作家になったエンジニア 宮内悠介 藤井太洋 大森望 作家になったエンジニア《後編》 …藤井太洋×宮内悠介×大森望 サイバーパンクとは違う、未来社会へのアプローチで読ませるふたりの作家。
その現代性とリアリティはどこからやってくるのか。
ふたりの原点、そして現在地を語る徹底対談、《後編》です。
元3DCGソフトの開発者と元プログラマー、ともにエンジニアマインド溢れるおふたりが、
仕事を辞めて「言葉」で世界を構築することを決めた――。
そこに至った必然を、それぞれの代表作『Gene Mapper -full build-』と
『ヨハネスブルグの天使たち』を軸に語って頂きました。
《後編》ではさらに会社員時代の体験から、十代で初めて手にしたマシン、
創作欲の目覚め… そしていまSFに対して思うことまでたっぷりと。


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◎見えないシンギュラリティの予感

藤井 先日宮内さんとマシンのなかの人工知能……というかシンギュラリティを見たことがあるかという話をしてたんです。

大森 シンギュラリティを見たら大変です。

藤井 実は見えないんじゃないか、ということなんです。

大森 ああ、なるほど。

藤井 Chrome、使ってますか? GoogleのWebブラウザ。あれはJavaScriptの最適化エンジンに「V8」というのを使ってるんですが、その部分のソースコードを見たときに、とても人間が書いたものには見えなかったんです。私が見たバージョンはすごく初期のものだったので余計にそう感じたんでしょうけど。インデントも何もなく、ベターとしたコードが、かなり確信的に「これ使って信号作れ」みたいな感じでがっつり決め打ちで書かれてて。まずい、読めない。これ人間が書いてないな、と。「V8は遺伝的アルゴリズムで最適化されている、という記事を読んでいたせいで余計にそう思ったのでしょうけど、要するに、マシンが無数のテストを繰り返した結果選び出したコードに見えたわけです。

宮内 ええ。

藤井 それ見たときに、ちょっと寒気がしまして。私たちが使っているコンピュータのプログラムのなかには人が書いてないプログラムが明らかに存在し始めてる……つまりシンギュラリティは「見えない」んだって。そもそも人工知能というものが人を模す必要なんかないわけですからね。

宮内 藤井さんから話を伺って、私もソースコードを見てみたのですが、わかる気がしました。

大森 いずれはソースコードを見ても全く理解できなくなって、でも動く、みたいな。

藤井 実際、JavaScriptのようなスクリプト言語といわれるものって、行ごとに解釈して実行するスタイルはもう古くて、実行前にジャストインタイムコンパイルといって、いったんマシン語をつくってから実行するものが増えてます。そのときにどういうマシン語が選ばれるかというのは人間にはわからない。スクリプト言語だけじゃなくて、iPhoneとかMac版のアプリケーションでも開発用に使うObjective-CがLLVMというエンジンで中間言語をつくってからコンパイルされて機械語になる。そのとき、テストコードの実行コアによって最適化されたバイナリがつくられるんですよ。なので、人間が指定するプログラムと実際に動くバイナリの一対一の関係っていうのはもう既に崩れてるんです。そして、LLVMのようにものすごく多くの環境で使われる最適化エンジン自体がジェネティックアルゴリズムを持ったとき何が起こるかっていうのはおそらく、想像が出来ない。

大森 何が起こってても不思議はなくて、いつの間にかシンギュラリティが起きて、ものすごく性能がよくなって……。

藤井 「シンギュラリティ的なもの」ですね。人間の知能というか、設計者がデザインしたものとは似ても似つかない形のコードが実行されてるんだけど、同じ結果が返ってくるから人間は疑いを持たない、みたいな。そこで突破されてるものは、もはや制御できないものになってる可能性が高いんじゃないかって。

大森 C言語とかで書いたコードが、遺伝的アルゴリズムで最適化された組み合わせでコンパイルされる段階で何かとてつもないものに変貌して、ある日突然そのことに気づく、みたいなことがあるかもしれない、と?

