萩尾望都が20代で著したSF小説。その集大成『音楽の在りて』。
後に描かれた名作マンガの数々とも呼応する、原点的作品集です。
その刊行を記念して批評家・大森望との公開対談が行われました。
「だいたいイメージが先にあって、それがマンガになったり小説になったり、です」(萩尾)
◎70年代後半、SF界は異様に盛り上がっていた
大森 サンディエゴのコミックコンの話が出ましたが、昨日、昔の雑誌をひっくり返していたら、1979年に萩尾さんがイギリスのブライトンで開かれたワールドコン(世界SF大会)にいらしたときのレポートが『奇想天外』に載っていて。
萩尾 私が書いたのかしら?
大森 こっちは座談会ですね。花郁悠紀子さん、城章子さん、佐藤史生さん、伊東愛子さんとの座談会と、イラストルポ。5人でヨーロッパ旅行している最中にブライトンに立ち寄って、ワールドコンに突撃したという。
萩尾 アルフレッド・ベスターがいたんです。もうベスターが可愛いんですよ(笑)。
大森 花郁悠紀子さんのファーストキスを奪ったとか(笑)。『SFマガジン』のほうにも、「萩尾望都、SF大会へ行く」っていう長いレポートが6ページにわたって掲載されていて。こちらは萩尾さんが書いてますよ。
萩尾 そうだったのか(笑)。
大森 ベスターに肩を抱かれた写真が何枚も載ってて(笑)。ベスターも嬉しかったでしょうね。うら若き日本の乙女が何人もまわりを囲んでくれて。
萩尾 そうか、考えてみたら、このときはみんな20代だもんね。
大森 日本のSF大会とかにはいらっしゃってました?
萩尾 ときどき行ってたんですけど。仕事との兼ね合いが上手くいかないもので、行ったり行かなかったりで。去年は、TOKON10(第49回日本SF大会)にちょっとだけお邪魔しました。
大森 TOKON10ではメインゲストでしたね。いちばん最初にそういうSFのコミュニティと接触されたのっていつぐらいですか?
萩尾 よく覚えていないんですけども、たぶん、光瀬(龍)先生と知り合って、早川の編集者さんと知り合ってからじゃないかなと思うんです。なんとなくそっちのほうのお知り合いが増えていったのは。
大森 じゃあ、やっぱり70年代後半あたり。
萩尾 そこらへんじゃないかと思います。当時、『スター・ウォーズ』や『未知との遭遇』が公開されて、SF界は異様に盛り上がっていたんですよ。
大森 そうですね。SF映画のムックが山のように出て、SF雑誌もどんどん創刊されたころでしたね。
萩尾 いろんな雑誌で座談会の企画があって、あるとき、SF映画について語る座談会に呼ばれたんです[注:角川書店『バラエティ』1978年4月号。星新一、伊藤典夫両氏との鼎談]。ちょっと私、ミーハーっけがあるもので、キャーキャー言いたくて参加したんですが、みなさん、すごく真面目なんですよね(笑)。映画の洞察と考察に終始しましてですね。頭がついていかなかった。
大森 ちょうど、SFブームが頂点に達した時代に、萩尾さんは少女マンガ界におけるSFのスターという立場で。
萩尾 いやいや、それはないです。
大森 僕が萩尾さんの名前を知ったのも『SFマガジン』がきっかけなんですよ。『SFマガジン』の1974年11月号で、翻訳家の風見潤さんが『ポーの一族』を紹介されてて。当時、僕はマンガをぜんぜん読んでなかったんですが、SFファンたるもの、『SFマガジン』で紹介されるものはちゃんと読まなきゃいけないとかたく信じていたので(笑)、それでフラワーコミックス版の『ポーの一族』を買って、一発でハマってしまって……。気がつけばSF大会で「アランに撃たれた」ごっことかやってたり(場内爆笑)。
