作家になったエンジニア 宮内悠介 藤井太洋 大森望 作家になったエンジニア《後編》 …藤井太洋×宮内悠介×大森望 サイバーパンクとは違う、未来社会へのアプローチで読ませるふたりの作家。
その現代性とリアリティはどこからやってくるのか。
ふたりの原点、そして現在地を語る徹底対談、《後編》です。
元3DCGソフトの開発者と元プログラマー、ともにエンジニアマインド溢れるおふたりが、
仕事を辞めて「言葉」で世界を構築することを決めた――。
そこに至った必然を、それぞれの代表作『Gene Mapper -full build-』と
『ヨハネスブルグの天使たち』を軸に語って頂きました。
《後編》ではさらに会社員時代の体験から、十代で初めて手にしたマシン、
創作欲の目覚め… そしていまSFに対して思うことまでたっぷりと。


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◎ガレージ企業にあこがれて

大森 もう少し「作家以前」のお話も聞きたいですね。さっきNDA(機密保持契約)って言ったからには宮内さんは楽器のエンジニアもしてたということだよね?

宮内 実はエンジニアとしてはいろいろやってます。組み込みのカーナビゲーションシステムであるとか、ビジネスアプリであるとか、楽器ではギターのエフェクターですとか。組み込みだったり、WinやMacだったり様々に。趣味ではNintendo DSのソフトを書いたり、3Dのアプリを書いてみたりですとか。このあたりは藤井さんが専門であるわけですが。

大森 順番的には?

宮内 まずソフトハウスに入社しまして、そこでは主にカーナビをつくっていました。ええっと……あれです、『Gene Mapper』に「機密事項に抵触したら自動的にミュートしてくれる」アプリが出てきましたが、あれさえあれば! あれがいちばん欲しいかもしれません。

藤井 面倒くさいんですよね。無数のNDAを破る気はないのだけど、どう話せば良いのかという。自動的にするする翻訳してくれれば楽なのに。えーと、それで?

宮内 最初に仕事として書いたプログラムはLISPでした。高校生のころのアルバイトであったのですが、AutoCad上で動くWAVEというDTPソフトがありまして、ちょっとだけ書かせてもらうことができました。大学を出た後は、店番のアルバイトだの麻雀プロ試験だのを経て、ソフトハウスに入社しました。そこで主にカーナビを2年くらい。明るい社風で好きであったのですが、お客さんのところに常駐することが増えて、それもあって転職しました。ガレージ的な会社に勤めてみたいという思いがどうしてもあったのと、ついでに海外旅行にも行きたいと。

藤井 確か一社目を辞めたあとに中東のほうに行かれたんですよね? 戻って来てもう一回就職されたとか。

宮内 はい。そこで楽器などをつくっていました。

大森 それ、会社は会社なの?

宮内 はい。イメージ的には黎明期のAppleのような。

――電王戦の、将棋ソフト開発者の方に取材されたときも、開発者同士インタビューそっちのけで改良点について話し込む姿に、ガレージ的な匂いを感じて興奮したとおっしゃってましたね。

宮内 そう、ホワイトボードを前にひたすら技術論を戦わせるお二人を見て、コンピュータ黎明期のガレージ企業もこんな雰囲気だったのではないかと。「電王戦」のときは、私はコンピュータも好き、アナログゲームも好きで、心中かなり複雑であったのですが、その二人を見ているうちに、なんとなく未来が明るいような、勇気づけられるような気持ちになりました。

大森 藤井さんは?

藤井 僕はICU(国際基督教大学)に通ってたんですが、芝居にはまって学校を辞めてしまいました(笑)。平田オリザさんがやってる青年団の舞台美術をやってた団体で「突貫屋」というところがありまして、そこにハマった(笑)。当時の青年団では、美術プランはアメリカにいる建築家から、マスタープランが来ていたんです。ただ、ざっくりで(笑)。天井に十字があるとかそういうミニマルなものを、実際に作るこっちは一生懸命考えてやってました。ここは(アルヴァ・)アアルトのような世界感の衣装でいこうとか、この柱はミース(・ファン・デル・ローエ)のように、とかひとつひとつ検討しながら。

大森 平田オリザさんの演出はあんなに細かいのに、舞台美術はけっこうおまかせなんですか。

藤井 そもそもオリザさんは美術は無くていいという方なので。無くていいところにつくるんですから、すごいプレッシャーでした。いいものができなければ暗幕でやるとか言い出しかねない雰囲気で。

大森 もともと物をつくるということに興味があったんですか?

