NYに本社を置く新進気鋭のメーカーlittleBitsと共同開発する形で、「自分だけの」シンセサイザーを組み立てられる革新的な回路キット「littleBits Synth Kit」を制作し12月から発売を開始する、というもの。





[littleBits Synth Kit]


「littleBits Synth Kitは、シンセサイザーの回路(シグナル・ジェネレーター、モディファイアー、モジュレーター、コントローラー)を、電子回路設計や音楽の知識を必要とせず、簡単に組み立てることができ、ライブやレコーディングなどにも活用できる、これまでになかったキットです。キットは12個のBitsモジュールからなり、各モジュールを小さな磁石でつなぎ合わせてアナログ・モジュラー・シンセサイザーを組み立てることができます。また、モジュールの一部はコルグの有名なアナログ・シンセサイザーで使用していた回路をベースに開発したものです」(発表より)


 これが結実する以前からKORGにはある「気分」のようなものが感じられた。それに呼応するようにしてユーザーから巻き起こっていた反応……一連の動きと、それがどういうことなのかということについて、自身もかつてローランドという電子楽器メーカーに勤め、「作り手」と「使い手」の関係性について模索してきた小林さんにホストになってもらい、お話を進めて頂いた。

小林 KORGが新しいムーブメントをつくりつつあるんじゃないか、2、3年前からそんなことを思うようになって。それについて詳しくお聞きするべく、今年6月に行われたMaker Conference Tokyo 2013(今回行われたのは「Maker Faire」=展示会で、6月のものは「Maker Conference」=会議にあたる)に来て頂いたのですよね。そこで2010年にKORGがmonotron(モノトロン)というアナログ・シンセサイザーを出してからの一連の話を聞かせて頂いた。



「Makerフレンドリーな製品をつくる」
Maker Conference Tokyo 2013内セッション
2013年6月15日、日本科学未来館

小林 要はエンジニアからの提案で、改造のコツを基板に書いて出荷したところ、それに予想もしていなかったほどの反響があった、と。改造者が続出し、monotronは単なる安いアナログ・シンセサイザーからオープンな楽器に化けることになった。それに刺激を受けたKORGが通常は企業秘密である回路図も公開し、その結果、シンセサイザーのコミュニティだけでなく、DIYのコミュニティや様々なメディアからも注目されることになったということでしたよね。

坂巻 ええ、そうですね。

小林 改造した事例は、その後の製品開発にも反映され、monotronに続いて発売され「monotribe」(2011年)「MS-20 mini」「volcaシリーズ」(2013年)でも一部の情報をオープンにするという流れが継続されている、と。僕は、これをある種の理想だと思ったんです。メーカー側から「改造してください」と言ったわけではなくて、開けてみたユーザーが自分で発見して進化させていったわけで。つまり、作り手が込めたメッセージを受け取ってくれた人たちがいたわけですよね。しかも直後の「Make: Tokyo Meeting: 05」(2010年5月開催。Monotronの発売は同年4月)にもう改造版がたくさん出展されていたということは、瞬時にたくさんの人が気づいてくれていたと。

坂巻 そういうことになりますね。おそらく、学研さんのSX-150、あれを改造するカルチャーがあったので、それを踏襲したという面もあるんじゃないかなとは思うのですが。

小林 確かにあの頃ちょっとしたミニブームみたいなのありましたもんね。でもそれだけで即改造とはならないでしょうから、monotronという製品にそれだけの余地があったことが大きかったわけですよね。

坂巻 それはきっとそうだと思います。アナログ・シンセって、実質70年代くらいまでのものなんですよね。90年代に一度リバイバルしていますが、あくまでそれは一部の人が再評価してるというものだった。大きなメーカーが参入できるようなリバイバルではなかったわけですよ。それはいまも変わってないし、monotronを考案し始めた2010年になる前も同じような状況だった。普通に考えたら無茶、たぶん1000台売るのも厳しいようなマーケットなんです。それでも一応こうして商売にできたというのは、ただ単純にアナログを復刻させたというだけじゃなくて、そこに新しい使い方というか、価値観みたいなものを付与できたからなんじゃないかなと。それが「改造」だったんだと思います。

小林 さらに印象的だったのが、「そもそもの開発動機は『シンセサイザーをもう一度楽器に戻したい』というものでした。だからアナログ・シンセサイザーであることにこだわっていたけれど、いまではむしろ『お客さんの手にシンセサイザーを戻してあげる』ということのほうが大事だと思っています」とおっしゃっていたことなんです。

坂巻 ああ、そうですね。当初はとにかく「アナログ・シンセサイザーを復活させたい」という気持ちが強くて、そのために何ができるかをまず考え始めたんです。

小林 それが結果的に、単にアナログにするだけでなく、改造のこつや回路図といった情報を公開することによって、「自分でしか出せない音を出すため」あるいは「使いやすくするため」に改造する、といったことを促進することにつながって、「シンセサイザーをもう一度楽器にする」といういちばんの目標に到達することにもなった、と。

坂巻 そうです、そうです。だから、最初から全部見えていたわけではまったくなくて(笑)、こんなに受け入れてもらえるなんてという驚きのほうが大きかったぐらいです。

小林 常々僕は、何かをつくるというのは人間の根源的な欲求だと思っていて。そもそもつくるというのはゼロからイチを生み出すようなことだけを指すのではなくて、子どもがダンボールで工作したり、材料を組み合わせて料理を作ったり、IKEAの家具を組み立てたり、そういう様々な楽しみ方すべてのことを指すと思っていて。そういう楽しみは、ブラックボックス化してしまった製品からは奪われてしまったんですよね。

