タモリは立っていた。
共演者たちは疲れ果てて休んでいる。休憩を促したのはタモリだった。寝転んだり座り込んだりして荒い呼吸を整えている共演者たちの輪の中で、タモリはただひとり、息をほとんど乱すことなく立っていた。
そしてスタジオの天井の、どこか一点を見つめていた。
何か感慨深げにも見えた。しかし、何も考えていないようにも見えた。
その真意はサングラスに隠れてわからない。
2012年7月21日から22日にかけてフジテレビ系列で放送された『FNS27時間テレビ 笑っていいとも! 真夏の超団結特大号!! 徹夜でがんばっちゃってもいいかな?』。そのラストを飾るのは『いいとも』レギュラー陣ほぼ全員による大縄跳びだった。しかし目標の50回にはなかなか届かず、再挑戦を繰り返していた。
78年生まれの筆者にとって、物心ついたときから、タモリはタモリとしか言いようのない存在としてテレビの中にいた。
それは『いいとも』に「お昼の顔」として君臨するタモリである。
アナーキーなアングラ芸人で「夜の顔」だった、デビュー当時のタモリはリアルタイムでは見ていない。密室芸を山下洋輔や赤塚不二夫らに披露していたという素人時代を文章以外で知る術もないし、会社員時代や子供時代の彼を想像するのは難しい。
タモリと『いいとも』は、僕らにとって日常そのものだ。
だからたとえ視聴率的に苦戦するようなことがあったとしても、『いいとも』が終わってしまうことなど受け入れたくなかった。
『いいとも』打ち切りの噂はここ数年、改編期のたびに聞こえてきたが、それはあくまで噂でしかなかった。しかしこのときの噂には、認めたくないものの、ある種の信憑性が確かにあった。
『いいとも』は今年で30周年。その節目の年に『いいとも』をベースにした形で、フジテレビ恒例のお祭り企画である『27時間テレビ』を放送する。総合司会を務めるのは、『27時間テレビ』では久々の登板となるタモリである。「それをもってタモリ最後の花道とし、番組の終了、あるいはタモリの降板が発表されるのでは」という噂が、まことしやかに囁かれたのだ。
しかし結論から言えば、まだこの年は、それもやはり噂の域を出ず、タモリは『27時間テレビ』総合司会を一睡もせずに務め上げ、『いいとも』終了の噂などみじんも感じさせない健在っぷりを見せつけた。
12年の『27時間テレビ』は、タモリフリークはもちろん、すべてのテレビっ子にとって夢のような番組だった。テレビの面白さ、楽しさ、魅力がつまっていた。
そして、エンディングの大縄跳び。
目標の50回にはついに届かなかったものの、最後の挑戦で40回に達することができた。
「まあ、よくいったでしょ」
タモリはそう言って、締めの挨拶に入る。その最後の最後、タモリは観客と視聴者に呼びかけた。
「明日も、見てくれるかな?」
そう、明日──すなわち月曜日から、『いいとも』はいつものように、レギュラー番組として生放送される。
夢のような時間のエンディングに、タモリはいつもとまったく変わらない言葉を放った。そのとき、いつもの決まり文句はその意味を変えた。夢と現実が地続きになったのだ。明日も『いいとも』があるように、僕らの日常は続く。なんてステキなことだろうか。
『27時間テレビ』ラストの挨拶、その冒頭でタモリは「団結、団結と言って団結したんですけど、そのぶん国民から離れたかもしれません」と切り出した。
同様の主旨のことはすでに番組のオープニング、FNS各局の中継リレーで口にしている。
地方局が大変な盛り上がりを見せているのを尻目に、「我々は団結しているかもしれないけど、国民とは離れていってるんじゃないの? やりすぎじゃないの?」 と「団結」をテーマにした番組そのものに冷水をぶっかけた。
タモリはそこに「偽善」を見ていたのだろう。
タモリはすでに4~5歳の頃から、「偽善」について考えていたという。
3歳の頃に両親が離婚し、主に祖父母によって育てられていたタモリ。ある日祖父を訪ねてきた友人が、最近見た映画の話をした。クジラを捕る場面があり、モリで突かれたクジラは血を流していたと。そのクジラは作り物かもしれないと分かったうえで祖父の友人は、「思わず、画面に向かって、両手を合わせました」と言ったというのだ[1]。
