第1弾【1】
第1回
◎知識や情報は「広く活用できる状態にあるべき」という大前提
―――長尾さんの普段のご発言からは、日本の「知的財産」を守るために、さらには、Web上に確実に築かれつつある国際的な文化圏のなかに「日本語文化圏」というものを確立するために、書籍や情報というもののデジタル化は避けられないというお考えがあるように思われます。そういった考えの根本には、国立国会図書館長という職に就かれる以前、情報工学者として研究を積み重ねてこられた時代からの蓄積があるようにも思えますが、その点はいかがでしょうか。
長尾 そうですね、そもそも私は、「言語」というものをコンピュータで扱う研究を長らくやってきました。その際、学問的な研究として成果をあげることはもちろんですが、それ以上に「実用的に考える」ことを意識してきました。つまり、「言語とは何か」ということを言語学者のように考え、究めていくというよりも、研究成果を活用していくためのアプローチを考えてきたということです。
その根本にはおそらく、現在、国会図書館の標語としても掲げている「知識はわれらを豊かにする」という発想があって、つまり、「知識」や「研究成果」というものは、広く求める人に活用してもらうためにあり、そうあれるように環境を整備していかなければならないという思いがあります。
―――そこで、コンピュータが「言語」を認識するための仕組み作りや、それを活かした「機械翻訳」という、アルゴリズムを使って翻訳をするシステムなんかをお作りになり、最終的には、過去の研究成果や広く著作物を扱う電子図書館構想まで練られたわけですね。
一方の円城さんは、『Self-Reference ENGINE』や『Boy’s Surface』(ともに早川書房)あるいは『オブ・ザ・ベールボール』(文藝春秋)、『烏有此譚』(講談社)といったご著書のある作家でありながら、もともと物理や複雑系の研究をされていた研究者であり、長尾さんと同様、物理的なアプローチで「言語」というものに取り組まれていらしたというご経歴をお持ちです。
円城 はい、いわゆる”表現欲求”というものとは無縁の……「言語」を知るための実験として小説を書き始めたというのが実際ですね。そんなふうに出自が特殊であり、そもそも僕はまだ作家になって日も浅いので、今日この場に「作家」としているのも面映いのですが……、ひとまず研究者時代のことからお話しをさせていただきます。
いまからもう10年以上前になりますけれども、僕が大学院生時代に興味を持っていたことというのは、言語をコンピュータに「取り込む」とかコンピュータで「認識する」ということではなくて、「書く」というのは一体どういうことか……つまり、まずルールがあって、それにのっとって単語が配置され文章が作られ物語となる、そういう一連のシステムとして「書く」という前提を置いたときに何が考えられるのかということでした。
―――筆名である「円城塔」というのはまさに、「物語生成プログラム」の名前なんですよね。東京大学大学院時代の、円城さんの指導教授である金子邦彦氏が書かれた短編小説の……
円城 そうです、当時指導教官だった金子さんが『カオスが紡ぐ夢の中で』というタイトルで出された科学エッセイ集のなかに収録されている(スタニスワフ・)レム風のSF小説ですね。『進物史観』という、その小説のなかに出てくる名前です。作品のなかでは、F先生という教授とその研究室のスタッフによって「人工物語システム」というものが作られ、大量の物語が生成されていきます。そのシステムが名乗る筆名のひとつに「円城塔李久」というものがありました。僕のペンネームはですから、そこからいただいたわけですね。
しかしまあ、研究者としては、そんなシステムの研究をやっていたところで成果が出るはずもなく、いわゆる「食えない」という状態に陥ったわけです。致し方ない、じゃあ小説でも書くか、というふうに舵を切り直していまに至るわけです。なにやら大変間違った選択なんですが(笑)。
長尾 なんというか、非常に珍しい例なんじゃないですかね(笑)。
◎機械が紡ぐ”物語”
円城 作家になってみて、「実際に小説を書く」ということと「文章や物語が生成されるシステムについて研究する」ということとはやっぱり別物だったでしょう、と何人かの人から聞かれました。しかし、実のところそこは変わらないというのが僕の実感なんです。いまも研究者のときと同じく、ルールにのっとって文章を紡いでいくという、その仕組み部分に思いを馳せながら小説を書いています。