萩尾 ああ、そうか、(魔夜峰央『パタリロ!』の)クックロビン音頭とか、みなさん踊ってらっしゃいましたね。
大森 基本でしたよね。いまのハルヒダンスよりメジャーで(笑)。
それはともかく、70年代後半のSFファンの間では、『ポーの一族』や『トーマの心臓』は基礎教養になってました。男性が少女マンガを読むのが一般化し始めた最初ですよね。ちょうどそのころから、小学館文庫で『11月のギムナジウム』や『11人いる!』『精霊狩り』が出始めて。ええっと、1976年ですか。いま考えるとものすごく不思議ですよね。なぜ、文庫でマンガ短編集が……。
萩尾 そうなんですよね。山本順也さんっていう、小学館でずっとお世話になった編集さんがいるんですけども。その方がマンガを文庫にして売り出そうと思うって言って、あのときは白戸三平さんとかもずらっと出ていたんですよ。
大森 そうですね。あと、つげ義春さんの『ねじ式』『紅い花』とか、大島弓子さんの『雨の音がきこえる』なんかも最初に出ました。『11月のギムナジウム』と一緒に。
萩尾 そうそう、それで山本さんが、「あなたの文庫の表紙はこの人に決めたから」って。
大森 新井苑子さん。
萩尾 そうそう。それで、「えっ? 私、文庫の表紙、描かせてもらえないんですか?」って言ったら、「駄目だよ」って(笑)。
大森 カバーを勝手に決められてたんですね。マンガなのに。
萩尾 「駄目だよ。だって小説の棚に並ぶんだから」と。「小説の棚に並んでも中身はマンガですよ」って言ったんだけど(笑)、山本さんは、「だけど表紙がマンガだったら誰も買ってくれないじゃないか」って。「じゃあ表紙がイラストだったら、小説かもしれないと思って買うかもしれないって、それを当て込んでやったんですか」って聞いたら、「そうだ」って(笑)。
大森 そういう理由だったんですね(笑)。
萩尾 不思議な理屈でした。
大森 あの装幀は、新鮮は新鮮でしたね。新井苑子さんは当時、『SFマガジン』で河野典生さんの『街の博物誌』のイラストを描いてる人でしたから、僕なんかは確かに買いやすかったかもしれない。男子高校生が初めて買う少女マンガとして非常に手にとりやすいものだったんじゃないかと(笑)。
萩尾 ああ、なるほど。じゃあ、編集の目論みは当たったんだ(笑)。
大森 購入者の比率としてはものすごく低いと思いますけど(笑)。
◎SFはロックンロール、“日常もの”は演歌気分で
大森 それで、1977年から「萩尾望都作品集」が出始めて、第1巻の『ビアンカ』に入ってる短編の「ポーチで少女が小犬と」にすごい衝撃を受けたんです。少女マンガでこんなすごいSFが描けるのかってびっくりしました。
萩尾 「ポーチで少女が小犬と」に共感する人って人生において疎外されてると思います(笑)。
大森 だいたい、人生に疎外されてると思ってる人がSFを読むんです(笑)。人生に完全に満足している人はSFなんか読まないから。
萩尾 それはそうですね。何か違和感があるから、違和感から逃げたくてもっと違和感のあるものにいくっていう。
大森 どこかこの世界はおかしいとか、私は間違ったところに生まれたとか。
萩尾 もしかしたら宇宙人じゃないのかとか。
大森 誰か迎えに来てくれるんじゃないかとか。それこそ、フィリップ・K・ディックなんか、この世界は間違ってるっていうSFをずっと書き続けていて。