坂巻 よくわかります。うちの回路図を公開しているサイトにも書きましたが、かつてブラウン管のテレビには背面に回路図が記載されていたんですよね。当時の人々にはきっと「ハードウェアを所有している」という感覚があったと思うんです。特に楽器に関しては、その感覚ってすごく大事なものだと思っていて、今回monotronでは、そういう感覚とか価値観みたいなものを喚起するきっかけがつくれたのかな、そうだったらいいなと思っているんです。



◎楽器には「カスタマイズ」という下地があった

小林 サイトでは、ユーザーから寄せられた「改造例」も公開されていますね(「We love monotron!!」)。その後出された兄弟機「monotron DUO」「monotron DELAY」は、それに対しての、みんながいろんな使い方をしてくれたことへのKORGへの回答、みたいなものでしょうか。

坂巻 ほんとそうなんですよ。なんか俺らも改造したいよね、って。結果的には、バリエーションが出たぞぐらいの認識で、KORGが改造したというふうにはあまり受け取られなかったけれど(笑)、こちらの意識としてはそうでした。最初は、ノブが並んでいる……あれをスピーカーから生やそうとも思ったんですよ。無理やり改造しました、という感じで。ただそれだと金型をつくり直さなくちゃいけないんで、さすがにそこまではできなかった。

小林 みんながこんなにいろんな使い方をしてくれてるんだし「負けられない」みたいな気持ちはありました?(笑)

坂巻 「まだ出てない使い方をするぞ!」とは思ってました。まぁ、負けますけどね(笑)。すごい数出てますからね。そもそもmonotronって用途がなさすぎるんですよね。

小林 鍵盤すらついてないですもんね、あれ。

坂巻 アナログの音って太いし存在感があるし、とにかく音としてインパクトがあるので、思い切ってそれだけを味わってほしい、と。本当に「アナログの音をたしなむ」というだけのコンセプトなんですよ。メーカーとしてつくっていいものなのか? っていうぐらいできることが限られてる。まあ、そのおかげで買ってくれた人たちが、余計に自分たちで何かしてやろうと思ってくれたわけだから、結果的には良かったんですけど。

小林 nanoKEYもちょっとそれに近い感じがありますよね。

坂巻 monotronはそれをさらに極端にやった感じですね。nanoKEYは「ある用途に特化させる」という感じですが、今回はその用途すらない(笑)。まあ、シリーズでも用途がないのは最初のmonotronだけで、さっき言ったDUOとDELAYにはそれぞれ飛行音が出る、とかスペーシーな音が出る、という役割がありますけどね。なんというか、「できるだけ値段を安くするぞ」とか枷をかしておかないと、自分も弱い人間なので、ついつい甘えていろんな機能をつけてしまったりとかしてしまうので。

小林 その後回路図を公開されて、ネガティブな反応みたいなものはなかったんですか? たとえばあれをもとにまったく同じものを作ってコピー商品を売る人がいたとか。

坂巻 意外といないものですよ。もしかしたらいるのかもしれないですけど聞いたことはないですね。安すぎて儲からないとか? 個人でゼロからつくったら、たぶん一万円じゃつくれないでしょうから。

小林 それはあるかもしれませんね。コピーしようとも思わないくらい安い、というのは。まあ、それでもやっぱりリスクはありますよね。「改造を推奨しているわけじゃない」といくら謳ったところで壊れたとか、怪我をした、とか何かあったら責任問題になってしまいますから。

坂巻 そうですね……でも、クレームはないですね。たぶん一個もないと思います。ギターなんてみんな改造してるし、楽器をカスタマイズするというのは意外と普通なのかもしれない。ドラムも皮替えたりしますし。電子回路というか電気に触るっていうのがちょっとハードルが高いかもしれないですけど。

――カスタマイズと改造に境目はあるでしょうか。

小林 ハンダコテを持つと「改造」という気がしますね。デコったり色変えたりはカスタムの範囲でしょうが。音自体を変え出したら完全に改造ですね。あとやっぱり、アナログ・シンセの場合、基本的にハードウェアだけでできてるから改造がしやすいというのはありますよね。同じことがソフトウェアの変更も必要になるデジタルシンセでもできたらいいのになあ。volca(ヴォルカ。monotron、monotribe、MS-20 miniに続いて発売されたシーケンサー内蔵アナログ・シンセ)だったらやっぱり難しいですよね。

坂巻 ソフトを公開するってことですからねえ。どうしたらいいのかな……でもvolcaも後ろ開けると実はいろいろ書いてあるんですけどね(笑)。僕は知らなかったんですけど、見てみたらあった。実際、volca beatsにMIDI OUTつけてる方がいました(※MIDI OUT=演奏データを外部にはき出す端子)。

小林 あ~、なるほど! MIDI IN(インプット)はあってもアウトはないですもんね。

――「楽器=自己表現をするためのもの」だからこそ改造と結びつきやすいという面もあるのでしょうか。

坂巻 あると思いますね。いま言ったみたいに楽器にはそもそもカスタマイズ文化があるというのと、そもそも新しい音が欲しくて新しい製品を買うという人が一定数いるので果敢にやってみようという動機を持つ人が多いし、文句も出にくいんだと思いますよ。もっと音を変える余地があるならやってみたいと思うのが人情でしょうから。ただこれまでのいわゆるシンセサイザーでは難しくてやれなかったというだけで。

