落雷と祝福

副題は「好き」に生かされる短歌とエッセイ。
歌人・岡本真帆が愛するものをお題にした連作短歌とエッセイをお送りします。
第9回のテーマは「THE FIRST SLAM DUNK」です。

 

   

 

 

 

 

 

残像を追う

 

​​ 私はバスケのことをよく知らない。そして漫画『SLAM DUNK』のこともほとんど知らない。一度読もうとしたことはあったけれど、どうしてか、主人公の桜木花道がバスケ部の主将である赤木に勝負を挑むところで止まっている。私の記憶の中では、バスケマンガの主人公の彼はまだバスケ部員になっていない。
 インターハイ2回戦。桜木が所属する湘北高校は、優勝候補筆頭である山王工業高校と対決する。いわゆる「山王戦」は原作で描かれる最後の試合だ。原作未読の私でもそのことは知識として知っていて、それがスポーツ漫画の歴史に残る名勝負として名高いことも耳にしていた。映画に関しての事前情報をはほとんど得ない状態で映画を見始めたので、『THE FIRST SLAM DUNK』が湘北vs山王を描いたものだと鑑賞中に分かったときは、本当に驚いた。

 絶対王者である山王の分厚いディフェンスに、湘北は歯が立たない。湘北の応援に来た観客たちの間にはどこか諦めのムードが漂い、山王側の観客席にも、山王が勝利することが当たり前であるかのような雰囲気が漂っていた。
 そんな客席に、ある父子がいる。バスケ好きの父親に連れられて山王の観戦に来たのだろう、少年は観客席で携帯ゲームをいじっている。父親が何か話し掛けても、彼の注意はすぐに手元のゲームに戻る。
 その少年の意識が、ゲームから試合に切り替わる瞬間が訪れる。桜木が、試合関係者の机の上に乗り上げ、高らかに勝利を宣言するのだ。突然の出来事に驚いて立ち上がる少年。問題行為とも言えるマナーを欠いた行動にざわめく観客席。しかし、そこから風向きが変わる。ゴール下の桜木が山王の鉄壁のディフェンスに揺らぎを与える。湘北の選手の意識が変わる。メンバーのパスが通り、シュートが決まる。湘北メンバーの選手の個性が光り始める。そうして、無謀だろうと思われた山王との点差が劇的に縮まっていく。試合終盤、少年はもうゲーム機を見ていない。父親と一緒になって湘北を応援していた。
 私は、彼だった。あの少年こそが私だった。
 私はバスケのスタメンの人数すら知らないほどのスポーツ”にわか”だ。そんな私でも、桜木が投入されてからの試合の変わり方は鮮烈で、釘付けになった。目だけじゃなく、全身が釘付けになる感覚。映像を受け身で見ているのとは違う。本当にスポーツを観戦しているような、まさに「人間」を観ている感じがした。コートに立っているのは私ではないのに、心臓がバクバクして気道が狭くなって、どうしてか、じわっと涙が滲んだ。特に、試合終了までのラストの20秒は息ができない。伸び縮みする時間の中で、せめぎ合う両チームの攻防。1秒の中に凝縮された数分にも思えるさまざまなドラマ。自分の全神経がコートの上の一挙手一投足に注がれ、張り付くのがわかる。無音の空間で、スローモーションの中、必死に息を殺して、私はあの奇跡の瞬間に夢中になっていた。

 桜木花道。鑑賞した翌日も、そのまた翌日も、日常のぼーっとしてしまうような狭間の時間に、私は桜木のことを考えていた。破天荒な勝利宣言と天才的なプレーだけではない。試合後半の、桜木の選手生命を賭けた選択が、何より衝撃だったのだ。
 試合中に負った怪我の影響で、今ここで無理をするともう一生バスケができなくなるかもしれない。そう告げられた桜木は、痛みに耐えながら、悔しさを噛み締めながら、それでもコートに立つことを決断する。そんな彼を大人は力尽くでも止めなければいけなかっただろう。でも夏の太陽光のようにまっすぐ、強く、「今なんだよ」と言われたら、果たして本当に止められるだろうかとも思ってしまう。一生と一瞬を天秤にかけて、一瞬の方を覚悟とともに選べてしまうことが恐ろしいと思った。そして眩しいと思った。
 ”天才桜木”は何が天才なのか。彼はきっと、自分を信じる天才だ。
 バスケの素人でも、自分は勝てる。相手が絶対的に敵わないと言われているチームだとしても、自分なら流れをたぐり寄せられる。一生バスケができなくなるかもしれないと言われても、自分なら、コートに立てる。
 桜木は今作の映画の主人公として描かれていない。それでも、私はあの桜木の眩しさに、主人公性を見いだした。圧倒的な光だった。
 閉じた目の裏側に光の残像が焼き付いているみたいだった。
 気がつけばたびたび桜木の未来について考えている自分がいた。原作の物語は、山王戦を最後に終わる。桜木は復帰できたのだろうか。二年、三年の時間をどのように過ごしたのだろうか。高校卒業後、どうしたのだろう。いろんな気持ちが浮かんでくる。
 未来を揺るがす決断をした桜木は、「今」を選んだからと言って、未来を棄てたわけではないのだろう。残像を追ううちに、それがだんだん分かってきた。自分を信じる天才は、怪我をした体の感覚を取り戻していくのもきっとものすごく上手い。試合中の瞬間、今と未来を天秤にかけたようで、実は、どちらも諦めていないのではないか。

 高校の現代文の教科書に『ミロのヴィーナス』という評論文が載っていたことを思い出す。本来あったはずの両腕が欠けているミロのヴィーナスは、完璧な姿ではない。でも、だからこそ美しい。存在しない手の形を想像するときに、無限の可能性が広がる。どんな手であるか誰にも分からないことに魅力が生まれている。
 多くの人が『SLAM DUNK』の続編を待ち望んでいる。原作のその後を知りたいと願っている。読者の誰も知らない、桜木の未来。
 そして原作を読めば、映画では描かれていない山王戦に至るまでの桜木に会える。読者のみんなが知っている、桜木のこれまでに。
 私はもう少しの間、そのどちらも知らないままで過ごしたい。山王戦で目撃した、才能を開花させていく彼こそが、私の知っている唯一の桜木花道だ。瞼の裏に残り続ける強烈な光の残像と、その残像からイメージできる未来の彼の姿が本当に美しく見えて、もう少しだけ、この残像や余韻のみを追いかけていたいと願ってしまうのだ。

 

≪作品紹介≫

THE FIRST SLAM DUNK

漫画『SLAM DUNK』(1990-96年「週刊少年ジャンプ」連載、高校バスケ部を舞台に選手らの成長を描く)の映画化作品。
映画公開後、興行収入138.8億円、観客動員数約966万人動員。(2023/5/7時点)韓国、中国でもヒットを記録中。原作の新装再編版(全20巻)の売上部数が100万部突破した。
漫画原作者の井上雄彦氏が映画の監督・脚本を手掛ける。井上雄彦氏は本作について、
「知らない人には初めての、
知ってる人には、
知ってるけど初めて見るスラムダンク。」 と述べる。

映画公式サイト

2023.8.3更新

 

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単行本情報

 



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著者プロフィール

岡本真帆

一九八九年生まれ。高知県、四万十川のほとりで育つ。未来短歌会「陸から海へ」出身。

X: @mhpokmt

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  • 岡本真帆(おかもと・まほ)

    一九八九年生まれ。高知県、四万十川のほとりで育つ。未来短歌会「陸から海へ」出身。第一歌集『水上バス浅草行き』(ナナロク社)
    Twitter:@mhpokmt