萩尾 そうでした。私はディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』をかなりあとになって読んだんですが、それを読んだときは本当にびっくりして。それまでは、いろいろあるにしろ、アシモフやクラークの描いた未来社会はすごく希望に満ちていたんです。ときどき核戦争の話なんかを書く方もいらしたけど、でもディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』は本当に救いようがなくて。どんづまりの、放射能の雨に打たれながら滅びるしかない人間が、地球でしみじみしみじみと生きてる話なんですよね。それがまるまる一冊(笑)。最後までしとしとしとしと。このしとしとにどっぷりはまってしまって……ショックでした。
大森 映画の『ブレードランナー』はかっこいいハードボイルドな話ですけど。原作はもっと情けない感じで。本物の動物が飼えないので偽物の……。
萩尾 そうそう、電気羊を飼ってるんですよね。
大森 そういう辛気臭い話で。
萩尾 本物の羊はもういなくなってて、いたとしてもものすごく高価で買えないから、かわりに電気羊を飼ってる。ゴハンを食べて糞をし、メーと鳴くだけ。それを飼ってるわけ。なんかもう、それを飼ってる主人公の気持ちを思うだけでも、泣けてくるっていうか。人類ってかわいそうというか……。
その男が、技能のひとつとして、目の前に立っている相手が人間かアンドロイドかを判別できる技術力を持っているというんで、ちょっと呼ばれて、この子が人間かどうか確かめてくれない? と、すごい美女を紹介されるんですよ。そしてそのときに瞳孔反応を調べて。
大森 映画でも使われていた、フォークト・カンプフ測定法ですね。
萩尾 そうそう。いまなら、指紋の他に瞳孔を調べて鍵を開けるっていう方法が知られてますけど、当時はすごく珍しくて。瞳孔の反応を見ながらずーっと質問をしていくんです。彼女はそれに完璧に答えるわけ。それで最後に、あなたはロボットです、って。そしたらかわいそうなことに、彼女は自分がロボットだということを知らされていなかったんですよ。だからすごいショックを受けるわけ。
大森 ディックには、この現実が嘘だっていう小説もありますけど、自分自身が人間じゃないかもしれないみたいな作品もたくさん書いていて。短編だと、「にせもの」とか「電気蟻」とか。
萩尾 やっぱり、すごい本を読んだなって感じでしたね。
大森 ディックも亡くなってから30年近く経つんですよね。
萩尾 もうそんなになりますか。
大森 萩尾さんも、『SFマガジン』のフィリップ・K・ディック追悼特集に原稿をお書きになって。
萩尾 そうかそうか、書いたのに忘れてた(笑)。ブラッドベリは生きててびっくりするし、ディックは死んでてびっくり(場内爆笑)。
大森 でも、ディックの作品はいまでも毎年のように映画化されてて。今年また、マット・デイモン主演で『アジャストメント』っていうのが公開になりましたけど。
萩尾 『マイノリティ・リポート』とか、映画になりましたね。
大森 SF映画も結構ご覧になるんですか?
萩尾 すごい好きです。
大森 何がいちばんお好きなんですか?
萩尾 『ブレードランナー』か『2001年宇宙の旅』がいちばん好きです。
大森 では、『ブレードランナー』と『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』はどっちが?
萩尾 それは比べられない。毎日の目覚めによって、今日は『ブレードランナー』とか。
大森 ハリソン・フォードはタイプですか?