藤井 Cぐらい対応関係が明確な言語だとたぶんそこまで行かないんですけど、ビッグデータの解析なんかを行っているときのプロセスは徐々にわからなくなりつつあるんじゃないかという気はします。株式の高頻度取引なんかそんな気がしますね。最近はプログラムを焼き込んだFPGAっていうカスタム・チップが直接取引してるんです。マイクロセカンド単位が求められるからなんですけど、プログラム同士がネットワークを通して繋がり始めてるってわけじゃないですか。そうすると、株価が安定してるのは果たして人間の力なのか。コンピュータ同士が勝手に調停しているんじゃないのか。あるしきい値を超えると、神の見えざる手っていうのが本当に実現するんじゃないか、そんな気がするんですよ。

宮内 だんだんと人の手を離れつつある感じが確かにします。そういえば、自動取引がもたらす金融破綻を描いたことがありましたが、いざ現実に追いつかれてみると、何やらそれなりに安定している。確かに、神の見えざる手と呼ぶしかない何かが生まれつつあるのかもしれない。

藤井 しきい値を超えたかどうかって人間には知覚できないんですよね。

大森 金融システムのなかでシンギュラリティが起きたとしてもわからない。

藤井 そういう、見えないシンギュラリティみたいなものはありうるんじゃないかと思います。

大森 それこそ将棋の電王戦じゃないですけど、そういうソフトの世界でも……

宮内 電王戦とシンギュラリティを結びつけることには抵抗がありまして、というのも、巷では人が敗れたなどと言われていますが、元より棋士という人種は、我々普通の人間をはるかに超えた化け物のようなところがある。棋士を自分たちの代表であるように考えることは、棋士に対しておこがましいように私は感じるのです。そう考えると、人間はとっくに敗れていて、いまは化け物が化け物と闘っている状況であるとも言える。それはともかくとして、電王戦のPuellaαを開発した伊藤英紀さんが「名人を超えた」と発言して物議を醸しましたが、お話を伺ったところ、「まだ改良が必要だと思っていたら、いつの間にかスコアの上で名人を上回っていた」といった意味のことをおっしゃっていました。もちろんその背景にはさまざまな工夫や最適化があったわけですが、これなどは、「見えないシンギュラリティ」と呼ぶに値する出来事かもしれません。

書籍『ドキュメント電王戦―その時、人は何を考えたのか』のなかで宮内さんは第2回電王戦を戦った将棋ソフトの開発者5人(ひとりは文書インタビュー)にインタビューするなかで、繰り返し、「プログラムが自分を超えた瞬間」また「開発中に知能が生まれたかのように感じた瞬間はありますか」と問う。回答がいちいち興味深く(たとえば山本一成さんは「ponanzaはコードに書かなくても、穴熊も知っていたし、矢倉も知っていました。知能というのが何なのかわからないですけど、プログラム中にはなんの記述がないにもかかわらず、将棋が人間の定跡に近づいていくのは不思議でした」と答えている。「コンピュータって常識が通じなくて困るんですよ」といった切実な、開発者ならではの苦労話も披露されている。本対談の読者にはぜひお勧めしたい一冊だ。

大森 ヴァーナー・ヴィンジのいうシンギュラリティ(技術的特異点)の概念は、SF界……特にアメリカで一大旋風を巻き起こしたわけですけど、テッド・チャンみたいに懐疑的な人も多い。ヴィンジのいうシンギュラリティだと、それによって世の中が決定的な変化をしてしまうわけですよね。だからその先を書く、という。経済とかだと、ある日突然、そういう変化が起きるかもしれないですよね。

藤井 そうですね、もし経済で発生してしまうと、いくら政策的に相場を浮かせようとしても変わらない。一瞬変わってもあっという間に調停されて、市場が求める値段がついたまま動かなくなってしまう。単純に取引所だけがどんどんどんどん増えて行って、ということはありえると思います。

宮内 現状のシステムがどこまでよくできているかという勝負のような……





藤井 そういうところにどんどん新しいシステムが投入されていくんでしょうけど、それは人間が操作してるといえるのでしょうか。各プレーヤーは自分自身の利益を最大化するために動いてるけど、それが総合的に動き始めるとそれは一種のシンギュラリティといえなくもない。代理戦争ですけどね。

大森 西洋的シンギュラリティだとAIが人間を支配するとか、人間を見捨ててどっかに行ってしまうとかいろんなパターンがありますけど、藤井さん的にはどっちかっていうと、何がどうなるかわからない世の中になるという感じですかね。

藤井 制御できなくなる、完全性定理みたいな形で存在するんじゃないかと思いますけどね。「人はシステムを理解し得ない」みたいな。そういう到達点がどっかで出てくるかもしれないです。電力供給網なんかで発生すると……。

大森 ああ、スマートグリッド。

藤井 そう、たとえばスマートグリッドのコントローラーとかが省エネ目標みたいなものを持ってしまうと、いくらコントロールしようとしてもどんどんどんどん分けられてしまって。それこそもうひとつの、大森さんが翻訳してないほうの『ブラックアウト』(マルク・エルスべルグ著、猪股和夫・竹之内悦子訳、角川文庫)ですよね(笑)。

大森 そういう話になりますよね。

藤井 大森さんが訳したほうの『ブラックアウト』(コニー・ウィリス)、ああいうリアルな世界と密接に結びついたところに高度なプロセッサー……高度じゃなくてもいいんですよね、通信して目的を持った何かをし続けるっていう小さなプログラムが蟻んこのようにたくさん群がってくると蟻塚ができちゃうかもしれないという。

大森 その場合そこに、意思みたいなものが発生してもわからないってことですか?

