
古屋兎丸の初期重要作を収録した『禁じられた遊び』が刊行、
しかも表題作は今回初公開となる、15歳当時の作品です。
そんな古屋氏の青春初期衝動エピソードをお聞きしました。
しかも表題作は今回初公開となる、15歳当時の作品です。
そんな古屋氏の青春初期衝動エピソードをお聞きしました。
──それはそれとして、イケてる高校生になろうと。
高校デビューしようと思って。それまでずっと八王子にいたのが、オシャレな吉祥寺に通うわけでしょう。しかも明星は私服だし、華々しい世界に足を踏み入れる感覚ですよね。それでまずテニス部に入ったんです。もともと運動神経は悪くないほうだったから。でもとにかく練習が地獄のようにキツいし、運動部ならではのシゴキもあって。
──向いてないなと。
生まれ持った性格は変えられないなと(笑)。で、ある時イケメンが前から歩いてきてね。Y'sかなんかの黒いコートを着て、当時のデヴィッド・シルヴィアンみたいに髪型をキメたのが僕を見て「おおお?!! オレオレ!」とかっていうわけですよ。え、誰……と思ったら原君だったの。彼は八王子の公立高校に行ってて、全然会ってなかったんだけど、そのあと10キロ以上やせて、高校デビューに成功したんだね。あとで噂に聞いたところによると、たいそうおモテになったそうで……。「また原君に先を越された!」と思った。
──一方そのころ古屋少年は。
あのー、1年上に美人の先輩がいたんです。ボブカットだったから、勝手に「ボブ」って呼んでて。はかなげで可憐で、物静かなんだけどいつもニコニコしていてね。仲間うちでも「ボブ先輩見た?」「きれいだよね」みたいな。ボブ先輩は美術部だったんだけど、文化祭の出し物で、赤い着物にメイドがするようなひらひらのエプロンを着けていたの。それが本当に美しくて、ハートを射抜かれた。
──惚れた。
惚れた。それで美術部に入ったんです。しばらくテニス部と掛け持ちしてたんだけど、2年の夏休みに重度のギックリ腰になって……合宿に行けなくなったし、もういろいろめんどくさくなってテニス部はやめた。まあ美術部といっても大した活動はしてなくて、みんな好きなときに集まって帰ったりとかっていう。
──ボブ先輩と話したりとか。
それが話せなかったですね……。それである日吉祥寺駅でボブ先輩を見かけて、「あっ、どこ行くんだろう?」と思ってこっそりついていったんです。
──お。
そしたら国分寺で降りて、武蔵野美術学院っていう美大の予備校に入っていったんですね。「ここで勉強してるんだ……」とか思って入り口を恐る恐るのぞいてたら、先生が出てきて「見学かい?」っていうから、「あ、そうです」と。
──(笑)
すごい親切に案内してくれて。そしたら油絵科のところで、ボブ先輩が準備をしてたの。それで先生が、「君は何かやりたいことがあるの?」って聞いてきたから、迷わず「油絵です!」と、いきなり断言しちゃって。
──ボブ先輩がやってたから。でも美術自体には興味はあったわけですよね。
あったけど、自分から美術系に行こうとは思わなかったんですよ。あんなのは天才が行くところで、イチ高校生が行くところじゃない……まあみんなイチ高校生なんだけど(笑)、当時はそう思ってた。でもボブ先輩がいるから、予備校でパンフレットもらって、その日のうちに親に見せたの。「ここに通いたいんだけど」って話をしたら、「他にも予備校あるのに、なんでわざわざこんな遠い駅のに行くの?」って。まあそうですよね。
──なんて説得したんですか。
最終的に……「ここがいいんだよ!」って押し切ったような。
──それでご両親も「お、おう」と。
