落雷と祝福

副題は「好き」に生かされる短歌とエッセイ。
歌人・岡本真帆が愛するものをお題にした連作短歌とエッセイをお送りします。
第11回のテーマは「スキップとローファー」です。

 

 

転んでも走れる

 

 読んでいるうちに、つーっと涙が流れていて、気付いたときにはそれがだばだばと止まらなくなっている作品がある。「月刊アフタヌーン」で連載中の『スキップとローファー』だ。頭で理解する前に、感情が溢れてしまうような、そんな瞬間が無数にあるのだ。どうしてそうなってしまうのか、その理由についてしばらく考えていて、だんだん分かってきた。
 主人公は、石川県の凧島町から東京にやってきた、岩倉美津未(みつみ)。クラスメイトが数名しかいない田舎町から、官僚になるという夢を抱いて進学校に首席入学した彼女は、家族や友人からは「勉強以外のことはかなりズレている」と言われる女の子。彼女が慣れない東京の土地で奮闘し、周りの人を驚かせながらも心をほぐして笑顔にしていく。

「人の悩みのほとんどは対人関係によるものだ」と心理学者のアドラーは言った。自分とは異なる他者との比較によって、劣等感や競争意識は生まれる。書籍『嫌われる勇気』の中でも、「宇宙のなかにただひとりで、他者がいなくなってしまえば、あらゆる悩みも消え去ってしまう」と語られている。他人から下される評価、勝手につけられる序列。そういう人間関係の中で生じる様々な悩みや不安を『スキップとローファー』はリアリティを持って描いている。どうしてこんなに細やかな感情の揺れ動きを描写できるのだろう、と、毎回作者の高松先生には尊敬の思いが止まらなくなるくらい、心の機微がとても丁寧に繊細に描かれている作品だ。
 私がもっとも感情移入してしまうのは、美津未のクラスメイトの一人である志摩聡介だ。志摩くんは整った顔立ちや柔らかい雰囲気から、常に異性からの視線を集める男子生徒として描かれている。志摩くんは入学式をボイコットしようとしている最中、乗換駅で迷って遅刻した美津未と出会い、二人で通学路を走って登校するところから徐々に美津未に惹かれ始める。
 いつもにこにこしていて誰からも好かれている志摩くんがどこか寂しそうな顔をしているとき、人との関係に一歩踏み出すのをためらう姿をみるとき、なんだか自分のようだなあと思ってしまう。志摩くんは、過去の傷ついた出来事から、再び傷つくことを恐れている。表面上はとても穏やかで、クラスの中心にいるけれど、心の中は寂しそうだ。志摩くんは人の素敵なところを見つけるのが上手な人で、周りの友人の魅力にたくさん気付いている。けれど、その目を自分自身に向けるのは苦手なようで、自己評価がものすごく低いように見える。
 本当に親密になるための一歩を他人に対してぐっと踏み出せないのは、私も同じだ。私は、他人と本当に理解し合えることはないんじゃないか、と思っている。それぞれが持っている価値観や美意識、信念を少しのずれもなく、100%間違いのない意味で理解しあえることは、きっとない。理解し合おうとすることはできても、完全に理解できることはないと思う。それは明るい諦めと言ってもいい。だからこそ、互いの違いやわかり合えなさを受け止めながら、それでも今ここで一緒に過ごせることを、楽しく心地よく分かち合いたい。そう思っているのだが、他人と理解し合うことを諦めている自分を、寂しく感じることがある。

 『スキップとローファー』の登場人物たちを見ていると、なんだか奇跡を目撃しているような気持ちになる。私が無理だと諦めたことが、美津未や志摩くんの周りでは起きているのだ。
 価値観が違っても、性格が違っても、親しくなれる。それは物語の世界の出来事だからではない。主人公の美津未が「理解できない存在だから」といって他者を遠ざけず、相手に気持ちを届けようと勇気を出して一歩踏み出すからだ。クラス対抗スポーツ祭で女子達の歓声を集めている志摩くんに「自分とは違う立場だからこそ、寂しさを感じているのではないか」と、一度は渡すのを躊躇した差し入れを渡しに行く。まっすぐに自分を差し出す美津未の姿勢が、小さな奇跡を生み、それは徐々にドミノ倒しのように大きなエネルギーになっていく。
 転ぶかもしれなくても、傷つくかもしれなくても、その前に人に愛を差し出している。そのまっさらな献身に、心を動かされる。人と人は完全にはわかり合えないかもしれない。それでも、傷つくことを恐れず、人を愛することはできる。それがどれほど難しいことか分かっているから、恐れない美津未に胸を打たれる。志摩くんが美津未に惹かれるのと同じように、私も美津未に惹かれている。
 私たちはきっと、人間関係という悩みの絶えない世界の中で、いつも小さく傷ついている。でもその傷を見ないふりしたり、大丈夫だと平気なふりをして、なんでもなかったように過ごしている。傷つきたくないから、「あの人とはわかり合えないんだ」と理由をつけて、相手に踏み込むのをやめてしまう。そういう、小さく傷ついても大丈夫なフリをしてかさぶたになってしまった傷痕に、『スキップとローファー』の優しさと勇気は、じんわり染みるんだと思う。

 アニメ『スキップとローファー』のオープニングに、美津未と志摩くんのダンスシーンがある。スキップするように跳ねる美津未のステップを皮切りに二人は踊り始める。ちょっとだけ照れたりよろけたりする二人のダンスの動きは完全にはそろっていないし、プロのダンサーのようには決まっていない。
 人に見せることを意識しないダンスは、踊る二人の喜びのためにある。楽しいから踊る。嬉しいから踊る。二人で踊ることに集中して、たまに微笑みあって。本当に二人が楽しそうなのが良くて、驚くほどぐっときてしまうのだ。
 生まれも育ちも価値観も違う二人。向かい合い、誰のためでもなく自分たち二人のために楽しく踊っている姿を見ると、二人が出会ってくれてよかった、と心の底から思ってしまう。美津未に出会って変わりつつある志摩くんの、恐れずに人と向き合う姿に、大きな氷がゆっくり溶けていくような希望を見て、私はまたじんわりと泣いてしまう。

 友人である二人の関係性が、この先どう変化していくのか本当に楽しみだ。

 

 

≪作品紹介≫

スキップとローファー

『月刊アフタヌーン』(講談社)にて、2018年10月号から現在も連載中。2023年4月~アニメ放送。
石川県の中学校から、東京の高校へ入学した主人公・美津未と、彼女が出会うクラスメイトたちとの物語。
テレビアニメ版のストーリー紹介は、
「ときどき不協和音スレスレ、だけど
いつのまにかハッピーなスクールライフ・コメディ!」

講談社 アフタヌーン『スキップとローファー』作品ページ

2023.08.31更新

 

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著者プロフィール

岡本真帆

一九八九年生まれ。高知県、四万十川のほとりで育つ。未来短歌会「陸から海へ」出身。

X: @mhpokmt

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  • 岡本真帆(おかもと・まほ)

    一九八九年生まれ。高知県、四万十川のほとりで育つ。未来短歌会「陸から海へ」出身。第一歌集『水上バス浅草行き』(ナナロク社)
    Twitter:@mhpokmt