藤井 すごくありました。私、生まれは奄美大島で、高校は鹿児島市の外れにある高校。そこから東京芸大を受験するために出てきたんです。失敗してしまいましたが。

大森 で、ICUでは何を?

藤井 教育工学です。マルチメディアタイトルをつくったりするようなゼミに。Macの初期ですね。LCとかClassicとかが出てきた頃です。その頃初めてインターネットに触れました。

大森 1994年くらい?

藤井 いや93年だったはず。大森さんも触ってました?

大森 いや、僕はもうちょっと後。ベッコアメとリムネットでダイヤルアップ接続サービスが始まったのが94年の秋で、僕がリムネットに加入したのが95年の2月ですね。

藤井 ああ、じゃあ僕のほうがちょっと早いかな。Netscapeが出るまえぐらい。まだHTMLってなんだ? これでデザインってできるの? ぐらいなときで、本を見ながら先に卒業した友人の会社のHPをつくってました。

大森 その会社、IIJか何かを引いてたの?

藤井 そうです、専用線を引いてました。月30万~40万かかってた時代ですね。サーバーも当然その会社の中にあって。会社にあるUnix端末の中にHTTPのサーバーを置いていた時代です。

大森 まだ日本語のHPが何十個くらいしかなかった頃ですよね。

藤井 ですね。そこからフリーランスのデザイナーを始めた感じです。デザインという意味では、舞台美術をやってるときに舞台のパースを作っていたので、その頃からやっていたともいえますが。

大森 CADとかも?

藤井 3Dソフトですね、当時のCADはまだ3Dができなかったので。CGソフト、STRATA VISIONとかを使ってました。でもま~、食えないんですよ! 舞台監督とかして食いつないでましたけど、生活は苦しい。それでMacを使って仕事ができるところに就職したいと思って入ったのが飯田橋にあるvanfu(株式会社帆風)っていう出力センターで。

大森 えっ! Vanfu !? せまっ! あのビルの1階でやってるレゴ・ブロック教室にうちの長男が通ってますよ(笑)。あそこ、綺譚社が入ってたビルなんですよね。マンガ家の高野文子さんの旦那さんの秋山協一郎氏がやってた出版社。ってそれはどうでもいいんですが(笑)。

藤井 そこのB to Bの、ビジネス相手の部署に就職しまして。そこで出力をやってました。組版のイロハはそこで。当時ちょうど、従来工程といわれていたものをDTPに統一していこうという時期だったので、従来工程の職人さんたちにDTPを教えてまわったり。アナログスキャナをやってる職人さんにPhotoshopを、版下のフィニッシャーさんのところにIllustratorを、そして和文を棒打ちを手動でやっている人たちのところにQuARkを教えに行く、そんな感じですね。「DTPには自由に詰められるカーニングっていうものがあってですね」なんて教えて、逆に私もインテル(活字の詰め物)の使い方を習う、みたいな。そうこうしているうちに営業が間違って受注してしまった仕事をなんとか卸すために編集もやることになったのが、はじめての編集体験ですね。「完全原稿で来るのでそれを出力するだけ」のはずが、開けてみたら「完全原稿」=原稿用紙だったっていう(笑)。

大森 全ての枚数が揃ってるという意味の完全原稿だったと(笑)。

宮内 間違ってはいない(笑)。

藤井 しかも官の仕事で、コンペで取っちゃったからやんなきゃいけないみたいな。

大森 そもそもvanfuってなんの会社なんですか?