そろそろ進路を決めなきゃいけない時期だったし……親としては、中学まで美術部入ったり絵とかマンガとか描いてた息子が、いきなり高校になったらテニスとか始めるし、どうなってるんだと思ってたと思うんですよね。それが高2の時に、そういう事情とはつゆ知らずですけど、美術系に行きたいとか言い始めたから、ああ「やっぱりちゃんと進路を考えてるんだな」と思ったんじゃないかな。
──自分の適性を見つめなおした結果の選択なんだな、と。
実際は女の色香に惑わされただけなんだけど(笑)。
──でも同じ油絵科に入ったことで、接点がより増えたわけですよね。
あー、だけどほら、彼女は3年で受験コースで、こっちはお遊びみたいな基礎コースだったからクラスは違うし。たまにクラスをこっそりのぞきに行くくらいで。
──じゃあそれ以降もほとんど話したりしてないんですか。
まったくないですね。
──学校でも。
ない。
──たまに見るくらい。
そう。部室で絵を描いてたら「古屋くん、けっこう上手なんだね」ってボブ先輩が話しかけてくる……っていう妄想をしてたんだけど、全然そんなことは起こらなかった(笑)。それで入試があって彼女はムサビ(武蔵野美術大学)に入ったから、自分も目指すわけですよ。だけど受かったのは多摩美(多摩美術大学)で、ムサビは補欠だったの。でも多摩美の入学手続きの期間のほうが先だし、親はもう多摩美に決まったと思って喜んでるし、どんどん外堀が埋められちゃって、さよならボブ先輩……と。
──……それでこの話は終わるんですか?
終わりです。今に至る。ただ、ボブ先輩が自分の人生を導いた……か狂わせたかわかんないけど、影響を与えたことは確かですね。彼女がいなければ美大にも行ってなかったでしょう。その文化祭の時の赤い着物にエプロンの姿も、油絵で何枚も描きましたし。実家の物置にまだ残ってるかもしれない。……あとけっこう重症なのが、当時「ぶ~け」っていう雑誌に、誰のなんていう作品か忘れたけど、ボブ先輩そっくりの主人公が出てくるマンガがあって、そのせいで「ぶ~け」を購読してたんですよね。そこだけ切り抜いて本にしてました。「ボブ先輩の本」って名付けて(笑)。
>>思い出すと胸が苦しくなります。
高校デビューしようと思って。それまでずっと八王子にいたのが、オシャレな吉祥寺に通うわけでしょう。しかも明星は私服だし、華々しい世界に足を踏み入れる感覚ですよね。それでまずテニス部に入ったんです。もともと運動神経は悪くないほうだったから。でもとにかく練習が地獄のようにキツいし、運動部ならではのシゴキもあって。
──向いてないなと。
生まれ持った性格は変えられないなと(笑)。で、ある時イケメンが前から歩いてきてね。Y'sかなんかの黒いコートを着て、当時のデヴィッド・シルヴィアンみたいに髪型をキメたのが僕を見て「おおお?!! オレオレ!」とかっていうわけですよ。え、誰……と思ったら原君だったの。彼は八王子の公立高校に行ってて、全然会ってなかったんだけど、そのあと10キロ以上やせて、高校デビューに成功したんだね。あとで噂に聞いたところによると、たいそうおモテになったそうで……。「また原君に先を越された!」と思った。
──一方そのころ古屋少年は。
あのー、1年上に美人の先輩がいたんです。ボブカットだったから、勝手に「ボブ」って呼んでて。はかなげで可憐で、物静かなんだけどいつもニコニコしていてね。仲間うちでも「ボブ先輩見た?」「きれいだよね」みたいな。ボブ先輩は美術部だったんだけど、文化祭の出し物で、赤い着物にメイドがするようなひらひらのエプロンを着けていたの。それが本当に美しくて、ハートを射抜かれた。
──惚れた。
惚れた。それで美術部に入ったんです。しばらくテニス部と掛け持ちしてたんだけど、2年の夏休みに重度のギックリ腰になって……合宿に行けなくなったし、もういろいろめんどくさくなってテニス部はやめた。まあ美術部といっても大した活動はしてなくて、みんな好きなときに集まって帰ったりとかっていう。