小林 うん、本当に理想的な関係だと思いますね。というのは、特に日本は市場も成熟してきてるので、お金を出して買う人と、製造してその完成形を提供する人とっていう関係がはっきり分かれてしまったんですよね。壊れたらクレーム、怪我してもやっぱりクレーム、みたいな対立関係ができてしまっている。日本の家電メーカーから面白い製品が出てこないとよく言われますけど、出てこない状況をつくってしまったのは我々かもしれないんですよね。だからKORGとユーザーの関係ってすごくいいなって。メーカーが全責任を負う、という形と、DIYだから何が起きても知りませんという形の間をつなぐやり方。電気自動車とか、何かあったら人が死ぬというものではつくりにくい関係が、ものによってはつくれるということを実証した事例だと思います。少なくともいまの、ユーザーとメーカーの膠着状態を変えてくきっかけになるんじゃないかと期待しているんです。



◎大事なのは作り手の顔が見えること?

小林 とはいえ実際やられていると大変な面もあるのかなと思いますけれども。

坂巻 それが、びっくりするくらいないんですよね。多少覚悟はしてたんですけど、なかった。もしかしたら、なるべく前に出るようにしているおかげなのかもしれません。相手の顔を知ってるとなかなか文句って言えないじゃないですか。

小林 KORGでは意識的に公の場に出ていくようにしてるんですか?

坂巻 少なくとも僕はそうですね。せっかく作ったんで、考え方も伝えたいし。しかも人前に出ていくと同時にフィードバックも得られるんですよね。アンケートでも感想は頂けますが、でもそれだとどういう人が言ってるかがわかんらない。会うと、こういう音楽が好きで、他にこういう機材持ってて、仕事はこういうのをやってる、お歳はいくつで、こういう服装の人がこう思ってるというのがわかる。だから意図がわかる。相手もそれは同じだろうと思うんですよね。だからそういうコミュニケーションをとっているおかげで、「守られてる」じゃないですけど、より「やりやすくなってる」部分はあるんじゃないかとは思いますね。

小林 ああ、いいですね。でも、チームでつくることが多い製造業の場合、設計から製造までものすごい数の人が関わってたりすると、代表して出にくいっていうのはあるかもしれません。

坂巻 ただ、だいたいどんな製品でも、いいものって誰かひとり主役がいると思うんですよね、絶対に。そういう意志を持っている人が居るはずなんで、そういう人が出るべきだなとは僕は思いますけどね。うちでももちろん、製品によって僕以外の人もいっぱい出てます。

小林 volcaのデモビデオ、あれもすごくいいですよね。出演はエンジニアの高橋さんですか?





坂巻 ありがとうございます、そうです。あれ、すごい時間かかったんですよ(笑)。撮影はここにいる広報の山藤です。

山藤 朝10時に始めて、終わったのは24時でした(笑)。

坂巻 しかも土曜日にね。全部手弁当で(笑)。カメラも私物、スタジオも会社の使って。そのほうが温かみじゃないですけど、伝わるものがあるかなと。

小林 すんごい伝わると思いますね。ここまで使いこなしてる人がつくったものなら欲しい、とか、これを超えたいとかも思うし。顔が見えるというのはこういうことだな、とあらためて思いました。

坂巻 こうやって発信したり、直接意見聞いたり……お客さんとの関係はこれからぜったい変わるというか、もう変わってますよね。僕、お互いにインスパイアされるような感じが続くのが良いなと思ってるんです。製品を出すときにも、「こういうのつくってください」っていうのをそのままつくるわけじゃなくて、それを踏まえてやっぱり、僕らとしてはこういう風に使って欲しいからというものを出して。それでみんなにびっくりしてもらって。で、こんなのがあるんだ、こんなことできるんだって、インスパイアされて欲しいんですね。で、monotronのときみたいにそうやって改造されたり、思ってもない使われ方がされてるのを見て、こちらもインスパイアされる。これがなんか、キャッチボールじゃないですけど、いいコミュニケーションだなと。べったり一緒につくるというのも違うんじゃないかと思いますし。

小林 そう思います。そういう自然なキャッチボールを通して、じわじわ状況が変わっていくのが理想ですね。革命的に何か変えるとか、法律つくるとかじゃなくて、いまの膠着状態がだんだんゆるんでいって、ざくっとした言い方すると、豊かになるっていうか。そういう生態系ができそうな気がしてるんですよね。自分がメーカーにいたときに感じていた、作れば作るほど本当に欲しいものから離れていっちゃうようなあの感じが改善されていく兆しをいま感じてるんです。monotronの一連の話を聞いたときに、あ、この距離だなと思ったし、次の展開を考えるうえでも、モデルケースになるだろうと思っています。メインストリームを変えるのはけっこう、やっぱり10年ぐらいはかかるかもしれないけれど、端っこのほうだったらいますぐにでもできるということを証明した感じ。というか、すでに変わっているということを見せたというか。こういう周辺的な領域、いわば“辺境”でこそ「作り手」と「使い手」という新しい関係が生まれ、やがて製造業全体を変化させていくのではないかと感じています。

坂巻 そうですね。やっぱり深くお客さんが製品に関与してくれるもののほうがやりやすいんだろうなとは思いますね。あと電気が絡まないもの、家具とかそちら方面でもコミュニケーションはできそうな気がしますね。

