日比谷、市ヶ谷、四ツ谷、千駄ヶ谷、阿佐ヶ谷…そう、
東京は「谷」に満ちている! そのスリバチ状の地形に隠された、
ストーリーを紐解いていく。驚きと発見の町歩きに出かけよう。




「人工スリバチ」の因縁
 ─ららぽーとTOKYO-BAY
大山顕


 ぼくは団地や工場、ジャンクションといった土木構造物を愛で写真に撮っている。いわゆる風光明媚と称されるような、自然豊かな風景にはあまり興味がなく、もっぱら都市の光景、それも様々なままならない事情によりきれいに整えることができなかったものに心惹かれる人間だ。

 そんなぼくが地形好きでもあるというと、意外に思われるかもしれない。地形はいわば大自然の代表のようなものだから。しかし、地面の凹凸こそ「ままならなさ」の最たるもので、これほど都市の人工的な事物に影響を与えているものもないのだ。とくに土木構造物はその規模が大きいので、地形の影響を受けやすい。この「ままならなさ」とどう折り合ったか、という結果が都市の風景でありぼくはそれを愛おしく思う、というわけだ。

だから、スリバチ学会の地形を楽しむスタンスはとても趣味に合う。地形趣味ってともすると安易な都市化批判(かつてのせせらぎが暗渠化されたのを嘆く、というような)になりがちなのだが、皆川会長をはじめ学会員のみなさんたら「暗渠になってくれたおかげで流れの上を歩ける!」って喜んじゃったりする手合いばかりなのだ。すてきだ。



 しかし皆川会長でも「人工のスリバチ」にはまだ触れていらっしゃらない。エピソード5の「整形されたスリバチ」で自然の谷地形に手が加えられた事例について書いておられるが、完全なる人工の地形についてはまだ論じていない。ぼくはひとつそれにチャレンジしてみよう。



 舞台は千葉県船橋市。ぼくの育ったこの町にあるショッピングモール「ららぽーとTOKYO-BAY(旧:ららぽーと船橋ショッピングセンター)」にある「地形」についてお話ししよう。

 船橋出身の現在40歳前後の人間は「ららぽーと」に思い出のひとつやふたつを必ず持っていると思う。ららぽーと船橋は1981年にオープンし、自動車でのアクセスを前提にしたショッピングモールとしては最初期のもの。ぼくは中学生の頃よく行った。親に連れられての他、甘酸っぱい思い出もある。巨大迷路があって(今はもうない)そこでね……。いやまあいいや。この話はまた別の機会に。

 すでに30年以上の歴史を持つららぽーとには、今大人になってあらためてじっくり見ると面白いことがたくさんある。そのなかのひとつが駐車場わきの道路だ。




 上の航空写真で線で囲った部分がそれだ。駐車場の一部はテニスコートになっている。東関道を挟んで北にららぽーとがあり、すぐ東にあるのはIKEA。その先に南船橋駅。船橋競馬場に加えオートレース場もあるという埋め立て地だ。

 この道はなぜ曲がっているのだろう。地形好きの方々なら町にある魅力的な曲線道路の多くが河川由来だということはご存じだろう。しかしここは埋め立て地なのでそれはありえない。同時に、酔狂で道を曲げたというわけでもないのだ。よく見るとこの曲線のおかげで周辺に利用しづらい「ヘタ地」が発生していることが分かると思う。なにか「ままならない」理由がなければこういうことは起きないはずだ。

 河川ではありえない、と言ったが驚いたことに地形図を見ると、ここにはあたかもかつて流れがあったかのような微地形の「スリバチ」があるではないか。



東京地形地図」をGoogle Earthで表示したものをキャプチャ


 こうして見るとオートレース場のサーキットの人工地形もすごいが、ここでの問題はあくまで右ページの航空写真にあった曲線道路の部分だ。いったいこれはなんなのか。ためしに国土地理院の「地理院地図」で同じ場所の過去の航空写真を見てみた。そうしたらびっくり!



出典:国土地理院ウェブサイト「地図・空中写真閲覧サービス」より「整理番号」MKT664・「コース番号」C9・「写真番号」14・撮影年月日1966/08/29をトリミング



FUNABASHI Style」より。1965年撮影


 ららぽーと開業前の1966年の様子である。まさか水面が現れるとは!

 これはなんなのかというとビーチなのだ。その名も「ゴールデンビーチ」!