その話を傍らで聞いていた森田一義少年は、それが一般には「偽善」という言葉で呼ばれる何物かであることを、幼いながらに嗅ぎとった。
しかし現在、タモリは「子供が怖い」という。「子供の扱い方分かんない。何か怖い。何かズバリ欠点を言われそうな感じがする」と[2]。
それは何より子供時代の自分自身が、大人たちの欺瞞を見透かしていたという記憶があるからではないだろうか。
「5歳が俺の精神的ピークだった」とタモリはうそぶく[3]。
その頃一義少年は、よく坂道の上に佇んでいた。当時の家は長い坂道の途中にあった。玄関を出てすぐの石垣にもたれ、そこから見える町並みや、行き来する人々をずっと眺めていた。
幼稚園に入ることになった時、一義少年はひとりでそこに見学に行った。幼稚園がどういうものなのか、事前に知っておきたかったのだ。子供の足で20分以上かかる道のりを歩いてでも、それを確かめずにはいられなかった。
ようやくたどり着いた一義少年の耳に届いてきたのは、園児たちの「ぎんぎんぎらぎら夕日がしずむ」という歌声。そしてその音楽に合わせてお遊戯をする園児たちの姿を、目の当たりにした。「偽善」そのものの光景に、一義少年は絶望した。子供心にそれが「とても恥ずかしく、バカバカしく思えた」のだ[4]。
自分はあの輪には絶対に参加したくないと親に告げると、あまり教育熱心でなかった親は、果たして彼の主張を受け入れた。
一義少年にはその代償として孤独が訪れたが、それでも自らの意思を貫き、小学校入学まで坂道の上で孤独とともに過ごしたのだ。
ダウンタウンが司会を務める『爆笑!大日本アカン警察』をベースにしたコーナーが、『27時間テレビ』にあった。
タモリとダウンタウンが14年ぶりに共演することで大きな話題を呼んでいたが、そのスペシャルなムードは「タモリが結婚式で大乱闘事件」という暴露VTRで吹っ飛んだ。
タモリが「これ(を放送するの)はヤバいって!」と珍しくうろたえるほどの「事件」。それは05年、『いいとも』金曜日ディレクター(当時)の出口敬生と、フジテレビアナウンサー梅津弥英子の、結婚披露宴で起こっていた。
披露宴などの“セレモニー”嫌いを普段から公言しているタモリだが、新郎新婦両者ともに仕事で関係が深いこともあって出席していた。タモリは船長が着用するような白いユニフォームで列席。元来船好きのタモリだが、乾杯の挨拶ではその意図を、「船長でございます。ちょっと二人の船出という意味もございます」と述べた。すでにほろ酔いであろうタモリの挨拶は、しかし淡々とした口調で続いていく。
「新郎新婦共に同じ会社ということで、先ほどから流れるような司会、仲間内だけの笑いによる祝辞と、非常にスムーズな中にも、馴れあった嫌な雰囲気の結婚式を堪能させていただいております。結婚式、クソ喰らえでございます」
結婚披露宴というのは「偽善」の塊である。しかも、タモリが大嫌いな「予定調和」がはびこっている。さらに「内輪受け」が安易に許されてしまう空間だ。タモリは居心地の悪さを感じていた。
式は進行し、新郎側の友人代表の祝辞。アメフト部だという彼に向かって、タモリは突如タックルを仕掛けていった。驚いた周囲はもちろん制止にかかる。会場は思わぬハプニングに爆笑、そして喝采。しかしそれでもなお襲いかかろうとするタモリは、最終的に羽交い締めにされ席に戻された。
「新郎の友人の挨拶が非常に長い。それで『ツカミはOK』とか、(観客の心を)掴んでないのに言う」
そんなスピーチが、タモリには我慢ならなかった。
タモリは「出来レース」も許せない。
数多い列席者の中から、一見ランダムに見える抽選方法で、花嫁からのブーケを獲得したのは同期のアナウンサー千野志麻だった。
ところが彼女は“偶然にも”、梅津アナに続いて近々結婚をすることが決まっていた。
千野は梅津を「おめでとう」「しあわせにね」と祝福し、その微温的なムードが会場全体を支配する。──行くしかない。