藤井 基本は出力センター。製版屋さんだったんですよ。製版フィルム出してナンボなんですよね。でも営業の人たちが仕事を取ってくるのは止められないので(笑)。あと航空自衛隊の仕事なんかもやりました。浜松基地で新しいF2っていう戦闘攻撃機の展示をやって、そのときの展示グラフィックを。これまた「出力するだけだから」って受けたら原稿が、青焼きの図面だったという。で、社内に編プロを作ったんです。そもそもF2って何? とかいろいろ説明しなきゃいけないから。

大森 受注金額が大きかったんですね(笑)。

藤井 大きかったですね。ところがそれは印刷料金だったんですね。編集費は入ってない。だから自衛隊から仕事を取った大クライアントの人たちと一緒に浜松に取材に行ったりして。で、社内では、「ぴあ」の編集者だった人なんかを引っ張ってきて「編集ってどうすればいいんでしょう?」、「原稿は誰に頼めばいいんでしょう?」なんて聞いたりして。

大森 すごいな。どんなムチャぶりにも答えるという(笑)。

藤井 ですよねえ、そんなところがあったら私が頼みたいです(笑)。で、終わる頃にはみんな疲弊しまくってて。私も終わった瞬間に会社を辞めました。イラストも全部自分で作ったんですよ。3Dの、F2のモデリングとかして。

大森 なんでもできすぎ(笑)。

藤井 それからフリーランスに。その後、イーフロンティアっていうCGのソフト出してる会社に入社して。自分もそこの会社の製品を使ってたので、マーケティングをする人として入ったんです。

大森 フリーのときはデザイナーとして?

藤井 デザイナーとイラストレーターですね。NECの二つ折り携帯の待ち受けつくったりしてました。「バザールでござーる」とかやってたじゃないですか。あれのバザールじゃない方。お花とか風景とか。中国向け携帯の第一弾として龍の絵描いたり。

大森 じゃあ藤井さんの待ち受けを使っていたことがある人がいるかもしれないという。

藤井 いるかもしれないですね(笑)。

大森 面白いなあ… (宮内さんのほうを見て)辞めた会社の話が出来ると話が広がっていいなあ(笑)。

宮内 すみません(笑)。





藤井 イーフロンティア入ってからは「Shade」という3DCGソフトの開発指揮をしたり。それを2013年の春までやってました。結局そこには8年くらい居ましたね。

大森 収入的には大丈夫なの?

藤井 全然ダメです! やばいです(笑)。

大森 小説がこんなにも儲からないとは……。

藤井 いやいや、儲からないのは知ってました。イーフロンティアってBNN新社という出版社を持ってたことがあったんですよ。そこで出版物の数字も見てたし、大変さは知ってたのに……。

大森 うわっ、そりゃまた世間がせまい(笑)。旧BNNの雑誌ではさんざん仕事してましたよ。「MediaFront」とか「インターネットライフ」とか。新社って、「MACLIFE」もなくなったあとですよね? 書籍出版だけになって。

藤井 そうですそうです。だからいかに本が儲からないかはすごくよくわかっているんです(笑)。

宮内 それなのに、なぜ?(笑)

藤井 いやー、非常に忙しくなってしまって体が壊れそうになってしまったので。ここで一回、小説に集中してみよう、と。


◎初めてのマシン、最初の言語

大森 子ども時代、奄美にいたときはどんな感じだったんですか?

藤井 奄美にいたのは中学生までなんで、だからまぁ普通にパソコンで遊んだり。最初に買ってもらったのはX1。シャープのパソコンです。87年かな。

大森 もう98(NECのPC-9800シリーズ)とか出てますよね?

藤井 98が出た後ですね。BASICでプログラムを書いたりしてました。

大森 どうして98じゃなかったんですか?

藤井 X1はROMに何も入ってないというのが魅力だったんです。起動するたびに、BASICプログラム読み込まなきゃいけないあの仕組みが大変に気に入りまして。

大森 みんな便利だと思っていたのに(笑)。しかし、X1だって奄美に1台しかないとかそんな世界でしょう? インプットは何で?

藤井 島に2、3台くらいだったと思いますね。情報源は雑誌です。

大森 「アスキー」とか? 「マイコン」? 「ベーマガ?

藤井 電波新聞社の「BASICマガジン」です。

大森 でもその時代にBASICって……。もうだってねえ、マイコンの時代ならまだわかりますけど、もうだいぶユーザーフレンドリーになりつつあるというか。

藤井 DOSはまだですかね?

