落雷と祝福

副題は「好き」に生かされる短歌とエッセイ。
歌人・岡本真帆が愛するものをお題にした連作短歌とエッセイをお送りします。
第10回のテーマは「ラッキードッグ」です。※今回は作品名ではありません

 

 

 

 

 

 

いつか来る神回

 

​​ 「ラッキードッグ」をご存じだろうか。散歩中に出会う犬のことだが、そういった意味の「ラッキードッグ」はご存じないと思う。なぜなら私が散歩中の犬を勝手にそう呼んでいるからである。
 道の向こうから、曲がり角から、家の中から、犬たちは突然視界に入ってくる。その時のうれしさといったらない。「犬だ!」とジャンプしたくなる。あんまりじろじろ見てしまうと犬にも飼い主にも悪いので、平静を装いながらすれ違う。すれ違う瞬間もちょっとしたイベントだ。目がまったく合わない犬、目があった瞬間にはっとした顔になる犬、微笑んでくれる犬、「何か……?」と不安げに首をかしげる犬。いろいろいる。さまざまな犬の個性。犬に触れることなくそのまますれ違い、少し経った後、こっそり振り返ってみる。犬は私というエキストラのことは忘れて、飼い主との小さな冒険に再び夢中になっている。そんな犬の後ろ姿も、また乙である。

 犬に出会えたときの喜びをイベント化したくて、散歩中に目撃する犬のことを「ラッキードッグ」と呼ぶようになっていた。「今朝のラッキードッグは7だった」「いつもと違う道を歩いたら、ラッキードッグが13匹だった」という風に使う。うれしい気持ちを固有名詞化すると、小さなお祭りになる。ラッキードッグという言葉を作っていなければ、「出会う犬、全部柴犬」という奇跡の散歩回に気づくことはなかっただろう。ただの散歩が「ラッキードッグを数える時間」になってから、散歩のことが前よりも好きになった。

 犬が見たい、犬を愛したい。思わず『怪獣のバラード』を替え歌で犬に改変してしまうくらい犬が大好きな犬好きなのだが、悲しい事実がある。「犬をなでる」という簡単にできるように思える行為が、犬を飼っていないとほとんどできないのだ。高知の自宅は堤防のすぐそばにあり、二拠点目の東京の自宅も近所に公園がある。どちらも朝や夕方には、犬と飼い主の散歩天国のようになっている。とても身近で間近な距離に犬がいる。手を伸ばせば犬に触れられる。けれどそれはできない。こちらは、彼らをラッキードッグと呼び、その一瞬の出会いを楽しんでいる立場だが、犬たちはそうではない。人間が通勤や通学のために駅まで歩くのと同じように、日常の当たり前の行動として散歩を遂行している。パトロールをしているつもりの犬もいるだろうし、「飼い主を散歩させなければならない」という使命感に駆られている犬もいるはずだ。それぞれの認識は違えど、散歩コースを歩かなければならない理由がすべての犬にある。そんな大切な時間の最中に、いきなり知らない人間が体に触れようとしてきたら。それは、妨害だし犯罪だ! 犬はいつでもなでていい存在、という傲慢な考えを持っている人がいたら、どうか改めてほしい。犬には犬の犬権があり、犬からの許可がなければ触れてはいけないのだ。無許可で触れるなんてそれは「なでハラ」である。
 犬パラダイスのような朝の散歩コース。犬&飼い主と私の間には、透明で分厚い隔たりがあるのだ。

 二年前。毎朝の散歩ですれ違うおじいさんとミニチュアダックスがいた。おじいさんは近所に住んでいて、頻繁に散歩で遭遇するので、そのうち挨拶をするようになった。「おはようございます」とただ一言交わすだけなのだが、ある朝、挨拶をしたらミニチュアダックスの方から私に寄ってきてくれたのだ。その時おじいさんが「なでてみますか」と言ってくれて、私はそのとき初めてその子に触ることができた。まるで恋愛シミュレーションゲームのようだった。挨拶を続けることで犬の警戒心が解けて、犬なでチャンスがアンロックされたのだ。「実績解除」の瞬間だった。きっと「なでてもいいですか」と一言声をかけていたら、快く許可を得られていたのだと思うけれど、人間同士の交流を見て、犬も心を許してくれたのかもしれない。
 いつか歩いているだけで犬の方からやってくるような、犬にモテモテの存在になりたい。そう願いながら、今日もこっそりすれ違う犬たちに視線を送り、後ろ姿を見つめている。
 
 ちなみに完全に余談だが、テンションが上がって鼻息荒く走り回っている犬や、フゴフゴしながら地面に背中をこすりつけている犬のことは「ガウガウザウルス」と呼んでいる。ちっちゃい恐竜みたいで可愛いからである。ガウガウザウルスも出会うとうれしい、ラッキードッグの一種である。
 

 

≪作品紹介≫

ラッキードッグ

「散歩ですれ違う犬のこと」を、著者はそうよんでいる。
「幸運な人」を指す「lucky dog」という英語フレーズや、
同タイトルのBLゲーム(任天堂スイッチ)がある。

※怪獣のバラード
1972年に発表された楽曲。岡田冨美子が作詞、東海林修が作曲。
現在では泣ける合唱曲として親しまれている一面も。著者が引用した歌詞は「海が見たい 人を愛したい」

 

2023.08.17更新

 

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次回予告

今夏じゅうの更新を予定しています。次回もお楽しみに!

単行本情報

 



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ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし
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著者プロフィール

岡本真帆

一九八九年生まれ。高知県、四万十川のほとりで育つ。未来短歌会「陸から海へ」出身。

X: @mhpokmt

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  • 岡本真帆(おかもと・まほ)

    一九八九年生まれ。高知県、四万十川のほとりで育つ。未来短歌会「陸から海へ」出身。第一歌集『水上バス浅草行き』(ナナロク社)
    Twitter:@mhpokmt