──ボブ先輩と話したりとか。
それが話せなかったですね……。それである日吉祥寺駅でボブ先輩を見かけて、「あっ、どこ行くんだろう?」と思ってこっそりついていったんです。
──お。
そしたら国分寺で降りて、武蔵野美術学院っていう美大の予備校に入っていったんですね。「ここで勉強してるんだ……」とか思って入り口を恐る恐るのぞいてたら、先生が出てきて「見学かい?」っていうから、「あ、そうです」と。
──(笑)
すごい親切に案内してくれて。そしたら油絵科のところで、ボブ先輩が準備をしてたの。それで先生が、「君は何かやりたいことがあるの?」って聞いてきたから、迷わず「油絵です!」と、いきなり断言しちゃって。
──ボブ先輩がやってたから。でも美術自体には興味はあったわけですよね。
あったけど、自分から美術系に行こうとは思わなかったんですよ。あんなのは天才が行くところで、イチ高校生が行くところじゃない……まあみんなイチ高校生なんだけど(笑)、当時はそう思ってた。でもボブ先輩がいるから、予備校でパンフレットもらって、その日のうちに親に見せたの。「ここに通いたいんだけど」って話をしたら、「他にも予備校あるのに、なんでわざわざこんな遠い駅のに行くの?」って。まあそうですよね。
──なんて説得したんですか。
最終的に……「ここがいいんだよ!」って押し切ったような。
──それでご両親も「お、おう」と。
そろそろ進路を決めなきゃいけない時期だったし……親としては、中学まで美術部入ったり絵とかマンガとか描いてた息子が、いきなり高校になったらテニスとか始めるし、どうなってるんだと思ってたと思うんですよね。それが高2の時に、そういう事情とはつゆ知らずですけど、美術系に行きたいとか言い始めたから、ああ「やっぱりちゃんと進路を考えてるんだな」と思ったんじゃないかな。
──自分の適性を見つめなおした結果の選択なんだな、と。
実際は女の色香に惑わされただけなんだけど(笑)。
──でも同じ油絵科に入ったことで、接点がより増えたわけですよね。
あー、だけどほら、彼女は3年で受験コースで、こっちはお遊びみたいな基礎コースだったからクラスは違うし。たまにクラスをこっそりのぞきに行くくらいで。
──じゃあそれ以降もほとんど話したりしてないんですか。
まったくないですね。
──学校でも。
ない。
──たまに見るくらい。
そう。部室で絵を描いてたら「古屋くん、けっこう上手なんだね」ってボブ先輩が話しかけてくる……っていう妄想をしてたんだけど、全然そんなことは起こらなかった(笑)。それで入試があって彼女はムサビ(武蔵野美術大学)に入ったから、自分も目指すわけですよ。だけど受かったのは多摩美(多摩美術大学)で、ムサビは補欠だったの。でも多摩美の入学手続きの期間のほうが先だし、親はもう多摩美に決まったと思って喜んでるし、どんどん外堀が埋められちゃって、さよならボブ先輩……と。
──……それでこの話は終わるんですか?
終わりです。今に至る。ただ、ボブ先輩が自分の人生を導いた……か狂わせたかわかんないけど、影響を与えたことは確かですね。彼女がいなければ美大にも行ってなかったでしょう。その文化祭の時の赤い着物にエプロンの姿も、油絵で何枚も描きましたし。実家の物置にまだ残ってるかもしれない。……あとけっこう重症なのが、当時「ぶ~け」っていう雑誌に、誰のなんていう作品か忘れたけど、ボブ先輩そっくりの主人公が出てくるマンガがあって、そのせいで「ぶ~け」を購読してたんですよね。そこだけ切り抜いて本にしてました。「ボブ先輩の本」って名付けて(笑)。
>>思い出すと胸が苦しくなります。