タモリはやおら千野アナ目掛けて突進、だがその直前で転倒。またも羽交い締めにされる。席に運ばれるタモリは満面の笑み。
さらに新婦側の友人挨拶で、再び登場した千野アナ。
タモリはまたもタックルを試みる。
そんなシュールな光景を、司会の川端健嗣アナは困惑しながら実況していた。
「船長のタックルが、今日は続いております!」
実は『27時間テレビ』に先立つこと1年前の11年7月7日、千野アナをゲストに迎えた「テレフォンショッキング」でも、この件は触れられていた。先のVTRではカットされていたが、タモリは披露宴で他にも暴挙を働いていたのだ。
梅津に子供ができたということを聞いた千野が「天使が舞い降りてきました」と発言したことに憤然、思わずパンを投げつけたという。
そして千野が「おめでとう、しあわせに」と口にすると、タモリはもう止まらない。「こんな偽善的な女は見たことがない」と自然と身体が動き出し、千野にタックル。映像では取り押さえられていたが、カットされていた部分では「和服着た女があんなにきれいに転ぶ姿は誰も見たことがない」と自画自賛するほど、見事なテイクダウンを奪っていた。
タモリはかつて、「ちゃんとしたことに対する嫌悪感があるのかもしれませんね」と語っている[5]。
それは結婚式に限らない。たとえば何十年かぶりに開催されたクラス会でのこと。自己紹介の時にきちんと立ち上がって、ものすごくまともに挨拶した人を、なんだか嫌いになったというのだ。
そして件の披露宴、この乱闘事件に対してダウンタウンから謝罪を要求されたタモリは、きっぱりと言い放った。
「わたくしは、謝る気はさらさらありません」
92年に日本テレビで、『講演大王』という深夜番組が放送されていた。
バラエティに富むゲストが週替わりで迎えられ、各自好きなテーマで20分間の講演を行うというものだ。この間は砂時計が時を刻み、CMは一切入らない。編集もされない。出演者の個性や力量がむき出しになってしまう、ある意味で過酷な番組だ。
その第1回目のゲストがタモリだった。
89年に終了した『今夜は最高!』以来の日本テレビ出演。「職場の人間関係のシガラミで引き受けた」と冒頭で語るタモリが選んだ講演のテーマは、「私が各種行事に反対している理由と、ソ連邦崩壊の関連性」という、いかにも彼らしいものだった。
タモリは、「自分」とは何かというところから説き始める。
たとえば「会社の課長」「芸能人」「妻がいて子供が二人いる」「友達が何人いる」といった、現時点での 自分自身の“状況”を横軸とし、「親は医者」「家系」「叔父が不動産業界にいる」「子供が東大生」など、自分の周囲の人間が持つ“事実”を縦軸とする、と。
この横軸と縦軸が交差したものが「自分」であるとタモリは言う。
「そうすると、自分というのは一体何か、絶対的な自分とは何か、っていうと、わかんなくなってくるわけですね。それだけこういう、あやふやなものの中で自分が成り立っている」
そんな「自分」を成り立たせている横軸も縦軸も「余分なもの」であり、それを切り離した状態を、タモリは便宜上「実存のゼロ地点」と名付けた。
そしてタモリは「人間とは精神である。精神とは自由である。自由とは不安である」というキルケゴールの言葉を引用し、それを解説していく。
「自分で何かを規定し、決定し、意義付け、存在していかなければならないのが人間」であり、それが「自由」であるとすれば、そこには「不安」が伴うと。
この不安をなくすためには「自由」を誰かに預けたほうがいい、と人間は考える。タモリは言う。
「人間は、私に言わせれば『不自由になりたがっている』んですね」
だから人は、「家族を大切にする父親」であったり「どこどこの総務課長」であったりといった「役割」を与えられると、安心するのだ。
その「役割」の糸こそがシガラミである。
そして大人になれば、そのシガラミを無視することは現実的に不可能だ。自身が冒頭で述べたように、タモリもまたシガラミからこの番組に出演している。