 実はららぽーとができる前、ここには「船橋ヘルスセンター」という一大テーマパークがあった。ガスの採掘をしていたところ、温泉が湧き出たのを契機に、1955年に温浴施設としてオープン。ピーク時にはなんと年間450万人が全国から訪れ、「東洋一のレジャースポット」という名をほしいままにした。温泉だけでなく、遊園地、大宴会場、ゴルフ場、水上スキー、サーキット、そしてゴールデンビーチ、さらにセスナ機での遊覧飛行まであったという、ありとあらゆる娯楽を取りそろえていた施設なのだ。1977年に閉じたこの施設に関するぼくの記憶はないが、地元の年配の方々に聞くとみな「それはそれはすごいところだった」と口を揃えていう。



 つまり、現在も残るこの微地形の凹凸に縁取られた曲線道路を走ることは、かつての「ゴールドコースト」を行くことなのだ。人が作った、さして歴史があるでもない「地形」でも、それが「ままならなさ」となって後々の土地の利用に影響する。ぼくなどはとても興味をそそられる事例だ。

 さて、「人工のスリバチ」の謎は解けたが、この話には続きがある。まさに「土地の因縁」としかいいようのないエピソードが眠っているのだ。

 船橋ヘルスセンターの娯楽施設のなかのひとつには人工スキー場もあったという。



FUNABASHI Style」より。1962年撮影


 これも人工の地形と言えなくもないが、ぼくがいいたいのはそれではない。ららぽーとのわきに人工スキー場といえば、あっ! と思い浮かぶものがあるだろう。



雑誌「SD」1995年4月号より


 そう、「ザウス」だ。現在IKEAがある場所に鎮座していた。1993年にオープンし2002年に閉じた巨大屋内スキー場。地元なのに結局一度も行かなかったが、かなり遠くからも見えるあの巨大な姿に、今思えば畏怖のようなものすら感じていた。雪国でもなくしかも埋め立て地の場所に、まったくの偶然で2度もスキー場が登場するとは、因縁としかいいようがない。ちなみにこのザウス、施工は皆川会長の所属する鹿島建設によるものである。



 さらに重ねて付け加えるのならば、船橋ヘルスセンターの開発運営者であった朝日土地興業は、後に京成電鉄、三井不動産、と3社でディズニーランドを作るのだった。埋め立て地におけるテーマパークのノウハウが、船橋の埋め立て地から浦安の埋め立て地に移されたのだろう。いずれディズニーランドにおける「人工の地形」についても考察してみたい。

 ちなみに前述のオートレース場は近々閉鎖されるとのこと。このサーキットの形も微地形として残ると面白いのだが……。



本記事も収録された、『東京スリバチ地形入門』が発売中です。
ぜひご一読ください。





【目次】下線の記事は、試し読みが可能です。

プロローグ スリバチとは何か?─赤坂・薬研坂  皆川典久(エピソード1~11も)
エピソード1 パーフェクトな窪地の町─荒木町、白金台、幡ヶ谷
エピソード2 谷町とギンザの意外な関係─戸越銀座
エピソード3 窪みをめぐる冒険─鹿島谷(大森駅)
エピソード4 スリバチ・コードの謎を解け─大久保、池袋
エピソード5 整形されたスリバチ─弥生2丁目、大森テニスクラブ、高輪4丁目
エピソード6 地形鉄のすすめ─銀座線、丸ノ内線、山手線、東急東横線、東急大井町線
エピソード7 肉食系スリバチとは─等々力渓谷、音無渓谷(王子駅)、東武練馬駅
エピソード8 地形が育むスリバチの法則とは?─白金、麻布台
エピソード9 公園系スリバチを世界遺産に!
エピソード10 神と仏の凹凸関係─麹町、清水坂、高輪
エピソード11 スリバチという名のパワースポット─明治神宮、おとめ山公園、清水窪弁財天、お鷹の道と真姿の池
エピソード12 川はどちらに流れる?─古隅田川、隅田川、利根川  佐藤俊樹
エピソード13 東京の階段をめぐる  松本泰生
エピソード14 私が暗渠に行く理由。  髙山英男
エピソード15 暗渠に垣間見る“昭和”─阿佐ヶ谷  吉村生
エピソード16 小盆地宇宙とスリバチ─若葉町・鮫河橋谷  上野タケシ
エピソード17 幽霊はスリバチに出る─谷中三崎町、池之端2丁目、高田1丁目、十二通り  中川寛子
エピソード18 地形で楽しむ不動産チラシ  三土たつお
エピソード19 人の目を通して感じる東京─新宿・思い出横丁、広尾-六本木  浦島茂世
エピソード20 「人工スリバチ」の因縁─ららぽーとTOKYO-BAY  大山顕
エピソード21 スリバチ散歩と地図  石川初
エピソード22 デジタル地図が拡張する地形の魅力  石川初
エピソード23 「東京の微地形模型」と地形ファン  荒田哲史
エピローグ スリバチ歩きは永遠に  皆川典久