小林 そうですね、さっきもちらりと言いましたが、IKEAハックシリーズとか家具はそういう動きがありますよね。IKEAで買ってきたものを勝手にハックして改造して、想定されていたものとは全く違うものにするというノリ。サイトにみんないろんな例を投稿してたり。

坂巻 いずれにしてもメーカー側が意図的にやることじゃないのかなとは思うので、というのも、改造する人がいることも、使い方の一例でしかないわけだし。そういう状況を踏まえて、どういうものを出して、やりとりできるのかっていうのがこれからの面白さなんじゃないですかね。

小林 それはある気がしますね。メーカー側から、これはオープンアーキテクチャだって言っても、みんなあんまりやりたがらないような気がしますし、ちゃんと個性をもった製品だからこそ、ユーザーも魅力を感じるんだと思うんですよね。そうじゃないと楽器メーカーじゃなくてただの部品メーカーになっちゃいますしいね。そこのところに、これまでの伝統とかいろんなことから培われたバランス感覚みたいなのが必要なんだろうという気はします。いずれにしても、さっきの高橋さんの例じゃないですけど、YouTubeやニコ動みたいにメディアはいっぱいあるわけだし、メッセージは発信していったほうがいいような気がしますね。

坂巻 そうですね。

小林 それからコミュニティですね。Maker Conference Tokyo 2013に、坂巻さんと一緒に出て頂いたローランド ディー.ジー.(電子楽器メーカーであるローランド株式会社の関連会社で、主力である大型カラープリンタ以外に個人でも購入できる価格帯の小型デジタル工作機械も製品としてラインナップに持つ)の方もおっしゃっていましたが、iModela(アイモデラ)という新製品を出したとき、まず長年使ってくれているリードユーザーの人たちに働きかけをして、発売前から使ってもらったそうです。彼らが製品の面白さを理解して積極的に情報を発信してくれたことで、ユーザー同士が交流するようになって、イベントなんかをやっても直接メーカーに聞きに来る人ってすごく少ないらしいんですよ。さらに、ユーザーサポートへの問い合わせほぼゼロらしいんですよね。

坂巻 すばらしいことですよね。頭を悩ますところですからね、やっぱり。

小林 そういう手順を踏んでちゃんとコミュニティもつくれば、むしろそのほうが、みんなにとっていいんじゃないかという気はしますよね。さっき坂巻さんがおっしゃったギターなど、単に完成品を売るだけでなく改造の相談も受けられる楽器店や工房、そして自分なりに改造した楽器を愛用する人々のコミュニティ、というようにギター本体をつくるメーカー以外にもさまざまなプレーヤーが参加して生態系を築いている例もあるので、全くの新規製品だと難しくても、既にファンがいるものやKORGみたいに歴史があってブランドも確立してる、みたいなところが率先して実行していってくれるとメインストリームにも拡がっていきやすいのかなと思います。



◎作り手の個性はどれぐらいモノに宿るのか

――ちょっと遡って、製品がユーザーに届く前、開発にまつわるお話も聞かせてください。そもそも開発者の個性というのは製品にどれくらい影響を与えるものなのでしょうか。

坂巻 開発者の個性は、そのまま、9割以上出るんじゃないかと僕は思います。DSPや足回り、それからUI……いろんな担当がいるけれど、その組み合わせもかなり製品に反映される気がしますね。

小林 確かにそういう意味だと出るかもしれませんね。

坂巻 何より感性が出ると思います。ちょっとした音のニュアンスとか、どうしても言葉にできない部分というのがあるじゃないですか。その人の手癖だったりとかちょっとした音楽の好みだったりとかの違いがそのまま出ちゃう世界だなとは思ってますね。

――おふたりは、いちユーザーだった頃、作り手のことはどれぐらい意識していましたか。たとえば就職前に、KORGやローランドにどんな開発者がいるのかということは知っていましたか。

坂巻 まったく知らなかったですね。

小林 開発者は知らなかったですね。ただ、研究室の先輩でローランドに就職していた人がいたんで、見学させてもらって「あ、こんな工場なんだ」とか「わぁすげえ田舎!」とか(笑)。そういう何となくのイメージはありましたね。開発者が表に出てくるようになったのは最近ですよね。

坂巻 ですよね。2000年の初めぐらいからじゃないですか。少なくとも僕が初めて会ったのは、会社入ってからですかね。「この人があのKAOSS PADを……」 とか感動したりして(笑)。

小林 僕は入社試験のときですね。当時大阪に本社があったんですけど、住之江って駅から競艇に行く人たちに混じって歩いていって……そのときの面接官にエンジニアの人たちもいて。優しそうな人もいればすごい眼力の人もいて。しかもビシビシ切り込んでくるんですよ。「で、きみって何ができるの?」とかって。「誰だこの人!?」って思ったら、その人がTB-303とかTR-909なんかをやられた菊本さんっていう、まぁのちに上司になる人で。そこで、「ああ、こういう人たちが作ってるんだ」というのを初めて意識しましたね。



◎演奏するより「音」をつくりたい 
  ~初めてのシンセサイザー

小林 そもそもシンセに興味を持った時期のことって覚えてます? 僕の場合は、中学生から高校生にかけて、ちょうどTM NETWORKとかが出てきた頃で、まだ有名になる前の小室哲哉さんを見て「こんな面白いことをやる人がいるのか」と。それでシンセサイザーというものを知ったんです。それが86、7年くらい。自分もやってみたいと思っているうちに大学生になって。ある日中古の楽器屋に入ったらそこにJUNO-106があった。即買って、自転車で手が折れそうになりながら持ち帰ったんですよね。

坂巻 かなり重たいですよね(笑)。

小林 重かった(笑)。それでまあ、ちまちまとそれで遊びつつ、オーケストラにも入ったりして。そのうち就職どうしようかなと考え始めて……やっぱり楽器メーカーに入りたいと思ったわけです。そしてローランドに。

坂巻 僕は高校のときですね。高一の時に「ヒップホップ、やりたい」と。

小林 へええ。……え!?