萩尾 いいですねえ。原作の主人公とはぜんぜん重ならないんですけど、『ブレードランナー』のなかでは非常にうまくハマっていて。
大森 そうですね。ディックの小説にはああいう人は出てこないですから(笑)。
萩尾 ハリソン・フォードが屋台でラーメンを食べるシーンがものすごく良くて。
大森 指を4本出して、「Four」って言うんですよね。屋台のおやじが「ふたつで十分ですよ」って答える。あのfourがどういう意味なのか、ずっと謎だったんですけど、ついに丼の中身がちゃんと映っているカットが公開されて。4っていうのは、具のエビみたいなものの数だったんですね。天ぷらそばの海老、何本入れますか、みたいな話で。
萩尾 ああ、そうだったんですか。4つ入れてくれって言ったのに、ふたつで十分だと。そのエビ見てみたいですね(笑)。
大森 日本人のファンで、『ブレードランナー』のいろんなバージョンや没シーンを全部集めて、いちばん最初のシナリオどおりに、デジタルで全部つなぎ合わせた人がいるんですが、そうすると2時間半ぐらいの非常にわかりやすい映画になるんですよ。でも、それがおもしろいかって言うとまた別なんですね。実はデッカードもレプリカントで――みたいな話は、映画のなかで説明されるより、あとで聞かされたほうがぞくぞくするみたいなところがあって。映像はなるべく説明しないほうが印象に残るかもしれないと思ったりしますけど。
萩尾 微妙にわかりそうでわからない謎が残っているほうが考えますね。作家がわからないで書くのはちょっと困るけど、たぶんここまでならちょうどいいだろうっていうバランスがあるんでしょう。ここまで行くと説明しすぎだとか、ここらへんまで出すとチラリズム?(笑) 見えそうで見えない、あとは想像できるでしょうみたいな。そういうおもしろいところがあるんです。
大森 萩尾さんの作品もそういうことを意識してつくられてるわけですね。『バルバラ異界』なんか、かなり謎が……。
萩尾 いえ、あれはねえ、作家が何も考えなかった作品です(笑)。ごめんなさい……。なんとか辻褄を合わせてまとめてみましたっていう作品になりました。だから、たとえば主人公の青葉ちゃんはなんで未来社会において飛べないかとか、そういう部分は端折っちゃったんです。
大森 普通は、どこまで情報を明かすかということは細かく考えながら描いているわけですか?
萩尾 ああ、そうですね。いろんなアイデアが浮かぶときに、どの話がいちばんおもしろいかな、いまここでこのネタを出したら、早すぎて、あとに引きがなくなるだろうとか、いろんなことを考えながら構成を練っていくんですけど。すみません、『バルバラ異界』はちょっとごちゃごちゃになってしまって、着地点をどうしようとか言いながら描いてました。
大森 SFを描く場合、そうじゃない話を描くときと比べて、ここは違うとかそういうのはありますか? 作業がすごく大変になるとか。
萩尾 SFを描くときはロックンロールを歌っているような感じ。それで、日常ものの、そこらへんのなんとかさんの話を描くときは、演歌を歌っているような感じ(笑)。
私は昔から現実っぽいものが嫌いで、なるべくそこから離れたほう、離れたほうにと意識を持っていっていたんですけれど、やっぱりね、歳をとると、カラオケでも演歌を歌ったりするでしょう?(笑) なんだかそんなふうに、日常にだんだん引っ張られてきて。ちょっと不思議だなあ。日常も意外とおもしろかったりして、って感じがあって。
大森 でも、昔から、短編でも「ポーチで少女が小犬と」みたいなSFの一方で、「小夜の縫うゆかた」のような非常に細やかな日常ものをお描きになってますから、両方だと思いますけど。しばらくSFを描かない時期があったりするのは、意識されてのことではなくて、自然とそういう感じになるんですか?
萩尾 何かの流れでしょうね。まあ、たまたまですね。タイミング? ただ、SFをずっと描いていないと、(体内の)SF分が足りなくなってくるので、ちょっと遠くに行きたいなって感じになってきます。
大森 『バルバラ異界』で日本SF大賞をお取りになった受賞記念で、『SFJapan』という徳間書店のSF雑誌に、「バースディ・ケーキ」という、ちょっと懐かしい感じの短編を描いてらっしゃいましたけど。
萩尾 どうしても60年代SF風になってしまいますけれど。
大森 その作品は、創元SF文庫で出している年刊SF傑作選の『虚構機関』にも再録させていただいたんですが、やはり年に1本ぐらいはこういう萩尾さんのSFをぜひ読みたいなと。
萩尾 ありがとうございます。描きたいものはあるので、またSFもゆっくり描いていきたいと思います。
大森 楽しみに待ちたいと思います。今日はどうもありがとうございました。
・萩尾望都のSF世界 第1回
・萩尾望都のSF世界 第2回
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