宮内 89年頃にDOS-BASICで遊んでいた覚えがあります。ですから、まだ文化が残っている時期ではないでしょうか。

藤井 そうですね、98の人たちはDOS使ってましたね。でも中学生がDOSを使うモチベーションはおそらくない(笑)。

宮内 小6くらいで初めて触ったのがBASICでした。アメリカから夏休みごとに日本に帰ってきてたんですけど、従兄弟がMSXというマシンを使ってまして。で、簡単なプログラミングの概念を教わって、これは面白そうだと。普通です。

大森 うん、普通普通(笑)。多数派ですね、MSXから入るのは。

宮内 紙にプログラムを書いていたのですが、やはり実機が欲しくなってMSXを買ってもらいました。すると内蔵音源があったので、それで作曲をしたり。小説を書きはじめたのも、Windows3.1に「メモ帳」が入っていたからで、デジタル環境に流されながらものを作ってきたところがあります。

大森 MSX買ったのが11歳の頃?

宮内 11歳だったと思います。その頃住んでいたのがニューヨークで、マンハッタンのミドルタウンにOCSとかいう日本語の書店がありまして、1カ月遅れでやってくる「MSX FAN」を買っていました。そういえば、MSXアソシエーションのかたと会う機会があったのですが、アメリカはMSX不毛地帯であったそうで、なぜ「MSX FAN」があったのかは謎です。そして雑誌を読むと、一行プログラムの類いが載っていたので、しばらくショートコーディングに熱中したりですとか。

大森 載ってるプログラムを打ち込んで遊んでたんだ? えっと何年離れてるのかな。僕が61年、藤井さんが71年。

宮内 私が79年生まれです。

大森 てことは11歳だと90年か。

藤井 90年だとMSX2じゃないですか?

宮内 私が買ったの、MSX2+(プラス)です。

藤井 ですよね。それじゃあ相当いい音鳴りましたよね。

宮内 FM音源が鳴りました。でも、なんとなくリッチな音源を使ってはいけない気がして、PSGばっかり使っていました。

大森 その頃だと、MSXじゃなくてもいろいろ選択肢はあったんじゃない?

宮内 入口の広さと値段です。

藤井 そう、意外にないと思いますよ。MSX2+のほかっていうとX68000とかFM TOWNSじゃないですか。値段が10万円以上あがる。

宮内 そうです。私のはF1XVという機種でして、おそらくストリートプライスで2万円台ぐらい。それを使って、いかにしてプログラムによって人と世界を再現するか、ということばかりを考えていました。とはいえマシンがマシンですので、人工無能やワイヤーフレームの類いであるのですが。

大森 そうだよね。で、人工無能っていうのは、ELIZAみたいなもの?

宮内 ええ、ELIZAのようなものです。そのときの名残りと言いますか、卒論で自然言語処理を扱ったり、ソフトを受注するにしても必要のない3D 表現を提案したり、ところどころで無駄なモチベーションを発揮していたりと。こういうプログラマっていますよね(笑)。

大森 (笑)それで、MSX2+の次は?

宮内 PC-9821です。MSX TurboRやAmigaとかもありました。

藤井 おお、Amiga! 遊んでたんですか。

宮内 ええ。とはいえ、さっきも言いましたけど、98にWindows3.1を導入したら「メモ帳」のアプリが入っていて…… それ以来、いまに至るまで小説づくりにハマっている感じです。



Gene Mapper -full build- (ハヤカワ文庫JA)

『Gene Mapper -full build-』(藤井太洋 著/ハヤカワ文庫JA)
拡張現実が広く社会に浸透し、フルスクラッチで遺伝子設計された蒸留作物が食卓の主役である近未来。遺伝子デザイナーの林田は、L&B社のエージェント黒川から自分が遺伝子設計した稲が遺伝子崩壊した可能性があるとの連絡を受け原因究明にあたる。ハッカーのキタムラの協力を得た林田は、黒川と共に稲の謎を追うためホーチミンを目指すが……。2012年にセルフパブリッシングで出された電子書籍がKindleストアで1位に。翌年、大幅に加筆、改稿が施され本書が刊行された。





ヨハネスブルグの天使たち (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

『ヨハネスブルグの天使たち』 (宮内悠介 著/ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)
デビュー作『盤上の夜』で皆の度肝を抜いた大型新人・宮内さんの第2作品集。ヨハネスブルグ、アフリカ、NY、アフガニスタン……国境を超えて普及した日本製のホビーロボットを媒介に人間の業と本質に迫り、国家・民族・宗教・戦争・言語の意味を問い直す連作集。「SFマガジン」に連載した4編に、日本を舞台にした書き下ろしを加えた5編を収録。第34回日本SF大賞・特別賞受賞。