坂巻 (笑)ここからちょっともう、間違ってますよね。サンプラー買わなきゃいけないのに、「どうやら電子楽器買えばいいみたい」って。

小林 だいぶ間違えてる(笑)。

坂巻 で、塾の先生がヤマハのSY55を安く譲ってくださったんですよ。使ってみてはじめて「あれ? なんかドラムの音がスカスカする。こんなのヒップホップじゃない!」と(笑)。でももう買っちゃったしちょっと触ってみるかって。でも高校生だし、お金ないし地味に。あ、エフェクターは買いましたね。確かSE-70、BOSSの。当時もう中古で安く出てたんですよ。94年くらい。あと、MDのMTRとか。で、あるときシンセに出会うんです。(愛知県)豊橋の楽器屋さんでKORGの、中古のMS-20に。弾いてみて「なんだこれ!?」って。全然聴いたことない音がした。「これがアナログの音か!」と。それですっかり欲しくなっちゃったんですけど、当時アナログリバイバルの頃で。

小林 高くなってたんですね。

坂巻 そうなんですよ。ヤオヤ(TR-808)とかサンマルサン(TB-303)がすごく高くて。あと、DOEPFER(ドイプファー)のMS-404とか。KORGのMS2000も出るか出ないかという時期で、アナログ人気が俄かに盛り上がっていた。ほんと、いい音だったんですよね。でも確か15万とか20万とかそれぐらいした気がする。

小林 そのぐらいしたかもしれません。反対に僕がJUNO-106を買ったときは4万円ぐらい。リバイバルの直前でめちゃくちゃ安くなってたんですよね。僕、大学は広島だったんですけど、近くの中古屋さんなんかだと、たとえばTB-303とか5千円で売ってた。そのあと10倍ぐらいの値段ついてましたよね。

坂巻 どころか20万ぐらいしましたよ。

小林 じゃあそのMS-20が秘かにKORGに行く決め手になってたかもしれないですね。

坂巻 かもしれないですね。原体験としてものすごく大きかった。その後大学に入ってから実際にアナログを、といっても完全アナログではないですけど、JUNOを買って。

小林 あ、JUNO-106ですか?

坂巻 そうです。これはなんと、リサイクルショップで5千円で買いました。

小林 安い!(笑)

坂巻 安すぎる! って即買いを(笑)。それで曲作ったりしてましたね。ひとりでテクノみたいなものを。誰にも聴かせてませんけど。まったく完成もしてないし(笑)。そもそも僕、楽器できないんですよ。

小林 あ、僕もあんまりできないです、鍵盤はとくに。

坂巻 本当にもう鍵盤なんてできる気がしないというか(笑)。

小林 よくわかります。「音」が好きな人、けっこういますよね。もちろん大多数は弾ける人なんでしょうが。

坂巻 そうそう、弾くことより音をつくることのほうが好きなんですよね。僕もそっちのタイプです。もともとヒップホップで曲が作りたいという欲求から入ってるんで。ただ、23、24歳くらいのだったかな、もう少しまじめにやり始めて。外でライブやったり、あと海外からアーティストが来日したときに一緒にツアーやらしてもらったりとか。

小林 すごいですね……じゃあKORGには、そういう仕事を経て入社したんですか?

坂巻 いや、それは仕事じゃなくて遊びですね。大学院行きながらやってた。会社入ってからも1、2年くらいは続けてたと思います。当時専攻してたのはデザインで、KORGにもデザイナーとして入ってるんですよ。

小林 えっ、知らなかった……。KORGの場合、デザイナーはどこまでが守備範囲ですか。

坂巻 外装ですね。製品の企画は、まあいまの僕みたいな企画担当がやって、デザイナーに「こういう製品だから、こういう仕様でお願い」っていうと、かっこよくつくってくれる。小林さんはバンドとかやってたんですか?

小林 いえ、僕もそんなに弾けるわけじゃないんで、ただ音つくって楽しんだりとか。あとシーケンサーとか組み合わせて“曲みたいなもの”をつくったりとか。人に聴かせるようなクオリティのものではないんですけど。アウトプットはオーケストラの……ってまずはそちらを先に説明しますと、大学でオーケストラをやってたんですね。楽器やったことないくせに大学入って誘われて説明会に行ったらちょっと面白そうだったのでつい(笑)。そこでビオラをやってました。

坂巻 そこからシンセとどう結びつくんですか(笑)。

小林 そのサークルというかオーケストラの発表会で、ちょっとシンセ使ってみよう、みたいな。なんでそんなことになったのか、いまから考えるとよくわからないけど(笑)。TM NETWORKがやったようなのをアコースティックアレンジして、そこにシンセ入れて、みたいな。

坂巻 なんか面白そうですね。

小林 あんまり掘り起こしたくない黒歴史なんです(笑)。とはいえ、いつもは真っ当な演奏会に普通に楽団員として参加して、たまに、仲間内のやつだったり、公開で小さな演奏会をやったときとかなんかに、仲間を無理矢理集めてやったりとか。そういう場合は、楽曲はオリジナルのもやっていましたよ。頼んで知り合いに曲を書いてもらって、とか。アレンジしたり。機材は、やっぱりメインはJUNOですね。お金がないからそんなに増やせないし、あとは小さいラック系の安い、中古で買ったみたいなのとか、あとM1Rじゃなくて……

坂巻 M3R!?