18歳から22歳くらいまでの大学時代は、そのシガラミがほとんどない時期である、とタモリは言う。そこでその時期にこそ「実存のゼロ地点」を通過しなければならない、と力説するのだ。
「若者よ、シガラミを排除し、実存のゼロ地点に立て!」と。
それを経験しているのとしていないのとでは、大人になった後、腹のくくり方や覚悟の仕方が違ってくる。
ゆえにそんなシガラミを象徴するような各種行事を排除していかなければならないと、タモリは結論付けるのだ。
結婚披露宴、クラス会、そしてクリスマスにバレンタインデー……それらの各種行事は「不自由になりたがっている」人間が不安から逃れるための幻想、錯覚、自己喪失の場であり、排除すべきものだ、と。
その考えは今でも一貫しており、11年11月22日の「テレフォンショッキング」ではこう語っている。
「俺はすべての記念日(のパーティは)やんない。自分の誕生日もやんないもん。(プレゼントも)受け付けない。(他人にも)ほとんどあげない。もらわない、あげない。年賀状出さない」
しかし一方でタモリは「最近、『人間関係をうまくやるには、偽善以外にはないんじゃないか』って思ってる」とも語っている[6]。
ネクタイを締める、制服を着る、食事のマナー、そういった「様式」をタモリは「偽善」だという。
そしてタモリは「マナーと美意識も偽善」であるといい、さらに「偽善は善意」「偽善を楽しめばいい」とも述べている。
「偽善って、徹底的にやると、これまた、別のたのしみがあるんです」[1]
思えば『27時間テレビ』こそ「偽善」の塊である。
番組の制作記者会見で、テーマが「団結」と発表された時、バナナマンの設楽統は「タモリさんに『団結』のイメージがない」と言った。
これに対し公私においてタモリに可愛がられ、自身もタモリに対する愛を隠さない草彅剛は「設楽! バカ!!」と叫ぶ。 タモリが書いたという「団結」という文字を指さしながら「なんでそんな後ろ向きなの? あの字見てくださいよ! 団結心がないと書けないですよ! 人は見た目じゃないんだ!」と反論した。
そのやり取りを横目にタモリは苦笑いを浮かべながら、弱々しく「団結しよ……」 とつぶやいた。
そもそも『27時間テレビ』は、フジテレビ30周年となる87年に、日本テレビの『24時間テレビ「愛は地球を救う」』のパロディとして、企画・放送されたものだ。
「楽しくなければテレビじゃない」と謳ったフジテレビにおいて、『オレたちひょうきん族』『笑っていいとも!』が人気を博した時代に、『いいとも』レギュラー陣で、「ばかばかしいお笑いでやろうというコンセプトで作り上げていった」と、総合演出の三宅恵介は述懐している。
タモリと明石家さんまが総合司会を務め、ビートたけしも「乱入」してFRIDAY事件後の謹慎から復帰したこの番組は、平均視聴率19.9%という驚異的な数字を叩き出し、壮大なパロディを成功させた。
それは『24時間テレビ』のパロディであると同時に、「テレビ」そのもののパロディでもあった。であるからこそ「テレビ」の様式美に添ったものであり、「テレビ」そのものとも言えた。
言い方を変えればそれは「偽善」である。
25年を経て、同じように『いいとも』レギュラー陣で行われた『27時間テレビ』もまた、「テレビ」そのものであった。
「偽善」は内輪の中でこそ力を発揮する。タモリはそれを分かったうえで「偽善」をまっとうした。それが視聴者に対する誠意だとでもいうように。
裏を返せばこの「偽善」は、テレビという内輪の世界でしか通用しない。テレビの外部から見れば空々しく、いかがわしいものでしかない。タモリはそのことも熟知している。
だからタモリは前述の『27時間テレビ』の最後の挨拶、「団結したかもしれないけど、国民からは離れたかも」という言葉に続けて、こう言ったのだ。
「えー、テレビを見ていてくれた方々、そして見ない方にも感謝を申し上げます。どうもありがとうございました」
テレビを見てくれた内輪と、見ていない外部。
タモリはテレビの中で「偽善」を徹底的に楽しみつつ、外部の視点をもってそこにツッコミを与えたのではないだろうか。