2016/03/10更新
  • マンガ 募集
  • コミックエッセイの森

  • 『東京スリバチ地形入門』(イースト・プレス)
  • 皆川典久(みながわ・のりひさ)

    1963年群馬県生まれ。2003年にGPS地上絵師の石川初氏と東京スリバチ学会を設立。谷地形に着目したフィールドワークを都内各地で行う。2012年に『凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩』(洋泉社)を、翌年には続編を上梓。また、町の魅力を発掘する手法が評価され、「東京スリバチ学会」として2015年にグッドデザイン賞を受賞。

    佐藤俊樹(さとう・としき)
     
    1963年生まれ。1989年東京大学大学院社会学研究科博士課程退学、社会学博士(東京大学)。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。職業上の専門は省略(^^。地形の凸凹と神さまの関わりに興味があります。春には桜惚けを起こします。

    松本泰生(まつもと・やすお)
     
    1966年静岡県生まれ。尚美学園大学講師・早稲田大学オープンカレッジ講師。都市景観・都市形成史研究を行う傍ら、90年代からの東京の階段を訪ね歩く。東京23区内にある階段を全て歩くことが現在の目標。著書『東京の階段?都市の「異空間」階段の楽しみ方』(日本文芸社)

    髙山英男(たかやま・ひでお)
     
    中級暗渠ハンター(自称)。ある日「自分の心の中の暗渠」の存在に気づいて以来、暗渠に夢中に。2015年に『暗渠マニアック!』(柏書房)を共著、『「地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』(洋泉社)も一部執筆。本業は広告業で、『絵でみる広告ビジネスと業界のしくみ』(日本能率協会マネジメントセンター)などを共著。

    吉村生(よしむら・なま)
     
    暗渠界の住人。杉並区を中心に、縁のある土地の暗渠について掘り下げたり、暗渠のほとりで飲み食いをしたり、ひたすら暗渠蓋の写真を集めたり、銭湯やラムネ工場と暗渠を関連づけるなど、好奇心の赴くままに活動している。『暗渠マニアック!』(柏書房/共著)、『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』(洋泉社/分担執筆)。

    上野タケシ(うえの・たけし)
     
    1965年栃木県生まれ。一級建築士事務所上野タケシ建築設計事務所代表。建築設計の仕事以外に、ライフワークで「庭園」研究と夜散歩をする。共著に『快適で住みやすい家のしくみ図鑑』(永岡書店)、『イラストでわかる建築用語』(ナツメ社)。

    中川寛子(なかがわ・ひろこ)
     
    東京生まれの東京育ち。不動産、地盤、街選びのプロとして首都圏のほとんどの街を踏破している。茶人であり、伝統芸能オタクでもある。著書に『この街に住んではいけない』(マガジンハウス)、『ブスになる部屋、キレイになる部屋』(梧桐書院)、『解決!空き家問題』(ちくま新書)など。

    浦島茂世(うらしま・もよ)
     
    フリーライター、新潮講座「東京のちいさな美術館めぐり」講師。時間を見つけては美術館やギャラリーに足を運び、内外の旅行先でも美術館を訪ね歩く。著書に『東京のちいさな美術館めぐり』、『京都のちいさな美術館めぐり』(株式会社G.B.)など。

    三土たつお(みつち・たつお)
     
    1976年茨城県生まれ。ライター、プログラマー。地図好き。@nifty:デイリーポータルZなどに連載中。『地形を楽しむ 東京「暗渠」散歩』『凹凸を楽しむ 東京「スリバチ」地形散歩』(共に洋泉社)などに寄稿。好きな川跡は藍染川です。

    大山顕(おおやま・けん)
    1972年千葉県生まれ。フォトグラファー/ライター。1998年千葉大学工学部修了。著書に『工場萌え』『団地の見究』(いずれも東京書籍)、『ジャンクション』(メディアファクトリー)、『ショッピングモールから考える』(幻冬舎)などがある。twitter:@sohsai

    石川 初(いしかわ・はじめ)
     
    東京スリバチ学会副会長として、会長・皆川典久とともに東京の地形を巡る様々な活動を実践している。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授。登録ランドスケープアーキテクト(RLA)。GPS地上絵師。東京大学空間情報科学研究センター協力研究員。日本生活学会理事。

    荒田哲史(あらた・てつし)
     
    神田神保町の建築専門書店、「南洋堂書店」店主。神保町で古地図や古文書に囲まれ、坂の多い文京区で凸凹を感じながら育ったことがきっかけで地形に興味を持つようになった。建築と地形の関係は密接であるので、何らかの提案を今後もしていきたい。