小林 でもなくて……

坂巻 01R/W? あ、WAVESTATION!? 

小林 あ、それです、WAVESTATION SR! 91、2年くらいで、出たばっかりだった。その頃は中古の値段も上がって来てたので、何が何でもアナログという感じでもなく、買える範囲でいろんな音を求めた結果ですけれども。M3Rとか器用な感じのものよりは、とんがった感じのあるWAVESTATIONにしたんですよね。

――時代や時期で、売られてるシンセサイザーの個性ってどれくらい違うものなんでしょうか。

坂巻 かなり違います。やっぱり時代を反映しているので。音楽の流行もどんどん変わっていくじゃないですか。WAVESTATIONなんかだと80年代末の音楽との相関関係はすごく強い。ニューウェーブっぽい感じがあったり。だから、そこにあえてJUNOが入ってるっていうほうが斬新というか(笑)。当時はJUNOってどっちかっていうとあんまり使わないシンセですよね?

小林 そうですね、人気なかったですね。その後、電気グルーヴとかが出てきてまた注目されるんですけどね。当時の僕にとっては……WAVESTATIONってまず鍵盤が出たじゃないですか。すごく面白い音がしたんですよね。M1とか「プリセット一番はピアノ」みたいなやつとは違うのがいいな、なんてひねくれて思っていたので(笑)。WAVESTATIONにはジョイスティックがついてて、ウニョ~ンって音が混ぜられたんですよね。

坂巻 実験的なシンセですもんね。しかもオーケストラと混ぜてやるっていう、そういう実験精神に応えるものだったんでしょう。

小林 プログレとかだと昔からオーケストラと組み合わせたりとかしてますけど、キース・エマーソンとか。そう、キース・エマーソンは、当時よくKORGのCMにも出てましたよね。なんかそういう、実験的なことをやりたい人は実験的なのを選ぶという傾向はあるんじゃないですかね。



◎アナログへの異常な憧れ

坂巻 僕の場合は、最初から間違ってるからなあ(笑)。道具によって目的が変わってしまった。それでも引き返さなかったのは……やっぱりモノから影響を受けるというか。結局、お金がないっていうのがいちばんの原因なのかな。間違って買っちゃったけど買い直せるわけじゃないし、あるもので最大限楽しいことをやろう、みたいな感じだったのかもしれないですね。でも、音が鳴ること自体はとても楽しかったですね。いろんな音が出るという、そのこと自体に興奮してた。万能になったような気がしたんですよね。あと、アナログの音が好きだった。それはたぶん、自分が音楽をやっていた時期というのがアナログリバイバルの真っ最中だったから、アナログに対する異常な憧れっていうのがあったんだと思います。ほんとは、アナログ・シンセって70年代から80年代前半くらいまでじゃないですか。それがアナログの「リアルタイム時代」で、そこで一回廃れてる。で、90年代後半からまたアナログ・シンセが流行り出して。僕は、第一期アナログシンセリバイバルの世代なんだろうと思います。

小林 微妙に世代がずれてるんですよね。僕のときは、暗黒期というか、アナログなんか誰も使わないっしょ、みたいな感じでした。高校のときも、同級生とかでちょっとお金のあるやつが買ったDX7とか聴いて、「スゲー! こんなすごい音するんだ!」って盛り上がってましたね。

坂巻 デジタルシンセの走りですよね。1984年ぐらい。

小林 そこからがーっとデジタルシンセの黄金時代が。アナログはお金ない人がしょうがないから買う、みたいな感じだった。

坂巻 まあ基本的にはそれからずっとデジタルの時代ですけどね(笑)。アナログは「好きな人は好き」という感じで。

――アーティストや開発者でああいうふうになりたい、という人はいたんですか。

坂巻 なかったですねー、僕(笑)。どうですか?

小林 僕は小室哲哉さんとか。なれるわけないんですけど、でもすごくいいなって思ってましたよ。冷静に見ると若干痛いところもありつつも、常に「あえてやる」という姿勢で新しいことにトライするんですよね。ステージでも照明とリンクしたパフォーマンスを日本で最初にやってみたり。こんな機材持ち込むんだ、という驚きがあったり。それなのに音楽自体がポップというのがまたすごいなと。
その頃はまだTM NETWORK、それもまだそんなにメジャーじゃなくて。初めて武道館でライブやります、みたいな時期だったと思います。たぶんまだ、ツアーで全国をまわりながら楽器店でセミナーもやってますみたいなタイミングだったんじゃないかな。

坂巻 そんな時期があるんですね(笑)。

小林 さすがに小室さんのには出たことないですが、当時TM NETWORKのツアーメンバーだった浅倉大介さんが、楽器店の店頭でやってたデモは見たことあります(笑)。まさかその後あんなにブレイクされるとは。坂巻さんは全然いないんですか、特別な人は。