NOVA 5---書き下ろし日本SFコレクション (河出文庫)

『NOVA 5――書き下ろし日本SFコレクション』(大森望責任編集/河出文庫)
SFというジャンルが持つ幅の広さと可能性を詰め込んだ完全新作アンソロジー・シリーズ第5巻。「スペース金融道」を引っ提げ、宮内さん初登場。以後、7巻、9巻にそれぞれ「スペース地獄篇」「スペース蜃気楼」が収録されている。 本シリーズ全10巻も今年、第34回日本SF大賞・特別賞を受賞した。





ドキュメント電王戦: その時、人は何を考えたのか (一般書)

『ドキュメント電王戦―その時、人は何を考えたのか』(夢枕獏、川上量生、宮内悠介ほか/徳間書店)
現役プロ棋士とコンピュータソフトによる第2回将棋電王戦。対局した棋士、ソフト開発者、将棋を愛する小説家・漫画家など、さまざまな形で今回の対局に関わった人たちが語り綴った大会の全貌。宮内さんはソフト開発者5人にインタビューをしている(ひとりはメールインタビュー)。





オービタル・クラウド

『オービタル・クラウド』(藤井太洋 著/早川書房)
流れ星の発生を予測するWebサービスを運営するフリーランスのWeb制作者・木村和海は、衛星軌道上の宇宙ゴミ(デブリ)の不審な動きを発見する。それは国際宇宙ステーション(ISS)を襲うための軌道兵器だという噂が、ネットを中心に広まりりつつあった。同時にアメリカでも、北米航空宇宙防衛軍(NORAD)のダレル・フリーマン軍曹がこのデブリの調査を開始――近未来のテクノロジーをふんだんに盛り込み描いた、藤井太洋渾身のテクノスリラー巨篇。


 
 




※このトークショーでは、今回の鼎談では話されていない藤井さんの新刊『オービタル・クラウド』にちなんだ宇宙テクノロジーのお話もいっぱいされるとか。

宮内悠介(みやうち・ゆうすけ)


1979年東京都生まれ。幼少期より1992年までニューヨーク在住。早稲田大学第一文学部英文科卒。2010年、囲碁を題材とした短篇「盤上の夜」で第1回創元SF短編賞山田正紀賞を受賞。2012年、連作短篇集『盤上の夜』を刊行し単行本デビューした。同書は第147回直木賞候補となり、また第33回日本SF大賞を受賞するなど高評価を得る。2013年5月第2短編集『ヨハネスブルグの天使たち』(早川書房)刊行。第149回直木賞候補になったほか、第34回日本SF大賞・特別賞を受賞した。同年、第6回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞受賞。今もっとも期待されている新鋭SF作家である。


藤井太洋(ふじい・たいよう)


1971年奄美大島生まれ。 国際基督教大学中退。舞台美術、DTP制作、展示グラフィックディレクターなどを経て、2013年までソフトウェア開発・販売を主に行う企業に勤務。2012年、電子書籍個人出版「Gene Mapper」を発表し、作家として一躍注目を浴びる。2012年12月、短篇小説「コラボレーション」「UNDER GROUND MARKET」の2作で商業誌デビュー。2013年4月に、「Gene Mapper」の増補完全版『Gene Mapper -full build-』(ハヤカワ文庫JA)を刊行。2014年2月、新刊『オービタル・クラウド』(早川書房)が刊行された。他に〈UNDERGROUND MARKET〉シリーズ(Kindle連載)の連作短篇「ヒステリアン・ケース」「アービトレーター」がある。

大森望(おおもり・のぞみ)


1961年高知県生まれ。京都大学文学部卒。新潮社勤務を経て翻訳家、書評家、アンソロジストに。訳書にコニー・ウィリス『航路』『混沌ホテル』『空襲警報』、バリントン・J・ベイリー『時間衝突』など。主な著書に『現代SF1500冊(乱闘編・回天編)』、『特盛!SF翻訳講座』、『狂乱西葛西日記20世紀remix』、『21世紀SF1000』、共著に『文学賞メッタ斬り!』シリーズなど。編纂するアンソロジーに《NOVA 書き下ろし日本SFコレクション》シリーズ、《不思議の扉》シリーズ、《年刊日本SF傑作選》(日下三蔵との共編)など。《NOVA》で第34回日本SF大賞・特別賞受賞。

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