ただ……、だんだんと、何を目指していけばいいのかということがわからなくなってきたというのは正直あるんですね。いつの時代も書くことを志した人は、「自分の書いたものはもうすでに書かれているのではないか」、そんな不安にとりつかれる。つまり、自分がいま「書いた」ものは、実は過去に書かれたものをバラバラに組み合わせ直しているにすぎないのではないか、そんなふうに思ってしまうんじゃないかと思うんですね。事実、記号レベルで考えると、越えられるはずがないんですよね。デジタル化によってとても素朴な形で顕在化しましたけれど、文章は有限の記号の組み合わせとその総体なわけじゃないですか。数キロバイトとかいう容量で測られてしまう。そこに何を加えていけば、機械が生み出す「組み合わせパターン」を超えられるのか、それがいま一番の悩みどころですね。新しい文字を作っていくわけではなくて、文法的に新しい組み合わせを作っていくというものでもない。一見する分にはある程度の枠組みのなかで組みあげられていく有限のバリエーションにすぎない。
長尾 とてもよくわかります。分析というのは、目の前にあることの原理を調べることだから、一生懸命やれば何かがわかります。けれど、こと言語においては、分析によって文法がわかっても、その文法を使って作り出せる文章の種類はほぼ無限にあるわけですよね。ある制約や条件、あるいは意図がないと然るべきものは作り出せないのではないか……そんなことを私も考えていました。作家の方がそのへんのことにどう取り組んでおられるのか、とても興味があります。
円城 そこなんですよね、と僕が言うのもへんな話ですが(笑)、さっきも申し上げたように僕は自信を持って「作家」を名乗れる立場にないので……作家の方々というのはなぜか書いてしまう、それが僕には不思議なんです。気づいたら原稿用紙何千枚になっていた、なんていうことは僕にとっては想像のできないことです。
僕の場合は、最初に枠を決めて、そこに要素を放り込んでいくというやり方を取ります。僕が関与するものは必ずしも登場人物である必要はなく、たとえば何かのシチュエーションであったり……そういうある枠のなかを通っていく間に”人物”なり”物語”なりができていく、そんな実感があります。ブロックを組みあげていくのではなく、雑巾を絞るみたいにして、「人物」なり「物語」が皺のようにして現れてくる、というような。
長尾 しかし、頭のなかにはその、エピソードというかお話の種のようなものがあって、その間をつなぐネットワークをどう辿っていくか、そして最後をどうまとめるか、そういう設計図のようなものがあるわけですよね。
円城 設計図はあります。というか、がっつりと設計図を描いてからでないと書き始めることができない。たとえば目の前にふたつに分かれて広がっていく道があったときに、「理由はわからないけど、こっちのほうが正しい気がする」というように、直感的に選んで書き進めていくタイプの作家の方もいると思うんですよね。でも僕は、そのある種の超能力みたいな力に関しては何も言えません。僕がいままであんまり長編を書けていないのもそういう理由で、大きな設計図を描くのが大変だからなんです。
長尾 設計図なしに勢いのままに書いて、そのまま走り抜けるというようなことはないのですか?
円城 場合によってはあります。というか、ものすごく短いものであれば、設計図を用意する必要がないことはままあります。
長尾 なるほど。そのお話を聞いて納得というのも変ですけれど、円城さんがお書きになった小説、『Self-Reference ENGINE』ですか、あれを拝読したときに感じたなんとも独特な印象、いわゆる小説を読んだという手応えとは違うものを感じて頭がくらくらしたんですが、その理由がわかったような気がしてきました。
円城 あれはまさにシステムによって、つまりまずお話をどんどんデータベースにあげてですね、そこから抽象構造をどんどん取り出す……そんなふうにして作ったものなんです。でもそれって限りなく「言語処理」に似ているんじゃないかと自分でも思いまして、そのうち、これはもう自分も機械化したほうが早いのでは……と思うようになりました(笑)。
長尾 機械化、ですか(笑)。
円城 そういう書き方なり方針なりを突き詰めていくと、テンプレート(雛形)さえ作ることができれば、そこに登場人物の名前や動詞を放り込んでいくことによって自動的に「物語」を作っていくことも可能ですよね。極端なことを言えば、作家という存在自体いらなくなるんじゃないかとも思うわけです。少なくとも、ある種の作家は機械の速度に負けたりすることになるかもしれない、と。
長尾 いやでも私もですね、研究生活のなかで、コンピュータ上でテンプレートを作り、そこに単語を放り込むことによって文を作るという試みにずいぶん時間を費やしたんですよ。だけれども、そこからはあまり意味のある表現が生まれないんです。だからいくらやってもおもしろくはならないない。円城さんの作品だって、円城さんという人が関与して初めてああいう形になったわけですよね。
(次回につづく)
司会:李明喜(り・みょんひ)
1966年生まれ。空間デザイナー・ディレクター。デザインチームmatt主宰。東京大学知の構造化センターpingpongプロジェクトディレクター。主なプロジェクトに「Sign 外苑前、代官山」「BIT THINGS」「d-labo」など。2010年、批評家東浩紀らと共に合同会社コンテクチュアズを立ちあげる。