坂巻 そうなんですよね……だからメーカーに入ったっていうのもあるかもしれないですけど、僕の場合アーティストよりもモノが好きだっていうような感じですかね。はじめはヒップホップつくりたいと思って始めた楽器ですけど、いつの間にかシンセが好きになって。そのうちいろいろ集め出して。聴いてる音楽とつくってるものはいつもリンクしてなかったけど(笑)。何やら機材集めて、つなげて音出したり、パソコンに録音してみたり。



◎これが決め手で入社を決めた

小林 KORGに決めたきっかけっていうのはあるんですか? 僕の場合は、JD-800なんですよ。当時、器用な感じのシンセが増えてて、それは別にいいとか悪いとかではないんですが、一番目押したらピアノの音が出て、それがいかにリアルかを競うみたいな状況だったときにローランドが出したJD-800は、「ドン!」ってやつで、プリセットの1番に入っているのもMillenniumっていうシンセ音で、全然ピアノじゃないよねこれ、みたいな。しかもピアノも「ジャキーンジャキーン」ていう音しかしない。あれで騙されて、「スゲー、ローランド入ったらこんなのつくれるんだ!」って。
あと、ほかのメーカーはだいたい工学部卒というのが前提になってて、つまりエンジニアの募集なんですが、ローランドは違ったんですね。

坂巻 あー、そうだったんですね。僕の場合は、気づいたらKORG製品をいっぱい持ってたというのはありますね。ELECTRIBEがあったり。

小林 あ、入る前にELECTRIBEは持ってたんですね。

坂巻 はい、KAOSS PADもありましたし。microKORGも、持ってこそいなかったけど、なんか面白そうだなとは思ってて。いまでいうガジェット好きのマインドなのかもしれないですけど「これなんかおもしろそう」って感じで。で、就職する段になったときたまたまKORGがデザイナーの募集をしてて。デザイナーの募集ってそんなにないから。

小林 入社されたのって何年でしたっけ?

坂巻 2004年です。

小林 ちょうど入れ替わりだ。僕が辞めたのも2004年。受けたのは楽器メーカーだけですか?

坂巻 いや、いろんな業種を受けてます。音楽は音楽で好きでしたけど、デザインはデザインでやってて。で、新しいもの作りたいなって思ってたんで、そういうのが出来そうな会社を探して受けてました。

――製品としてどういう性質を持っているものがつくりたいと?

坂巻 面白ければ、新しいものがつくれるなら何でも、と。みんなが驚くようなものがつくりたかったんですよね。「あ! すごい!」とか「面白い!」ってわくわくするじゃないですか。

小林 その頃はまだ家電も盛り上がってた時期だと思うんですけど。家電じゃなくて、やっぱり楽器だったんですね。

坂巻 まあご縁があって、っていう感じだと思いますけどね。

――これが出たときはびっくりした! とか「時代を変えた」なんて思ったもの、ありますか?

坂巻 KORGが多いかもしれないですね。KAOSS PADとか。インパクトありましたよね、あれは。

小林 うん、確かにほかにはないものでしたね。

坂巻 あとmicroKORGも印象的だった。やっぱり自社の先輩が作った商品がいちばん「なんだこれ」って感じがありました。……でも楽器メーカーって「入る」っていうイメージないと思うんですよ。

小林 ああ、確かに。就職先という想定に入ってないかも。

坂巻 KORGなんてドイツとか、韓国の会社だと思われるし(笑)。僕もそう思ってて、「あ、KORGって日本の会社なんだ! 受けたら入れるんだ!?」みたいな、そこから。小林さんは会社入られてからは何をしてらしたんですか?

小林 KORGだとなんていうかわからないですけど、ローランドだとサウンドデザイナーとか音屋(おとや)って言われるセクションがあって。

坂巻 はいはい、うちにもあります。

小林 そこで、SC(Sound Canvas)シリーズのSC-88PROとか、ステージ用のデジタルピアノA-90EXを。そのあとVP-9000とか、Vシンセ(V-Synth)っていうのをやって。その頃もう技術研究所に移って、さっき言った菊本さんの下で仕事してたんですけど、そこでは製品に直接っていうよりはそのもとになる基礎技術を研究したり。あと本当によちよちあるきの技術のデモンストレーションをして、開発の人や営業の人にその真価をわかってもらう、とか。

坂巻 その頃はもう、エリック・パーシングはいない?

小林 いましたいました(笑)。最初に海外出張に行ったのはまさにエリックの自宅スタジオ。あ、エリックともつながりが?

坂巻 直接話したことはないんですけどメールでやりとりを。この人があのエリック・パーシングかー、なんて思いながら(笑)。音づくりに関してはもう、神みたいな人ですよね。

小林 ええ。当時、ローランドの海外拠点のなかでもロサンゼルスはいちばん大きくて市場としても重要だったので、コンサルタントとして契約していたと思います。日本にもよく来ましたし、僕らも向こうによく行ったりして。

坂巻 そうですよね。D-50なんかも、がっちりやってますもんね。



◎イノベーションが起こるとき

――メーカーにとって研究所の存在は生命線だと思いますか?