藤井 わからないんじゃないかな、という。

大森 人間がわかるような意味での意思というか意識はないだろう、と。

藤井 それが何か物語にできるとすごくエポックな気がするんですけどね。と、思いながらネタ帳に落書きをたくさん積み上げているわけですけれども。「これはありか? これは?」みたいな。

大森 これからの作品が楽しみですね。藤井さん、次回作は?

藤井 いま『オービタル・クラウド』というものを用意してます(2014年2月、早川書房より刊行)。これは純粋なテクノスリラーなので、SFの文脈とはちょっと違うんですが、ただその次、その次、と用意しているものはあって、かなりSFに寄せて書かないといけないものも考えてます『GeneMapper』世界の中で起こる他の物語を、時代をずらし、場所をずらし、テーマをずらし、書いていきたいな、と。


◎考えて、考えて、読者が想像もしなかった風景を見せる

大森 ハッカー的なSFだったら、ルーディ・ラッカー(1946年~、アメリカ)とか。読んでらっしゃいます?

藤井 もちろん!

大森 どうですか? ラッカーあたりはけっこう近いところもあったりするのでは。

藤井 ラッカーさんの作品はエンターテインメントとしてすごくカチッとしてるので、楽しく読むことができますね。ああいう形でちゃんとSFらしくセンス・オブ・ワンダーが提示できてるというのは素晴らしいなと思います。

大森 最近ちょっとトンデモ方向に行ってしまったきらいはありますけど。でも一時はオートデスク社に籍を置いて、プログラムを書いて生計を立てていた、それこそ人工生命とかをやったりしてきた人ですよね。近いところにいるようだけど、やっぱり西海岸文化的なもの、さっきのでいうとストールマン系というか、さらに一世代上ですかね。

藤井 そうですね。ハッカーがハッカーたりえた時代というか。まぁいまでもハッカーはハッカーなんですけど。でも最近だとハッカーが成功する方向がけっこうはっきりしてるので(笑)。ハッカーが尊敬を集めそれを活用してお金を得てビジネスを成功させるという、そういうルーチンができあがりつつありますよね。ちょっと上になると、そういう道はないですよね。

大森 そうですね、ラッカーの場合は、だいたい奥さんと子供がハッカーをつなぎとめて「やっぱり世の中は壊しちゃダメでしょ」みたいな展開に(笑)。そこが現実との接点になっている。宮内さんはどう?

宮内 ラッカーの「慣性」という短編が大好きなんです。『ラッカー奇想博覧会』に収録されてる。慣性巻き取り機が……

大森 ああ、あのどんどんジャンプしていくやつ。すばらしいですよね、あれ。バカSFの最高峰。

宮内 いまだに原理がわかんないですけど。でも、そのよくわからない代物によってどこまでも話が広がっていく。ああいうのが書けたら最高です(笑)。さしあたって自分の場合は、次の長編は精神医学がテーマで。SFかどうかは……

――かつてインタビューで、「『盤上の夜』はSFなんですか」と問われ、「境界作でして、従来SFが培ってきた回路のようなものを取り込んでいます」とおっしゃっていますが、宮内さんにとってその作品がSFであるか否かの決め手というのはどこにあるんでしょうか。

宮内 そんなかっこいいこと言いましたっけ(笑)。そういえば、 “盤上のゲーム”というシステムはSFへの回路を孕んでいるのではないかと、そんな話をしたような気もします。しかし、SFの回路は何ぞや。むしろ教えて欲しいところなのですが(笑)。

藤井 そうなんですよね。どうなればSFなのかっていうのはすごく、迷いがあると思うんですよ。本当に。

大森 いやいや、「これがSFだ」って言い切ってしまえば大丈夫でしょう。

――『ディアスポラ』(グレッグ・イーガン、山岸真訳、ハヤカワ文庫SF)の帯には「SFだけが与えうる深い感動」という言葉を寄せておられますが、大森さんから見たSFの固有性というのはどういうところにあるんでしょう?

