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雲ひとつない澄み切った空。峠の先には青い水を湛えた聖なる湖――。
2014年の幕開けの日、標高4750メートルの峠ではタテガミを持つ超大型犬が待っていた。
写真家・石川直樹が、犬たちとの一瞬の邂逅を軸に、この世界の有り様を綴るフォトエッセイ。



#22



正月のチベタン・マスティフ(チベット・カムパラ峠)





 2014年の元旦、ラサからチベット第二の都市シガツェに向かった。ラサからシガツェに向かう道は、チベットを横断する街道の一部で、2001年にもぼくはこの道を通ってシガツェへ向かっている。
 チベット高原はもともと高所にある上に起伏が激しく、西へ向かうにあたっては何度も峠を越えなければならない。このルートにもいくつかの峠があり、チベタン・マスティフというめずらしい犬に出会ったのは、その中のひとつ、カムパラと呼ばれる標高4750メートルの峠だった。
 峠には無数のタルチョがはためいていた。タルチョとは、チベット仏教の経文が書かれた五色の旗のことで、風にはためくたびに祈りを唱えたことになる。だから、風通しのいい峠や山の頂などには、必ずといっていいほどタルチョが結びつけられている。カムパラもその例外ではないわけだが、それにしても数が異常に多かった。もはや数えられないほどのタルチョが積み上がり、折り重なって、山になっている。ボルタンスキーの古着の山の作品『NoMan's Land』よりもよっぽど迫力があったと思う。
 そんなタルチョ山を撮影していると、どこからともなく巨大な犬を連れたばあさんが近づいてきた。巨大な犬は毛むくじゃらで、首のあたりに赤いタテガミのようなものがある。
「これは、もしやチベタン・マスティフか……?」
 チベタン・マスティフは、その名の通り、チベットを原産地とする超大型犬である。中国本土では富裕層のペットとして人気で、100万円から、高いものだとうん千万円という価格で取引されている希少種だ。
 飼い主以外にはなつかず、勇猛に戦う護衛犬という性格もあるためか、リードは生半可なことでは切れそうもない鉄の鎖だった。マスクを付けたばあさんは慣れた様子で近づいてくるが、犬のほうはぼくに警戒心をむき出しにしている。
 どうやらばあさんは、ぼくに「写真を撮らないか」と言っているらしい。それでお金をとろうと言うのだ。この手の商売は普段だったら断るのだが、犬好きのぼくとしてはチベタン・マスティフを撮らずには帰れない。10元(約170円)を支払って、撮らせてもらった。
 ばあさんも手慣れたもので、かの大型犬をひょいとガードレールに乗せる。後ろにはヤムドク・ユムツォという名の聖なる湖が広がっていた。
 撮りながら、「はたしてあの赤いタテガミはもともとそういう色なのか後から着色したのか」、「峠周辺には民家など一切ないが、彼女らはいったいどこからやってきたのか」、「標高5000メートル近い峠で奴は高山病にならないのか」などなどいくつもの疑問が頭をよぎったものの、ばあさんとコミュニケーションをとる術もないし、チベタン・マスティフ君にも「いつまでこんなところに座らせんだよ」という感じがありありと見えたので、撮影は瞬時に終わらせた。
 ちなみに、中国本土で大型犬をアフリカライオンとして展示していた動物園があり、「鳴き声がライオンのものではない」という理由で見学者にばれた、というお粗末な事件があったが、アフリカライオンの小屋に入れられていたのは、他でもないチベタン・マスティフである。いくらなんでもライオンには見えないでしょう……。


(了)
―#22―
この連載は隔週でお届けします。
次回は2014年2月6日(木)!
2013/1/23更新
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Qomolangma チョモランマ
『Qomolangma(チョモランマ)』(SLANT)
『Lhotse(ローツェ) 』に続くヒマラヤ写真集シリーズ第2弾。2001年、23歳の石川は、チベット側から世界最高峰・チョモランマ(エベレスト)に登頂。この遠征は、その10年後にネパール側から再登頂することになるエベレスト、さらにローツェやマナスルといったヒマラヤのへの旅の出発点でもある。当時の写真に加え、2013年末から14年初頭にかけて再訪したチベットの街と人々の暮らしを写しとった作品も収録。





バングラデシュ (世界のともだち)
『バングラデシュ (世界のともだち) 』(偕成社)
世界36か国の子どもたちのくらしを紹介する全36巻の写真絵本シリーズの一冊。石川が担当したのはこの数年で何度か訪れているバングラデシュ。ダッカの中心部からCNGという三輪タクシーで小1時間、ガンジス川をわたった先の街に暮らす、少年アシフの日常を紹介する。青い自転車がアシフの相棒!

石川直樹(いしかわ・なおき)

1977年東京都生まれ。写真家。高校2年生のときにインド・ネパールへ一人旅に出て以来、世界を絶えず歩き続けながら作品を発表している。2000年に北極から南極まで人力で踏破するPole to Poleプロジェクトに参加。翌2001年には、七大陸最高峰登頂に成功。2011年には、2度目のエベレスト登頂を果たす。昨年秋、マナスル登頂に成功。写真集に『THE VOID』(ニーハイメディア・ジャパン )、『NEW DIMENSION』(赤々舎)、『POLAR』(リトルモア)、『VERNACULAR』(赤々舎)、『Mt.Fuji』(リトルモア)、『ARCHIPELAGO』(集英社)他、著書に『全ての知恵を装備に置き換えること』(集英社文庫)、『For Everest ちょっと世界のてっぺんまで』(リトルモア)他がある。 2008年、『最後の冒険家』(集英社文庫)で第6回開高健ノンフィクション賞、2011年には写真集『CORONA』で第30回土門拳賞受賞。
ブログ:http://www.littlemore.co.jp/foreverest/

[作者より]
2月14日 (金) 19:00~20:30、仙台の「せんだいメディアテーク」にてトークイベントをします。もしかしたら最新写真集『Qomolangma』(SLANT刊)を会場で先行発売できるかもしれません。
詳細⇒http://www.stock-web.com/?pid=69100041

そして、横浜で開催される写真の祭典「CP+2014」にて、『東松照明 写真のつくり方。』というワークショップが行われます。そこでもミニトークがあって、東松さんについて話します。このワークショップはフォトショップでのレタッチを中心に、非常にためになる講座です。みなさんぜひ!
詳細⇒http://photonesiaokinawa.org/workshop_main/workshop2014_01/