坂巻 僕は、研究所はあんまり関係ないと思ってて。あろうがなかろうが、開発者のなかに新しいものをつくりたいと思っている人がいるかどうか、それだけのことだと思うんです。で、思っている人が、それを人に届けようと思ってつくっているかどうか、っていうところかなと。ただ、新しいことやってる人っているじゃないですか。社会的な意味とか、誰が使うかとかを考えずに。じゃなくて、誰かに向けてそれをやろうとしているかどうか。そう思ってやってると、やっぱり何年後かにはものになるんじゃないかと思いますけどね。

――小林さんのMakerムーブメントにちなんだご発言からも「使い手がいる」という意識の徹底を感じますが、それはローランド時代に染み込んだものなのでしょうか。

小林 それはあると思いますね。メーカーって、つくっても売れなきゃしょうがない。お給料も払われないんで。あと、家電とかだったらつくる人が最善のことを100%考えて、あとはどれだけユーザーがそれ汲んでくれるかという話だと思うんですよ。たぶん80%から50%くらい……楽器の場合はそれを120%とか200%とか使い倒す人がいて、またそれで新しい音楽が生れていく、みたいなことがあるんですよね。たとえばヒップホップで、そこにあるvolca beatsのキックをサンプラーにサンプリングしてベースに使うとか。設計者は全く想定してないんだけど、そういう使い方もできて、それで新しい音楽ジャンルが生まれたりとか。それをまたメーカー側も取り込んだりしてっていう行ったり来たりがある。冨田勲さんもおっしゃってましたね。エレクトリックベースも当初はパッとしないというか、アコースティックのベースに比べれば奏法も少なかったけど、チョッパーみたいなのが出てきたりして、独自の進化を遂げて行った、と。それはつくった人が考えてたわけじゃないですよね。技術者が全部決めている訳ではなくて、使っている人のなかでどんどん膨らんでいくっていう、そこが重要なんだろうと思っていました。

――進化にそういう要素は必ず必要だと思います?

小林 それがないとダメだと思いますね。想定の範囲内で終わったら面白くないですから。

坂巻 楽器は本当にみんな勝手に使ってくれますからね(笑)。monotronにしても、効果音としてではなく、完全にピッチをあわせて弾く方もいらっしゃいますし。あ、そこまでやるんだ、とか。ライブで適当にノイズ流して、最後にステージにピック投げるかのようにmonotron投げてく人とか(笑)。

小林 あはは(笑)。

坂巻 あ、ピック感覚か~、なんて(笑)。あとは……あくまで噂ですけど、一時期小室さんがmicroKORGをステージで……よくギタリストって演奏してからギター壊したりするじゃないですか。その代わりにmicroKORGぶん投げて壊してたって聞いたり。そういうのは本当にいっぱいありますよね。もう無限に。

小林 いろいろ思いつきますよね、みんなね。

坂巻 こちらも本当にインスパイアされます、常に。音をつくられる方だと余計にそうなんじゃないですか?

小林 うん、それはそうですね。次の音を決めるときに反映させたりします。90年代のデジタルシンセサイザーって、入れられる波形の量が限られてたんで、すごいちまちま詰めてかなきゃいけないんですよ。そういうとき、これ入れといたらこういう使い方してもらえるかな、なんて想像しながら入れたり。

――ユーザーには「自分仕様にしたい」という欲が備わっていると思いますか。

坂巻 半々くらいじゃないかと思いますね。あ、でも、Maker Conference Tokyo 2013でもお話ししましたけど、monotribeのときはちょっと意外に思うこともありましたね。MIDI OUT(※演奏データを外部にはき出す機能)、絶対必要だろうと思ったけどあえて付けずに販売して。でも改造すれば誰でも付けられるようになっていたので、どれぐらい付けられるだろうってすごく楽しみだったんですよ。アーティストの方でハンダコテを握れない人でも、というかそういう方が改造系の方にお願いして、とかコミュニティが拡がっていったらいいなと。でも、あんまりそういう動きにはつながらなかった。もう少し簡単に、FabCafeみたいなところで10分もあればできる、ぐらいにしておけばよかったのかもしれませんね。

小林 そういうワークショップとかやったら喜ばれるかもしれませんよ。もしくはさらに、ビギナーにも手を出しやすい形の製品をつくるとか。

坂巻 そういうのもできたらいいなと思っています。もう近々…… 
  ※それが冒頭の「littleBits Synth Kit」に!


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  • 坂巻匡彦(さかまき・ただひこ)

    1978年愛知県生まれ。東京在住。2003年千葉大学大学院自然科学研究科デザイン専攻を修了後、株式会社コルグにプロダクト・デザイナーとして入社。2004年に商品企画室へ異動、新規性の高い製品を中心に商品企画を担当する。近著に『基板に書いたメッセージ ハックできるシンセmonotronはなぜ生まれたのか?』 (カドカワ・ミニッツブック)

    小林茂(こばやし・しげる)
     
    情報科学芸術大学院大学[IAMAS]産業文化研究センター准教授。1970年愛知県名古屋市生まれ。1993年より2004年6月まで、電子楽器メーカー「ローランド株式会社」にサウンドデザイナーおよびソフトウェアエンジニアとして勤務して様々な製品開発や要素技術開発に参加した後、2004年7月よりIAMAS。ブラックボックス化してしまったコンピュータを再度開くべく、コンピュータの中とセンサやアクチュエータを介して現実の世界をつなぐツールキット「Gainer」を仲間と共に開発し、2006年にリリース。その後は、何かをつくるという人々の根源的な欲求を刺激しその楽しさを共有する活動「Makerムーブメント」に参加しつつ、メーカーとユーザーという分断された関係でなく、作り手と使い手という関係に変化させることで豊かな世界を目指したいと考え、その触媒となるべく活動中。