大森 「SFだけ」というのは極端だけど、生身の人間がひとりも出てこなくても小説になるというのはたぶん他のジャンルではあり得ないですよね。そもそも主人公は人間じゃないし。

――特にイーガンに関しては「いま現存するひとで最高のSF作家」ともおっしゃってますよね。「思考の徹底度においてイーガンを凌ぐ可能性があるのは(スタニスワフ・)レムぐらいじゃないか」とも。

大森 そうですね。やっぱりどこまで真剣にひとつの前提について考え続け、読者を感心させられるか。そういう意味でイーガンはすごいと思う。人格転写の問題、あるいは人間が電子の世界に入り肉体を捨てたときに何が起きるか……SFではいろんなアイデアがいくらでも出せるけれど、イーガンはあらゆる可能性を考え、意外な結論を導き出す。その前にレムという人もいるわけで、彼の場合は、「ソラリス」という長編で、人間じゃない知性の考えは人間に理解できないかもしれないことを示して、そこでSFのパラダイムが変わった。機械知性に関しても、「ゴーレム XIV」というたいへんな中編を書いています。そういうふうにひとつのテーマについてひたすら考え続けることがSFのひとつの機能なんじゃないかという気はする。いろんな可能性の先を作家が見せて、それが読者が想像もしなかった風景だったときに生まれる感動というのは、たぶん他のジャンルではないんじゃないかと。

――藤井さんはSFに足場を置いて、というお考えはありますか。

藤井 書いたものがSFと思われるかどうかは読者にゆだねたいと思っています。『Gene Mapper』の次に出した「UNDER GROUND MARKET」については自分でもSFだとは思っていませんし。ただサイエンスの未来にはこだわっていきたいと思ってますね。どの部分がこの作品をSFたらしめてるのかというのは、常に自分の中では問いかけながら作っていきたい、と。

大森 距離の問題ですからね。普通に現実のITの話を書いただけでも、全く馴染みがない人にとってはハードSFのように見える。円城塔の『これはペンです』が芥川賞の選考会ではみんなにSFだと言われてしまうというのと同じようなことだと思うんですよね。宮内さんは、『アメリカ最後の実験』、あれはこれから飛躍した要素が出てくるの? ほら、あの箱が暴走し始めて、人間を襲いはじめるとか(笑)。

宮内 そして理解不能な音楽によって人々が……いや、そこまではいきません(笑)。『アメリカ最後の実験』については、テクノロジーを通じて楽器の新たなアイデアが生まれ、それがフィードバックして音楽のありかたそのものを書き換えるような……そのような形を目標としていて、その点ではSF的だと言えそうです。

藤井 宮内さんの場合、パースペクティブがSFじゃないですか。だからおそらく何を書かれてもSFになるんじゃないかという予感はすごくしますね。

宮内 SFが示してくれる、こういうこともできる、ああいうこともできるという、その広大な遊び場でまだ遊ばせてもらっている段階のようにも思います。でも、ゆくゆくは近代建築とは言わないまでも、木造の平屋でもなんでも建設していければ。自分の物事の考え方と社会とを切り結んでくれる唯一のインタフェースがSFであるかもしれなくて、ともあれ、まずは大事に一作一作書いていければと思うのです。





―おわり―

撮影:秋倉康介
  取材・構成:浅井愛(編集部)
place: Le sang des poetes 詩人の血



2014/05/22 更新



Gene Mapper -full build- (ハヤカワ文庫JA)

『Gene Mapper -full build-』(藤井太洋 著/ハヤカワ文庫JA)
拡張現実が広く社会に浸透し、フルスクラッチで遺伝子設計された蒸留作物が食卓の主役である近未来。遺伝子デザイナーの林田は、L&B社のエージェント黒川から自分が遺伝子設計した稲が遺伝子崩壊した可能性があるとの連絡を受け原因究明にあたる。ハッカーのキタムラの協力を得た林田は、黒川と共に稲の謎を追うためホーチミンを目指すが……。2012年にセルフパブリッシングで出された電子書籍がKindleストアで1位に。翌年、大幅に加筆、改稿が施され本書が刊行された。





ヨハネスブルグの天使たち (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

『ヨハネスブルグの天使たち』 (宮内悠介 著/ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)
デビュー作『盤上の夜』で皆の度肝を抜いた大型新人・宮内さんの第2作品集。ヨハネスブルグ、アフリカ、NY、アフガニスタン……国境を超えて普及した日本製のホビーロボットを媒介に人間の業と本質に迫り、国家・民族・宗教・戦争・言語の意味を問い直す連作集。「SFマガジン」に連載した4編に、日本を舞台にした書き下ろしを加えた5編を収録。第34回日本SF大賞・特別賞受賞。





NOVA 5---書き下ろし日本SFコレクション (河出文庫)

『NOVA 5――書き下ろし日本SFコレクション』(大森望責任編集/河出文庫)
SFというジャンルが持つ幅の広さと可能性を詰め込んだ完全新作アンソロジー・シリーズ第5巻。「スペース金融道」を引っ提げ、宮内さん初登場。以後、7巻、9巻にそれぞれ「スペース地獄篇」「スペース蜃気楼」が収録されている。 本シリーズ全10巻も今年、第34回日本SF大賞・特別賞を受賞した。





ドキュメント電王戦: その時、人は何を考えたのか (一般書)

『ドキュメント電王戦―その時、人は何を考えたのか』(夢枕獏、川上量生、宮内悠介ほか/徳間書店)
現役プロ棋士とコンピュータソフトによる第2回将棋電王戦。対局した棋士、ソフト開発者、将棋を愛する小説家・漫画家など、さまざまな形で今回の対局に関わった人たちが語り綴った大会の全貌。宮内さんはソフト開発者5人にインタビューをしている(ひとりはメールインタビュー)。





オービタル・クラウド

『オービタル・クラウド』(藤井太洋 著/早川書房)
流れ星の発生を予測するWebサービスを運営するフリーランスのWeb制作者・木村和海は、衛星軌道上の宇宙ゴミ(デブリ)の不審な動きを発見する。それは国際宇宙ステーション(ISS)を襲うための軌道兵器だという噂が、ネットを中心に広まりりつつあった。同時にアメリカでも、北米航空宇宙防衛軍(NORAD)のダレル・フリーマン軍曹がこのデブリの調査を開始――近未来のテクノロジーをふんだんに盛り込み描いた、藤井太洋渾身のテクノスリラー巨篇。


 
 




※このトークショーでは、今回の鼎談では話されていない藤井さんの新刊『オービタル・クラウド』にちなんだ宇宙テクノロジーのお話もいっぱいされるとか。

宮内悠介(みやうち・ゆうすけ)


1979年東京都生まれ。幼少期より1992年までニューヨーク在住。早稲田大学第一文学部英文科卒。2010年、囲碁を題材とした短篇「盤上の夜」で第1回創元SF短編賞山田正紀賞を受賞。2012年、連作短篇集『盤上の夜』を刊行し単行本デビューした。同書は第147回直木賞候補となり、また第33回日本SF大賞を受賞するなど高評価を得る。2013年5月第2短編集『ヨハネスブルグの天使たち』(早川書房)刊行。第149回直木賞候補になったほか、第34回日本SF大賞・特別賞を受賞した。同年、第6回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞受賞。今もっとも期待されている新鋭SF作家である。


藤井太洋(ふじい・たいよう)


1971年奄美大島生まれ。 国際基督教大学中退。舞台美術、DTP制作、展示グラフィックディレクターなどを経て、2013年までソフトウェア開発・販売を主に行う企業に勤務。2012年、電子書籍個人出版「Gene Mapper」を発表し、作家として一躍注目を浴びる。2012年12月、短篇小説「コラボレーション」「UNDER GROUND MARKET」の2作で商業誌デビュー。2013年4月に、「Gene Mapper」の増補完全版『Gene Mapper -full build-』(ハヤカワ文庫JA)を刊行。2014年2月、新刊『オービタル・クラウド』(早川書房)が刊行された。他に〈UNDERGROUND MARKET〉シリーズ(Kindle連載)の連作短篇「ヒステリアン・ケース」「アービトレーター」がある。

大森望(おおもり・のぞみ)


1961年高知県生まれ。京都大学文学部卒。新潮社勤務を経て翻訳家、書評家、アンソロジストに。訳書にコニー・ウィリス『航路』『混沌ホテル』『空襲警報』、バリントン・J・ベイリー『時間衝突』など。主な著書に『現代SF1500冊(乱闘編・回天編)』、『特盛!SF翻訳講座』、『狂乱西葛西日記20世紀remix』、『21世紀SF1000』、共著に『文学賞メッタ斬り!』シリーズなど。編纂するアンソロジーに《NOVA 書き下ろし日本SFコレクション》シリーズ、《不思議の扉》シリーズ、《年刊日本SF傑作選》(日下三蔵との共編)など。《NOVA》で第34回日本SF大賞・特別賞受賞。